4.取調室の攻防戦(オーウェン視点)
入った取調室は狭く、机を挟んで向かい合う距離はそれほど離れていない。
オーウェンが扉を開けると、ドアのそばにいたガルフが気難しい顔をして顎を奥へとしゃくる。
すると、椅子に座っていた青年が視線を向けた。
拘束具をつけられているにもかかわらず、まるでそれを気にしていないかのように、どこかくつろいだ様子でいる。
「よう! あんたがオーウェンか」
まるで旧知の仲のようにアインは軽く手を上げると、拘束具の鎖が小さく音を立てた。
見た目には、気安いだけの造作の整った男に見える。
くすんだ金の髪に、赤い瞳。
この男が、ブレアを誘拐してガルフと互角に打ち合い、煙の中に消えた男。
実力だけでなく変装にも長け、捕縛はほぼ不可能とまで言われる男が、自分から現れた。
にわかには信じがたいことだった。
しかしその青年は、アイン本人らしい。
目が合ったガルフも、間違いないとばかりに深く頷いている。
オーウェンがここに呼ばれた理由は一つだった。
宵鴉の情報を全て暴露する代わりに、アインが提示してきた条件に関係している。
一つ目は減刑。
そして二つ目が、オーウェンとの面会だ。
あの時戦ったガルフならともかく、オーウェンはその姿を一度も見たことがなかった。
なのになぜオーウェンが指名されたのか。
理由は分からなかったが、宵鴉殲滅の機会を逃すわけにはいかない。
オーウェンは無言のまま向かいの椅子を引き、アインの前に腰を下ろす。
そして感情を表に出さないまま、静かに口を開いた。
「お前がアインだな」
「そ。はじめましてだよな。まあ、俺はあんたのこと一方的に知ってたんだけど」
人をくったような笑顔の奥に、どこか底の読めない空気を感じた。
「なぜ出頭した」
「そんなもん一つしかないだろう。罪を償いに来た」
あまりにもあっさりとした答えだった。
「理由は」
「やりたいことができたからな。犯罪者のままじゃ困るんだよ」
姿形を自在に操れると噂の男だ。
この容姿を変えてしまえば、自身の出自も完璧に隠し通せるだろう。
その手段をあえて取らず、自らこの場に現れた。
「……やりたいこととは何だ」
しかしアインは答えず、口の端を上げた。
「それより、減刑は約束してくれるのか?」
「お前の提示する情報の内容次第だ」
「なら問題ないな。教えてやるよ。アジトも何もかもな。今なら急げば壊滅できるぞ。奴らがこれまで請け負ってきた証拠も山のように残ってる」
オーウェンが話すように視線で促すと、アインはまるで世間話でもするような調子で告げた。
情報を全て聞き終え、オーウェンが視線だけでガルフへ合図を送ると、ガルフは短く頷いた。
罠の可能性はある。
だが、それでも動かない理由にはならなかった。
ガルフはすぐに踵を返し、取調室を後にする。
宵鴉の拠点制圧は、ガルフに任せれば問題ない。
残る問題は……。
二人きりになった部屋で、笑みを崩さないアインをじっと見据える。
「……なぜ俺を指名した」
重い空気の中、アインが軽い声で答える。
「あんたのことが気になったから」
「お前とは初めて会うはずだ」
「俺が一方的に知ってたって言ったろう。っていっても、ついさっきまであんたのことなんて大して興味はなかったんだけどさ。けど」
アインは言葉を切ると、オーウェンに言い聞かせるようにゆっくりと口を開く。
「ブレアが信頼している男がどんな奴なのか、近くで見たくなったんだよ」
「…………」
オーウェンの瞳が険しいものになる。
ブレアの調書には、誘拐中の扱いについての記録が残っている。
宵鴉の構成員の中でも、この男だけが明らかに異質だった。
必要以上の危害を加えず、むしろどの宵鴉よりも丁重な扱いをしていたのは確認している。
今夜もブレアの元を訪れていたことも聞いている。
そこにあるのは――明らかに彼女への強い興味だ。
「……もう一度聞く。お前がやりたいこととは何だ」
低く問う。
「ブレアに関係することか」
すると、アインは楽しそうに指で丸を作った。
「ご名答」
その刹那だった。
取調室の空気が、一瞬で張り詰める。
いつの間にか立ち上がったオーウェンは目にもとまらぬ速さで剣を抜き、次の瞬間には、刃の切っ先がアインの喉元へと突き付けていた。
遅れて、蹴り飛ばされた椅子が床に叩きつけられ、けたたましい音が室内に響いた。
アインの目がわずかに見開かれる。
驚きなのか、恐怖なのか……だが声だけは、変わらず平然としていた。
「おいおい、ここで俺を殺す気か?」
しかしオーウェンは静かに否定した。
「違う」
静かにそう言うと、オーウェンは纏っていた殺気を引かせ、ゆっくりと剣を収めた。
だが視線だけは、少しも外さない。
「お前には罪を償わせる。正しい方法でな。だが、彼女を害することがあれば――」
オーウェンは心臓が凍えるほどの冷たい声で告げた。
「その時は俺が斬る」
短い沈黙のあと、アインがふっと息を吐く。
「……あんた、切れると結構怖いんだな。俺の方が強ぇはずなんだけど。マジで動けなかったわ」
だがその声音は、どこか楽しげだった。
「安心しろよ。別に危害を加える気はねぇ」
そして、思い出したように懐へ手を入れる。
「そうだ。忘れないうちにこれ返しとくわ」
取り出された紙を見て、オーウェンの目がわずかに細まる。
「……どういうことだ」
そこにあったのは、ブレアが保管しているはずの結婚契約書の原本だった。
確か貸金庫に預けていると言っていたはずだが。
オーウェンの疑問を読み取ったように、アインはあっさりと答える。
「ブレアの貸金庫から拝借した。職員に変装してな」
悪びれもなく言ったアインは、その後肩をすくめる。
「あんたらの偽装結婚の話は知ってたから、これ見せたらどうなるかと思ったんだけどさ。全然動じなかったんだよ、あいつ。別に脅す気もねぇし、もういらねぇから返す」
そして机の上に契約書を置くと、アインは赤い瞳を楽しそうに細める。
「安心しろ。誰にも言わねぇよ。俺はブレアを気に入ってるからな」
油断はできない相手だが、少なくともブレアを傷つける意志だけはないように思えた。
しかしアインの興味の対象はブレアだけではないらしい。
一拍置いて、アインはオーウェンをじっと見つめ、にやりと笑う。
「あんたのことも、ちょっと気に入った。だから一つ教えといてやるよ」
アインが椅子にもたれ直し、指を一本立てる。
「ジェームズの後ろには黒幕がいる。相手は中央騎士団長のピーター・ライレイ」
オーウェンは驚かなかった。
ただ胸の内ではガルフが持ち帰った情報がほぼ事実だったのだと、確信が一段深まる。
やはり、ピーターが絡んでいる。
全く表情が変わらないオーウェンに、アインは面白くなさそうに眉を上げる。
「なんだよ。せっかくとっておきの情報教えてやったのに、つまんねぇな。騎士団に潜入するのは、さすがの俺も骨が折れたんだけど」
「何のためにそんなことを」
「依頼者のジェームズの弱みを握っとけって、うちのボスからのお達しだったんだよ」
その時だった。
取調室の扉がゆっくりと開く。
「オーウェン、ちょっといいか」
アインを部屋に残し、廊下に出たオーウェンに、ガルフは声を落として言った。
「あの男の言っていた通りだったぞ。構成員は全員確保した。拠点からは証拠も山ほど出てきてる。宵鴉はこれで終わりだ」
が、そこで言葉が止まる。
ガルフの眉がわずかに寄っていた。
「……依頼者の名前がな。貴族や商人、他にも騎士団の連中も何人か混ざってる。全部は表に出せないだろうな」
ガルフの声音には、壊滅の報告とは別の重さがあった。
彼の言いたいことは分かっている。
地位や金のある人間の名前は、握り潰される可能性が高い。
それが今の騎士団だ。
オーウェンが拳を握り締めると、それに気づいたガルフもまた、悔しそうな顔で低く言う。
「今の俺たちじゃあ、どうすることもできない」
「っ、分かっています」
この構造を変えるには、中枢に届く位置まで上がるしかない。
そのために今は、目の前の仕事を積み重ねる。
「それと、アインが宵鴉の依頼に関わったっていう証拠がない。今回の誘拐事件以外はな」
宵鴉の拠点には、依頼記録も契約書も揃っていたらしい。
だが――アインの名前だけがない。
まるで最初から存在しなかったかのように。
その意味は明白だった。
……消してきたのだろう。
ここに来る前に。
自分に関わる証拠だけを。
アインは最初から、自分がどこまで裁かれるか理解した上で出頭しているのだ。
「戻ります」
短くガルフに言って、オーウェンは取調室の扉を開けた。
アインは変わらず椅子にだらりともたれていた。
「提示された情報の価値としては十分だった。減刑については検討するが、大した罰にはならないはずだ」
「具体的にはどの程度になるんだ?」
「今回の件以外で、お前が宵鴉で依頼を受けたという証拠は何一つ出なかった。あるのは誘拐事件だけだが、量刑は大きく軽減される可能性が高い」
「言っとくけどよ、俺は宵鴉で殺しの依頼は受けてねぇから。っていうか、ブレアの件以外はほぼなんもしてない」
「それを信じろと?」
アインはけらけらと笑う。
「俺がいるってだけで宵鴉の格が上がるって言われてたしな。それに、宵鴉の依頼って話聞いても詰まんねぇもんばっかで気乗りしなかったんだよ」
普通なら疑うべき言葉だ。
だが、短い時間ながらもアインと一緒にいて、分かったことがある。
ブレアも調書で口にしていたことだが、この男は興味があるかないかで、己の行動を決めている。
そして、嘘は言わない。
ブレアはとんでもない人間に興味を持たれたものだと、思わずオーウェンの口からため息がこぼれる。
だが、彼に気に入られなければ、ブレアを助け出すという結果は得られなかったかもしれない。
だとしても、この男をそのまま見逃すわけにはいかない。
「アイン。お前には余罪を追加させてもらう」
「なんだよ余罪って」
「貸金庫と騎士団施設への不法侵入だ。お前はさっき自分で認めただろう。俺はこの耳でしっかり聞いた」
大した罪にはならないが、それでもこの男の思い通りにはさせない。
数秒の沈黙が落ち……それからアインが小さく笑った。
「……あんたも、やっぱ面白ぇな」
オーウェンは答えなかった。
この男は逃げ道を用意した。
だが――それでも裁かれる場所には立たせる。
それが騎士としてのオーウェンの務めだった。




