28.決断(オーウェン視点)
砕けたガラスの音が、夜明け前の静寂を裂く。
――その数時間前。
第二小隊の詰め所で、オーウェンはミレガン家旧邸宅の図面を広げていた。
かなり古い図面で、文字はところどころかすれているが、部屋の配置は把握できる。
その時机の上に広げられた図面の端に、白い羽が一枚ひらりと落ちた。
直後、小さな影が音もなくオーウェンの前に降り立つと、帰還を知らせるように小さく鳴いた。
「カー」
オーウェンはカールの頭を軽く撫で、その足に括りつけられていた小さな紙片を外し、折りたたまれた紙を開く。
そこにあったのは、簡潔に書かれた報告。
あの屋敷の監視を任せているベイクの字で書かれたそれに、オーウェンは素早く目を通す。
――宵鴉計五人。
――一階右端の部屋に三人。
――二階左端に人質とアイン、扉前に一人。
――アイン朝まで人質と同室予定。
――拘束なし。人質、夕方急な高熱で倒れる。
そこまで読んで、オーウェンの視線がわずかに止まる。
ただの体調不良か、それとも指輪に仕込んだ毒のせいか。
ブレアから、あの毒は風邪を引いたような症状が出るとは聞かされていた。
どちらが原因かは分からない。
だが、紙を握る指にわずかに力がこもる。
やはり無茶をしたせいなのかもしれないという苛立ちと、彼女の体調への不安が、胸の奥で静かに混ざる。
その時、紙の隅に極小の文字があることに気づき、オーウェンは目を凝らす。
『安心してください。奥さん、今は持ち直してるみたいっす! 高熱でも夕飯に肉の串焼き食べてたらしいんで、たぶん大丈夫っすよ!』
ベイクらしい、軽い調子の一文。
そして、そんな状態でも食事をしているブレアの姿が浮かび、思わず口元がわずかに緩みかけた。
――彼女は無事だ。
それが分かっただけでも十分だった。
最後まで読み終えたオーウェンは紙を折り畳むと、わずかに息を吐き、表情を引き締めて顔を上げる。
周囲には第二小隊の面々。
そして中央に、腕を組んで立つガルフの姿。
オーウェンは一人一人を見据えると、図面に手を置いた。
「位置は確定した」
まずは、指で一階をなぞる。
「右端の部屋に三人」
次に、二階の左端の一室を叩く。
「ここにブレア。アインも同室、扉前に一人。宵鴉は計五人だ」
短く告げると、周囲の空気が引き締まる。
「目的は殲滅ではない。ブレアの確保を最優先とする」
「作戦はどうする」
ガルフの問いかけに、オーウェンはかすかに眉をひそめる。
もっとも警戒すべきはアインだ。
見回りに出ていないのは幸いだが、部屋にいる以上、突入を察知されれば真っ先に動く。
ブレアを押さえられる前に、動きを封じる必要がある。
ならば、答えは一つだ。
気づかれる前に、動きを封じる。
「一階は静かに制圧します。同時に――」
視線を上げ、ガルフを見る。
「小隊長には、二階へ直行してもらいたいです」
その一言だけで、ガルフはオーウェンの意図を理解したようだった。
「アインの足止めか」
「はい」
オーウェンは頷く。
「突入を察知されれば、最初に動くのは間違いなくアインです。彼に人質を押さえられる前に、動きを封じる必要があります」
「その間に、他が動くか」
「はい」
オーウェンはそのまま続ける。
「ガルフ隊長と共に二階へ上がるのは三人。隊長がアインを引き付けている間に、残る二人で扉前の一人を排除し、もう一人がブレアを確保する」
そして、三人に目を向けた。
「マシュー、ハリス、フレッド。頼む」
「了解!」
三人は胸に手を当て、揃って応じた。
それを確認し、オーウェンは残る隊員に指示を飛ばす。
「一階は予定通り静音で制圧。一班と二班が同時に当たれ。三班は万が一を考え屋敷の外を見張れ。万が一敵が外に出た場合は即座に拘束。四班はベイクと合流しろ。その他の人間は――」
一つ一つ、無駄なく指示を落としていき、最後にオーウェンは言った。
「俺は屋敷の外で待機し、全体の指揮をとる。何かあればすぐに報告をしろ」
すると、黙って聞いていたガルフが、ふと口を開いた。
「……いいのか、お前が行かなくて。助けに行くのも、そのガキを叩き潰すのも、本当はお前がやりたいんじゃあないのか?」
オーウェンは一瞬だけ沈黙し、かすかに目を伏せる。
「……行きたい気持ちはあります」
それは、紛れもない本音だった。
一刻も早く、この目でブレアの無事を確認したい。連れ去った張本人も、自分の手で捕らえたい。
だが。
「アインと相対した時、それで失敗するわけにはいきません。……彼は強い。それは紛れもない事実です」
だからこそ。
「俺の知る限り、あなた以上の適任はいません。勝率を上げるなら、俺よりも強いあなたです」
それはガルフへの信頼の証でもあった。
ガルフの目が、わずかに細くなる。
さらにオーウェンは続ける。
「それに、隊長も俺も前線に入れば、全体の統制が崩れます。万が一、作戦が崩れた場合に対応できる者がいなくなる。指揮を取る俺が中に入ることはできません。俺は――」
一拍置いて、迷いない瞳でガルフを見ると、オーウェンはまっすぐに言い切った。
「確実にブレアを助け出せる方法を取るだけです」
だが、オーウェンが信頼しているのは、なにもガルフだけではない。
オーウェンは静かに全体を見渡す。
「……俺は、第二小隊全員を信頼している」
そう言い切ると、
「だから任せる」
短く、それだけを告げる。
誰も言葉を発さない。
だが、その場の空気が確かに変わった。
ガルフはにやりと笑う。
「……みんないい顔をするじゃないか」
そして、ここでガルフは視線を小隊全員へ向けると、
「お前たち――やれるな!」
一瞬の静寂。
次の瞬間。
「「「了解!!」」」
オーウェンの信頼に応えるように、声が揃う。
その声を一度だけ、静かに受け止め、オーウェンは指揮官として命じた。
「決行は夜明け前だ。各自準備を整えろ」




