2.予想外の提案
「いやー、元気にしてるかと思ってな」
普通忍んでくるなら、それなりに地味な恰好になりそうなのに、相変わらず派手ないでたちだ。
それなのに警備が誰も気づかないなんて、もうちょっと厳重にするように後で言っておこうと思いながら、私は答える。
「普通ですが。というか、勝手に人の家の物を食べないでください」
「なんだよ。俺はあんたにこの間クッキーやったろう。少しくらい分けてくれたっていいだろうが。それに、そっちにローリーんとこの新作もたくさんあるだろう?」
「これはオーウェンのために買ってきたんです」
「袋のやつ全部か? 最近まともに顔も合わせられていないのに」
どうしてそんなことを彼が知っているのかとつい彼を凝視すると、
「そんなに見るなって。照れるだろう」
相変わらず軽い口調の男だ。
だけど、無防備に見えて一切の隙がない。
誘拐前にもアインはこちらを観察していたようだし、今回もその延長線上なんだろう。
相手は私の友人でもなんでもない。
誘拐の件といい、勝手にやってきた侵入者なので、外にいるレイバン家の警備を呼んで捕まえてもらうっていう手もあるけど……。
多分意味ないだろうなぁ。
今朝はちゃんと鍵を閉めて出たはずなのに、普通に侵入してきているし。
それに、この男の強さは身をもって知っている。
あのガルフですら、止められなかったのだ。
なら、無駄な動きはしない方がいいし、下手に人を呼べばケガ人が出そうだ。
私はキッチンへ向かうと、コーヒーを二杯淹れてリビングへ戻る。
「へぇ、気が利くな」
「あなたには誘拐中、美味しいご飯を食べさせてもらいましたので」
そして私はカップの中を一口すすると、もう一度さっきと同じ事を尋ねた。
「で、本当に何の用なんですか?」
アインは目の前のコーヒーに手を伸ばし、感情の読めない顔で笑った。
「だから、ただ様子見に来ただけだって」
「じゃあもう帰ってもらえませんか」
「なら飲み物なんて出すなよ」
確かに、アインの言う通りだ。
「……それもそうですね。カップ返してください」
「やだよ。このコーヒー美味いし」
私がそう言って腕を伸ばすもあっさりかわされる。
そしてアインは、私の言葉など最初から聞いていなかったかのように、カップを傾けたまま口を開いた。
「ところで、あの時のあんたの行動には、正直度肝を抜いたぞ。いかれてるとすら思ったな」
「何の話ですか?」
「決まってるだろう。二階から飛んだとこだよ」
ああ、そんなこともあったっけ。
ぽんっと手を叩くと、アインは笑いながら続ける。
「まあ最初から、あんたはおかしかったけどな。誘拐されたってのに、泣きもしなけりゃ怯えもしない。髪切られても平然としてるし、飯に注文つけるし、熱あっても普通に肉食ってるし」
そうだ、その肉で思い出した。
「あの、熱を出している時に食べさせてもらった串焼きなんですけど、どこのお店の物か教えてもらってもいいですか?」
解放されたあと、あの串焼きを求めて王都を探してみたけど、未だに見つけられていないのだ。
だけどアインに聞こうにもタイミングがなかったし、かといってそう簡単に見つけられる相手じゃないしと、半ば諦めていた。
それが今こうしてアインの気まぐれとはいえ、私の元を尋ねてきたんだから、この機会を逃す手はない。
今日こそ教えてもらわないと。
ぐっと身を乗り出し、さあさあ教えなさいと言わんばかりにアインの瞳を見つめていたら。
「ふっ、はっ、ははっ、あんたって……やっぱそういうやつだよな」
肩を震わせて、何やら本気で笑っている。
何がそんなにおかしいんだか。
そう思いつつ彼の笑いが収まるのを待っていたら、笑い終えたアインからやっとそのお店の名前を教えてもらうことに成功した。
私はすぐにメモを取りながら頷く。
「ありがとうございます。明日早速行ってみます」
お肉の柔らかさも肉汁の感じもよかったけど、なによりタレが他と違っていた気がした。甘みがあって、なのにどこか独特な香りもあって、あの正体を突き止めたい。
そんなことを思いながら、メモを閉じる。
そして、さっき彼に私がいかれている、と言われたことに対して、ささやかながら反論をしておくことにした。
「ちなみに、あの時飛び降りたのは、下にオーウェンがいると分かっていたからですよ」
そうしたらアインは、苦々しい表情を浮かべる。
「あー、オーウェンなぁ。あの男の執念には驚かされたわ。俺がわざと残した手がかりと血文字のハンカチだけで、居場所を突き止めるんだからな」
「そう、オーウェンはすごいんです」
私が自慢げに胸を張ったら、アインがふんっと鼻を鳴らす。
「信頼してた割には今、避けられてるくせに」
「事情があるんですよ」
「無理矢理会いに行かないのか」
私は即座に首を振る。
「行きませんよ。会いたがらない理由も分かっています。 ……でも、それは彼自身が答えを出すことですから」
これから先、彼が上に進めば進むほど、私はその足を引っ張るための標的にされやすくなる。
だからきっと、悩んでいる。
このまま結婚生活を続けるか、それとも――私を守るために、離れるのか。
どちらを選ぶのかは、私が決めることじゃない。
「オーウェンなら大丈夫です」
はっきりと、言い切る。
「彼は必ず、自分で答えを見つけます。私はそれを待つだけです」
「たとえそれがどんな答えだとしても、あんたは平然とそれを受け入れるって? 別れてくれと言われても。……寂しいとか、思わねぇのか」
アインの言葉に、私は少しだけ考えてみる。
今の私の生活には、もうオーウェンが自然に組み込まれている。
一緒に過ごす時間を、私だって大切に思っている。
それでも――。
「彼自身がきちんと決めたことなら受け入れます。 私の存在がオーウェンの昇進の妨げになるというなら、なおさらです。 もともと私たちは、お互いの仕事の支障にならないことを条件に結婚していますから」
ただ、寂しいって言う本音は、正直なところある。
オーウェンの作ってくれる朝ごはんは美味しいし、何気ない会話もとても楽しいし。
でもそんなことを、部外者のアインに言うつもりはない。
そんな心の内を隠すように、にっこり微笑んでいたら、アインがそれに対するように意地の悪い笑顔を浮かべる。
「もしくは、野心を捨ててあんたの傍にいることを選ぶとか……」
私はアインの言葉に声をあげて笑ったあと、きっぱりと否定した。
「絶対にありえません」
「言い切ったな。だがあの男は誠実な騎士様だろう」
「オーウェンは真面目で誠実ですが、自分の欲にもまっすぐなんです。 それで野心を手放すようなら、私の見る目がなかったということですね」
そう言うと、アインの目が細まる。
何かを見定めるような視線だ。
「なるほどな。それがあんたが偽装結婚の相手として選んだ男ってわけか」
「はい。もしかしてオーウェンに興味湧きました?」
アインはふっと息を吐くと、わずかに眉間に皺を寄せる。
「どうだろう。ま、そのへんの奴よりは面白そうだ。けど……」
彼は私にまっすぐに視線を向けた。
「俺の一番の興味があんただってことは変わらない。あんたのぶっ飛び具合はオーウェンの比じゃないからな。窓から飛ぶのは完全に予想外だったし、結婚指輪に毒針細工するとか普通は考えないだろう。あとその毒針を自分に刺すとか」
アインはそこまで言うと、赤い瞳を細め、大層楽しそうに口角を上げる。
「だからあんたは最高にいかれてるんだ」
……結局、彼の中では私が狂人扱いなのに変わりはないようだ。
ただ、そもそもアインが依頼を達成させる気だったなら、私は逃亡の計画すら立てようがなかった。
つまり。
「あなた、あの時、本気を出していなかったですよね? 私が何か仕掛けることを期待して、隙をわざと作って、騎士団の突入もあえて見逃した」
問いかけると、アインはあっさりと認めた。
「まあな。でも気づいたのは途中からだぞ」
彼の視線が、部屋の隅でドライフルーツをつつきつつ、未だにアインを警戒しているカールへ向く。
「あんたが布団被ってたあの夜、視界の端に、そこの白いのが見えたんだよ。そいつがあんたのだってのは知ってたから、明け方くらいに騎士団が来るかもなと予測は立ててた」
なんてこった。
なら私がお化けがいると騒ぎ立てて、アインの意識をこちらに向けていたのも演技だとばれていたと。
分かったうえでこちらの策に乗ったらしい。
「止めなかった理由は何ですか?」
「そんなの決まってるだろう」
アインは肩をすくめた。
「そっちのほうが面白そうな展開になりそうだったから」
……やっぱり。
私は小さく息を吐いた。
「あなたの行動基準って、本当に単純なんですね」
面白いか、面白くないか。
アインはそれだけで動いている。
「だからあなたが宵鴉にいるのって、あんまり似合わない感じがするんですよね」
裏社会の仕事は血や死体が飛び交う凄惨な依頼も多いだろうけど、そのどっちをも嫌うアインが、組織に言われたからといってそれを受けるとは思えないし。
「暇つぶしに入ったって言ってましたけど、正直ローリーのお店のお菓子を食べている時の方が、楽しそうでしたよ」
その瞬間。
アインの目が、驚いているかのように大きく見開かれる。
図星だったらしい。
彼は喉の奥で、小さく笑った。
「……ああ。そう。そうなんだよな。正直つまんねぇんだよ。宵鴉も、依頼も、全部がな」
そしてアインははっと鼻で笑う。
「大体さ、『死を喰らう宵闇の鴉』だっけ? 誰が付けたんだよ、あの名前。センス疑うわ」
「っ!」
宵鴉張本人からの言葉に、クッキーをうっかり詰まらせてしまう。
まあ、私もそれは思っていたけど。
「しかも揃いも揃って、羽のタトゥー入れてるし。誇示してんのか知らねえけど、ああいうの一番ダサいだろ。消すのも一苦労だしよ」
「あなたは入れていないんですか?」
アインは、ものすごい形相で私を見て、吐き捨てるように一言。
「ダサいもんに、わざわざ痛い思いする趣味ねえよ」
なんていうか、どこまでもアインらしい言葉に、私はつい笑ってしまう。
けれど、彼の視線が、ゆっくりとこちらに向いた。
「そういうことかよ……」
ぽつりと、アインからそんな呟きがこぼれる。
私に伝えるというより、まるで自分に言っているような言葉だ。
しばらくして。
言葉を探すように間を置いてから、アインが軽い口調でとんでもない提案を口にした。
「なあブレア。俺を雇わないか?」
「……はい?」
一瞬、言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
だって、あまりにも急すぎる。
一体彼の中でどんな思考があってその提案に辿り着いたのか。
しかも雇うって言ったって……。
「美味しいお店探し係にでも任命すればいいですか?」
「俺は別にそれでもいいけど」
そう前置きを置きつつ、アインは言った。
「じゃなくて、護衛だよ。付けるようにって言われてんだろう? ものすごい強い護衛ってのを」
「はぁ……。そこまで知ってるんですか……」
思い出してしまい、げんなりした気分になる。
彼の言う通り、今後のことを考えて、お父様から護衛を増やすよう命じられている。
しかも条件は、アインに近い実力を持つ人間を見つけること。
もし見つからなければ、お母様についているような大柄な護衛が三人追加されるらしい。 しかも常時。
あんな巨体を三人もつけられてちゃ、身軽に動けない。非常に困る。
せっかく王都での行動なら一人でも問題ないくらいに頑張って鍛えたのに。
そもそも、アインみたいな化け物じみた強さを持つ人間なんてそうそういない。
思いつくのは、第二小隊のガルフ隊長か、オーウェンくらいだ。
確かにアインは強いし、護衛として考えるなら、これ以上ない人材だろう。
それに、オーウェンが気にしているであろう私の身の安全も、彼がいればまず問題ない。
とはいえ。
「無理ですね」
「即答かよ」
「当然じゃないですか」
彼は曲がりなりにもあの宵鴉の一員だ。そのうえ、私を誘拐した張本人。
もしも宵鴉を抜けて罪を償った後なら、話は別だけど……。
「犯罪者を雇うつもりはありません」
私はきっぱりと言い切る。
アインは、特に反論するでもなく、じっと私の方を見ていた。
だけど納得してくれたのか、小さく頷いてからカップをテーブルに置くと、すっと立ち上がる。
「帰ります?」
「ああ。ちょっと用事ができた」
「玄関までお見送りしたほうがいいですか?」
「いらねぇ」
アインは私を見て、とても楽しそうに笑った。
「じゃあな」
そのまま何事もなかったかのように背を向け、彼は変装すらせず玄関から出て行った。
律儀にも鍵をかける音も聞こえる。
静かになった部屋の中で、私は小首を傾げる。
……結局、何をしに来たんだろう。
いや、それより、串焼きの店を聞くよりも先にやるべきことがあったことを、今更ながら思い出す。
そういえば、結婚契約書の原本を返してもらわないといけなかったんだった。
誘拐された時の彼との会話から脅す気はなさそうだと感じていたせいで、すっかり頭から抜けていた。
まあ、次の機会の時でいいか。
あの感じだと、またひょこっと現れそうだし。
私はため息をつくと、テーブルの上に買ってきた物を並べ始める。
昼にカールを飛ばした時は、オーウェンはかなり遅くなるけど帰ってくる、という手紙が返ってきたけど……今日も会えない可能性の方が高いかな。
とはいえ、アインが来たことは報告しないといけない。
鍵も早急に替えるべきだし、他の人たちにも注意を促す必要がある。
彼の行きつけであるローリーの店に続いて、串焼きの店も騎士団へ伝えておいた方がいいだろう。
アイン相手では意味がないかもしれない。
それでも、対策はしておくに越したことはない。
そう思いながら、手を止めずに皿を並べていく。
ついでに、鶏南蛮やシャレン食堂の新作メニューをつまみ食いしていると、玄関から音がした。
アインが戻ってきたのかと思い、扉へ顔を向ける。
「なんなんですか、まだ用が……」
けれどそこにいたのは――。
「ブレア」
「オーウェン……!?」
宵鴉の侵入者の方ではなく、久しぶりに顔を合わせるオーウェンだった。




