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婚約破棄をでっち上げられた商人令嬢は、面倒ごとを避けるため堅物騎士と契約結婚します。〜これで仕事に集中できる!〜  作者: 春樹凜
第二部

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29.その手の中へ(オーウェン視点)



 夜明け前。

 空はまだ暗く、東の空がわずかに白み始めている。

 

 ミレガン家旧邸宅の外で、オーウェンは屋敷を見上げたまま、静かに息を吐いた。


 周囲に展開する第二小隊の気配は、ほとんど消えている。

 誰一人として無駄な音を立てない。

 それでも分かる。

 全員が、そこにいると。


 配置は予定通りだ。

 一階制圧班、二階突入班、外周警戒――全員が持ち場についている。

 敵の位置も報告通り。


「さっき見回ってた男が、二階の端の部屋に入ったところっす」


 そうベイクからの報告を受けたが、元より二階にいると想定していた敵だ。

 作戦は変更せず、そのまま決行する。


 オーウェンはわずかに視線を動かすと、闇の中で、各員が小さく頷いた。


 ――行ける。

 ガルフが短く、手を上げる。


 それが、合図だった。


 次の瞬間、影が同時に動いた。

 音はなく、扉が開く気配すらない。

 ただ静かに、屋敷の中へと侵入が完了する。

 

 数秒間は何も起きない。

 だが、それは成功の証でもあった。


 音もなく、一班の一人が戻る。


「一階、制圧完了。三名確保」


 予定通りだ。

 オーウェンは小さく頷くと、そのまま二階へ意識を向けた瞬間――。


 突如轟音が鳴り響き、建物全体が揺れる。

 続けてブレアのいる二階の部屋の窓ガラスに何かがぶつかり、ひびが入る。


 屋敷内にいた隊員たちが次々に戻ってきて、報告を続ける。


「ガルフ隊長が扉を破って侵入! 敵の一人は扉と共に吹き飛び、室内で気絶しています」

「人質は無事です! 今隊長はアインと思しき人物と交戦中です!」

 

 まずはブレアの無事をきちんと確認できて、胸の奥の緊張がわずかにほどける。


 だがすぐに表情を引き締めた。


「救出は」


 するとここで、隊員の顔が曇る。


「いえ、その、戦闘が予想以上に激しく……。また扉の前での交戦のため、三人とも接近不能だと」


 短く、歯切れの悪い報告。

 それだけで状況は十分だった。


 ここにいても聞こえてくるほどの、二人の激しい戦いの音。

 その一撃一撃が致命傷になる領域の戦いだと分かる。

 下手に加勢に加われば、ガルフの邪魔をしかねない。


 もう一人の宵鴉が意識を取り戻す前に捕縛し、一刻も早くブレアも保護したいところだが……。


 オーウェンはブレアがいるであろう部屋を見上げる。

 

 この手の届くところに彼女がいるのに。

 内部は拮抗し、外からは介入不能。

 このままでは、誰も動けない。


 焦りそうになる気持ちを抑え、オーウェンが冷静に次の一手を考えようとした、その時だった。


 戦いの続く、鉄格子の向こう。

 窓辺にブレアの姿が現れ、一瞬だけ視線が絡む。

 

 ――彼女の瞳は、確かにオーウェンを捕らえていた。

 だが、ブレアは何事もなかったかのように視線を外し、室内へ戻る。


 姿が見えたのは、瞬き一つほどの時間。

 彼女は、無事だった。


「……っ」

 

 ブレアの姿を目にしたオーウェンの胸の奥が、強く打つ。


 だが同時に思う。

 あの顔は、何か企んでいると。

 

 捕らわれているとは思えないほど、あまりにも普段通りのブレアの表情。

 オーウェンに気づきながらも、あえて視線を止めなかったのは、中のアインを警戒したためか。

 

 誰も助けに部屋に入れないというこの状況で、あのブレアがただ待っているはずがない。


 オーウェンは考える。


 ブレアの思考に合わせろ。

 彼女なら、次にどう動くか。


 そして頭に浮かんだのは、結婚契約書のあの条項。


『――自分の身をあえて危険や痛みに晒さないように、なるべく、可能な限り善処する』


 そして今は、その限りではない。


 視線を、ヒビの入った窓ガラスへ戻す。


 普通ならありえない。

 オーウェンもそう思いたかった。

 だが、彼の知るブレアはそういった普通じゃないことを、躊躇なくできる人間だ。


 ――理解した。あそこしかない。

 

 上ではまだ攻防が続いている音がする。

 二人の打ち合いが止む気配はないという報告を聞きながら、オーウェンはひび割れた窓の真下へ迷いなく足を進める。


 確信があった。

 ここにいればきっと……。


 そして――突然二階のガラスがガシャンと弾けた音が響き、破片が降り注ぐ。


「一体何が……!?」


 慌てた声を上げる隊員たちとは対照的に、オーウェンは息を整えじっと上を見つめる。

 

 次の瞬間。

 小さな人影が、空へ放り出された。

 

 いや、違う。

 あれは、自分から飛び降りている。


 ……まったく、相変わらず無茶をする。

 だが、ブレアは無謀ではない。


 オーウェンはかすかに苦笑いを浮かべる。

 視線は逸らさず、落ちてくる軌道を正確に捉える。

 

 その瞬間だけ、世界が不自然なほどゆっくりになった。

 

 揺れる髪。

 砕けたガラスの破片。

 夜明け前の淡い光の中で、彼女の姿だけがはっきりと見える。

 

 ――来る。

 

 オーウェンは地面を踏み込み、腕を伸ばす。


 指先に触れたと同時に、落下の勢いがそのまま腕に叩き込まれた。


「っ!」


 衝撃が全身を貫き、呼吸が詰まる。

 足が沈んで靴底が地面を擦る。

 

 腕にかかる重さは決して軽くない。

 それでも決して落とさず、腕の中にしっかりと収めた。

 

 二階の音も、一階のざわめきも、全てが止まった。


 数瞬の静止の後。

 オーウェンは息を吐くと、腕の中を確かめるように見下ろす。


 すると、腕の中のブレアがゆっくりと顔を上げる。


 ばっさりと切られた髪に、少し乱れた呼吸。

 それに、疲れ切った表情。


 それでもその口元は、いつものように笑っていた。


 オーウェンが受け止めることを確信していた顔で、ブレアは口を開く。

 

「ただいま、オーウェン」

 

 そのわずかに掠れたブレアの声に、息が一瞬止まる。


 言いたいことはたくさんあった。

 けれどオーウェンはそのどれも口にせず、目を細てる。


 返したのはたったの一言だった。

 

「ああ、おかえり」



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