7.練習の始まり
「……つまり俺たちはリーリア王女に、あのアルマイド伯爵夫婦に匹敵するほど仲睦まじいと思われているのか」
「その通りです」
余計な邪魔が入らないよう、シャレン食堂の奥の個室を貸してもらい、私は彼にざっと王城での出来事を説明する。
で、表情が抜け落ちたオーウェンが最初に放ったのが、今の言葉である。
「すみませんオーウェン。もっとうまく対処出来たらよかったんですが」
あの場は何とか収まったとはいえ、恋人経験のなさがこんな形で響くとは思わなかった。
だけど、とんでもないことに巻き込んでしまったオーウェンは、被害者であるにもかかわらず、私を責めることはなかった。
「いいんだ、むしろ最初からあの場に俺がいた方が、対応を誤っていた可能性が高い。俺の方こそ、君にばかり負担をかけてしまってすまない」
こちらを気遣うような視線が、さらに彼への申し訳なさを際立たせる。
「君が言っていたように、他人からの干渉の隙を与えないほどに人前でアルマイド伯爵夫婦のような仲睦まじさを披露するのは、俺も悪くはないと思う」
「はい。実際オーウェンが結婚したところで、彼女がそう簡単に諦めるとは思えないですし」
「それはその、否定できないな……」
「こればかりはオーウェンが悪いわけでもないですし、仕方ないですって。だからこそ、今回うっかり出てしまった嘘が役に立ちそうなんじゃないですか」
「そうだな」
しかし問題は、周囲に本物の熱烈カップルだと疑われないようにきちんと演じられるかどうか、である。
「オーウェン、先ほどの演技についてですが……はっきり言って、ちょっといただけません」
「ああ。君の反応を見て、それは痛感した」
「さっき通じたのは、リーリア王女がオーウェンの笑顔らしきものを初めて見たからです。次は通用しません。ですから、練習あるのみです」
と、いうことで。
「まずは笑顔の練習から始めましょう。……オーウェン、もう一度試しに笑ってください」
「わ、分かった」
私に言われるがまま、オーウェンは唇の片側を吊り上げ、彼なりの笑顔を作る。
……うん、どう見ても無理やり感が半端ない。
あまりにも不自然だ。
「それではだめです。もっと愛しい人を前にした時のように、愛情たっぷりの笑顔を作ってください」
「愛しい人……」
「過去の恋人でもいいので、そういう相手を思い浮かべてはどうかと」
しかし私のアドバイスを受けたオーウェンの顔は、なぜか険しくなった。
「どうしました?」
「いや、恋人などいたことがないから、どういう顔をすればいいのか全く分からないんだが」
「そうなんですか? では好きな人でも思い浮かべてください。例えば初恋の相手とか」
が、返ってきたのは苦い声だった。
「……いないな」
「本当に?」
「ああ」
「一人も?」
「そもそも俺は異性が苦手なんだ。小さい頃から苦労させられたからな。故に、そういった感情を女性に抱いたことがない」
なるほど、オーウェンはそんなに昔から厄介な女性に好かれやすかったと。
それこそ、初恋なんて甘酸っぱい感情を抱けないほどには、苦労させられてきたようだ。
しかし、オーウェンは忘れていないだろうか。
「私も生物学上はあなたの苦手な異性に含まれますが。私のことは平気なんですか?」
それとももしや、私のことは男性に見えているとか?
そう尋ねたら、即座に否定された。
「君はどこからどう見ても女性だ」
「ならよかったです」
「で、俺が君のことは平気な理由か」
オーウェンは少しだけ考え込むように目線を泳がせていたけど、やがて答えらしきものを見つけたようで、ゆっくりと言葉に出す。
「これまで俺に近づいてきた女性は、俺の外側に興味を持ち、こちらのすべてを征服したいと思う人間ばかりだった。だがブレアは違う。君は俺の外見も生まれも気にしない。いや……さほどこちらに興味がないだろう」
核心を突く言葉に、思わず笑いが漏れる。
「それ、肯定しにくいんですけど。まるで私が薄情な人間みたいじゃないですか」
「そういう意味じゃない、ただ君の優先順位の一番は俺じゃないってことだ」
「ですね。私の一番は自分と仕事ですから」
「だからいいんだ。ブレアといると余計な気を回さずに済む」
君もそうだろうと言わんばかりの目で見られ、私も頷く。
「なら邪魔が入って平穏な生活が乱されないよう、完璧に演じ切らないといけませんね」
「ちなみに君の笑顔はまるで不自然さを感じないものだったが、何かコツはあるのか? やはり過去の恋人や初恋の相手を思い浮かべて」
「私もオーウェンと同じです。そんな相手いませんよ。あの時の笑顔は、最近私の心をときめかせた物を思い浮かべたら自然とできたんです」
「それは何なんだ?」
「新しく買ったそろばんと、売り上げが上がった店舗の売上表の数字ですが」
「そろばんというと……ついこの間、君が俺に自慢気に見せてきた、東方の計算道具のことか」
「はい!」
私の答えに、オーウェンは目をぱちくりとさせる。
と思ったら、ぷはっと息を吐いて笑った。
「ちょっと、何がおかしいんですか。私は真面目に答えたんですけど」
「あ、ああ、すまない。実に君らしい答えだと思ってな」
言いながらもオーウェンはまだ笑っている。
なんならお腹も抱えている。珍しい光景だ。
せっかく参考になるかと思って教えてあげたのに、失礼じゃないだろうか。
私は唇を尖らせながら反論する。
「なんか馬鹿にしています? あなたも見たでしょう。本当にいい品物だったんですよ? 指で弾くと何とも言えない甲高い音が響き渡りますし、使い心地も最高ですし。売上表の数字だって、私が考えた案がドンピシャで当たった結果上がったんですよ? これ以上に心躍ることなんてないじゃないですか」
「馬鹿になんてしていない、ただ、あまりにもブレアらしすぎて……」
「あ、今日もそろばんは持ってきてますよ。前は見せただけでしたし。オーウェンも触れたらこの良さが分かりますから」
私は彼の前にそろばんを置くと、指で弾いてみる。
やっぱりいい音だ。心が澄み渡るようだ。
「ほら、オーウェンも触っていいですよ」
強引に彼の手を掴んで音を出させるものの、オーウェンの表情を見るにこの良さは伝わらなかったようだ。
ただ、まだ笑っているけど。
まあ、人によって幸せや愛しさを感じる物は違うので、商人ではない彼の心に響かないのは仕方がない。
お兄様やお父様には伝わったんだけどな。
親子でお揃いで持ち歩いているくらいだし。
なので、私は彼が笑い終わるまで、お茶を啜って待つことにした。
「……で、話を戻してもいいですか?」
「構わない」
ひとしきり笑ったオーウェンは、いつものように無に近い表情に戻った状態で頷く。
「私のように、オーウェンも、相手が人でなくとも、例えば好きなことをしている時のことを思い浮かべたら自然で愛情深い笑顔を作れると思うんですが」
「好きなことか」
「他には趣味とかはどうですか」
「趣味か。これといったものはないが、そうだな」
ここでオーウェンの表情が若干緩む。
「剣の手入れをしている時は心がほっとするな」
「その調子です。もう一息」
「あとは俺は騎士だからな。……やはり誰かを助けた時に向けられる笑顔は、何物にも代えがたい」
その瞬間、オーウェンの顔が明らかに変わった。
目元も頬も和らぎ、慈愛に満ちた表情。
彼はまるで愛おしいものを目の前にしているかのような、柔らかくも愛情深い笑顔を浮かべていた。
オーウェンは剣の腕は確かだし生まれもいいことから、初めは王族を警護する近衛騎士団への入団を勧められたらしい。
けれど彼は、王都の民を守る現場の中央騎士団を選んだ。
剣をふるって敵を屠ることもあるけど、彼らの仕事の大半は、迷子になった子どもの保護や落とし物の捜索、喧嘩の仲裁から溝さらいと、地味に見えるものも多い。
そしてオーウェンはその仕事を何よりも大事にし、誇りに思っている。
私の仕事の原動力が金銭や数字だとすると、オーウェンの場合は誰かの笑顔なんだろう。
だからこそ、こんなにも優しい顔になるのだ。
いかにもオーウェンらしい。
私はくすりと笑い、ぐっと親指を立てた。
「オーウェン、その笑顔です。それを私に向けてください」
「これか?」
「はい。ばっちりです。では笑顔で見つめ合う練習をしましょう」
「分かった」
そうして私たちはお互いにお互いの好きなことを思い浮かべながら、じっと見つめ合う。
そのまま十秒が経過し、二十秒、三十秒、一分……。
……見つめ合うのもちょっと飽きてきたので、暇を持て余した私は、オーウェンのまつ毛の本数を数え始める。
一、二……それにしてもオーウェンは随分とまつ毛が多い。
その上お兄様や私よりもまつ毛が生えている間隔は狭い。
彼が瞬きするたびに、ふぁさりとまつ毛が揺れる。
四十七、四十八……自分にもまつ毛がもっとあれば化粧映えもするのにと、お義姉様が嘆いていたのを思い出す。
そうだ、海の彼方にある美容大国ではまつ毛を多く見せるべく、装着するまつ毛というものがあるらしい。
それを売り出せば、お義姉様みたいな女性たちに飛ぶように売れるんじゃないだろうか……。
「ブレア、笑顔が抜け落ちているが」
「あれ、そうですか? 笑顔はキープしていたつもりなんですが、ただ見ているのに飽きちゃって。ついあなたのまつ毛の本数を数えながら、他のことを考えていました」
「……なぜまつ毛?」
「特に意味はありません。ただ、目についただけです。でも、おかげで商売的に一ついいことを思いついたので、さっそくお母様とお義姉様に相談してみます」
「そ、そうか」
ここでオーウェンも笑顔をやめ、元に戻る。
「しかし、笑顔は作れても、ずっと続けるのは疲れるな。顔が引きつる」
「それなら、あなたはまずは表情筋を鍛えないといけませんね」
「俺は君とは違って、そこはあまり動かさないからな。今度からは体と一緒にそちらも鍛えることにする」
さて、笑顔の方は何とかなりそうだけど、前途は多難である。
明日は王都を出立し、オーウェンの家族に挨拶をするためにハーヴェスト領へ向かう。
彼らにも疑われないくらいには恋人らしく振舞わないと。
商談の方は、まあ何とかなるだろう。
この間の雪辱を果たす秘策もあるし、今度こそ、ハーヴェスト侯爵を口説き落としてみせる!
そんなことを考えながら、一回目の恋人練習はまずまずの成果を残して終わった。




