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婚約破棄をでっち上げられた商人令嬢は、面倒ごとを避けるため堅物騎士と契約結婚します。〜これで仕事に集中できる!〜  作者: 春樹凜
第二部

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27.決断



 闇に包まれていた世界の先が、ほんのわずかに白み始めた頃。

 

 コン、コン。

 扉が軽く叩かれる。


「入れ」


 アインが短い言葉で応じると、すぐさま扉が開いた。

 入ってきたのは、さっきまで外の見回りに出ていた、大柄な体格の男だった。

 私が心の中でムキムキと呼んでいた彼は、通称ゼーア。

 宵鴉の四を示すことから分かるように、かなりの実力を持つと思われる敵だ。


 全身が鎧みたいな筋肉で覆われていて、あの腕で掴まれたらそのまま押しつぶされそうだ。


 正面切って戦うには分が悪いけど、少なくともアインよりは勝ち目がある。

 まして逃げるだけならなんとかなりそうだ。


 本当に、アインさえいなければこの場所からも逃げ出せただろうなぁと思いながら、私は相変わらず顔の見えないゼーアを眺める。


 アインが扉の前に移動すると、ゼーアは現状を報告する。


「外周、異常なし。人影も気配もない。街道側も静かだ」

「分かった。だが気は抜くなよ」

「抜いていない」


 そのあと、ゼーアがわずかに顎でこちらを示した。


「……随分と気に入ってるみたいだな、その女」


 視線がこちらへ向く。

 私は一瞬、手でも振り返そうかと思ったけど、そんな空気じゃないことは分かっていたので、余計なことはせずに毛布にくるまっておく。


 その間にも、ゼーアの持つ雰囲気が剣呑なものになっていく。


「お前の方こそ、気を抜くなよ。人質に情が移ると、判断が鈍る」

「誰に向かって言ってんだ」

「大体前からお前のことは気に食わなかったんだ。一番だからって調子に乗って……。頭目もなんでお前を自由にさせているんだ」


 するとアインが笑いながら肩をすくめた。


「分かり切ったこと言わせんじゃねぇよ。俺の方が強いからだろ?」


 ……なんていうか、ただでさえ寒々しいのに、ますます温度が下がっていくんだけど。

 ぶるりと体を震わせ、毛布をぎゅっと抱き締める。

 この一触即発の空気に耐えられず、そろそろ助けに来てほしいなと思っていたら。


 アインがゼーアに何かを言いかけて――そのまま、言葉を切った。


 ぴたりと空気が変わり、彼はわずかに目を細めて周囲を見渡す。

 さっきまでの飄々とした軽さが消え、初めて警戒しているように見える。


「おい、アイン、一体どうし……」

「黙れ」


 鋭い声に、ゼーアも思わず口を閉ざす。


 アインは動かない。

 ただ、扉の向こうを見据えている。


「……妙だな」


 そう、低く呟く。


 彼が今何を感じているのか、常人の私には分からないけど……。

 ここで私は確信する。


 次の瞬間。


 ドンッ!!


 轟音とともに、扉が内側へ弾け飛んだ。

 その勢いのまま、扉の直撃を受けたゼーアの巨体が吹き飛ぶ。


「がっ――!」


 そのまま背後の窓へと叩きつけられ、ゼーアは気を失ったのかその場に崩れ落ち動かない。

 そして――埃が舞い散る中、巨大な影が一直線にアインへと飛び込んできた。


「っ――!」


 アインが反射で身を捻る。

 次の瞬間、振り下ろされた大きな刀身が空気を裂いた。


「やっべ!」


 アインが短く叫び、間一髪でそれをかわす。

 まともに受けていたら、そのまま両断されていたほどの威力だ。

 現に床がぱっくりと割れているから。


 体勢を崩しかけながらも、アインは足を踏みしめ、強引に立て直す。

 彼は侵入してきた巨大な影を見て、苦笑いを浮かべた。


「おいおい、嘘だろう……?」


 アインの視線の先へ、私も顔を向ける。

 やがて舞っていた埃が地面に落ち、侵入者の姿が露わになる。

 正体が分かった私も、さすがに驚きを隠せず思わず目をぱちぱちと瞬かせた。


 そこにいたのは、ゼーアをも上回る巨躯の男だった。

 岩のような肩と腕。

 そして、人一人を叩き潰せそうなほど巨大な剣を、片手で軽々と構えている。

 

 ――彼こそが、中央騎士団の中でも最強と名高い男で、オーウェンの直属の上司にあたる、第二小隊長ガルフ・ガリレイ。

 その本人だった。


「……ほう、俺の剣を避けるとはな」


 低く、楽しげな声が響く。


「若造にしちゃあ、なかなかやるじゃないか」

「……はは」


 アインが乾いた笑みを漏らす。


「そろそろ、騎士団が来るとは踏んでたんだけどなぁ」


 その言葉に、私は妙な引っかかりを覚える。

 だけど、考えるより先に状況が動く。

 アインが一歩、距離を取り、その目がわずかに細められる。


「まさか、あんたがお出ましとはな。完全に予想が外れたわ」


 そして、肩をすくめる。


「てっきりオーウェンの方かと……」


 アインが言い終えるより早く、ガルフの剣が、再び振り下ろされた。


「うおっ! まだ喋って――!」


 慌てて跳び退くアイン。

 刃がかすめ、空気が裂ける。


「……おい、あんたそれでも騎士かよ」

「おかしなことを言う。戦場で長々喋るのは命取りだぞ」


 そう言ってガルフは即座に踏み込み、


「教わらなかったか?」


 そのまま、連撃をくわえる。

 重いはずの剣が信じられない速度で振るわれ、一振りするごとにぶんっと空気が揺れる。


 しかしその斬撃を、アインは後退しながら捌く。

 防戦一方かと思いきや、宵鴉最強の座は伊達ではないようで、隙をついてナイフを投げ、テーブルを蹴り飛ばし、破片を利用してガルフに攻撃する。


 が、それらはすべて跳ね返される。


「はっ……!」


 ガルフが低く笑った。


「若いもんに稽古つけてばっかだったが――」


 大剣を振り抜く。


「こうして本気で斬り合うのは、久しぶりでな!」


 重い一撃が叩き込まれる。


「っ……!」


 アインが右へ飛び退きながら、口元を歪める。


「はは、そりゃあ光栄だな……! けどあんた、ちょっと大人げなくないか? こっちは死にそうなんだけど」


 そう言いながらも、目はまったく死んでいない。

 むしろ――楽しんでいるようにすら見えた。


 分かってはいたけど、ガルフはとてつもなく強い。

 でも、それに食らいついているアインも、同じくらい異常だった。


 何度か似たような攻防戦を繰り広げながらも、戦況は全く動かない。

 それに対して、苛立ったようにアインが舌打ちをする。


「ちっ……。あんたと正面からやり合うのは、分が悪いな」


 その言葉を残し、アインの姿がふっと視界から消えた。

 次の瞬間に、ガルフの背後から音もなく現れ、死角からの一撃が入りかけ――。


 ガキィン!!


 ガルフが振り向きざまに大剣でそれを弾き、そのまま間髪入れず横薙ぎに振り抜く。


「マジかよ……! 俺完璧に気配消してたんだけどっ!?」

「勘だ」

「っ、化け物か!」

「お互い様だ!」


 壮絶にして苛烈。

 こんな戦いを、私はこれまで見たことがない。

 一瞬でも当たれば命取りの攻撃を、二人とも間一髪でかわし続けている。


 もちろん、私はぼんやり観戦していたわけじゃない。

 ガルフは私を逃がすために、あえてアインを引き受けているのはわかっている。

 現に扉の外には、第二小隊の騎士たちの姿も見えた。

 本当なら急いで逃げないといけないんだけど……。

 唯一の出口である扉の前で二人がぶつかり合っているため、どうすることもできない。


 多分、アインもそれを読んでいるからこそ、あの場所から動かない。

 かといってどちらも互いへの集中を切らせば、その隙をついて攻撃されるため、どうすることもできない。


 少しでも隙ができれば、あのドアまで走って逃げ出して……でも、私の体にはまだ毒が残っているせいで、そんなに力は入らない。

 走り抜けるのは難しそうだ。


 その時だった。


 ガラス窓の下で倒れていたゼーアの巨体が、むくりと起き上がった。

 あ、まずい。

 同時に、アインが叫ぶ。


「ゼーア! ブレアを捕まえろ!」


 来る――!


 重い足音とともに、ゼーアがこちらへ踏み込んでくる。

 腕が伸びる。

 が、遅い。

 体は万全じゃないけど、それでも見える。

 私はぎりぎりのところで身を捻り、その手をかわした。


「逃げるな!」


 無茶を言う男だ。

 この状況、普通に考えたら逃げるに決まってるじゃないか。

 しかしゼーアは諦めず、私へと迫ってくる。

 その動きを避けながらも、頭の中で次の一手を考え続ける。


 変わらずドアの前は通行止めだ。

 二人のどっちかが倒れるまで待ってもいいけど、ガルフが負けた場合、私の負けが決まる。運要素が強すぎる。


 他に何か方法はないかと周囲に視線を向ける。

粉々になった椅子、破壊された壁、と巡らせたところで、ふとある一点で止まった。


 ――さっきゼーアが叩きつけられた、あの窓。

 私が椅子で殴ってもびくともしなかったそれに、今はひびが入っている。

 多分、あと一撃で割れそうだ。


 思い出されたのは、ゼーアが拳で石板くらいなら砕ける、と自慢していたこと。

 なるほど、これは使えるかも。


 そして私は鉄格子から外を見つめる。


 その瞬間、私は一瞬だけ目を見開き、けれど視線を止めずに部屋の中へと視線を戻す。


 この状況で私の取れる最善策は何か。

 簡単な話だ。

 ドアから逃げられないなら……。


 私はやみくもに逃げ回るのをやめ、割れかけの窓の方へと逃げる。

 ゼーアの腕は私を掴むことができないけど、彼は私を部屋の隅に追い込んだといい感じに勘違いしたようだった。


「残念だが、ここまでだ」


 背中にひやりとした窓ガラスが当たる。

 逃げ場がなくなったと思ったらしいゼーアが、嬉しそうに目を細めて私を見る。

 だけど私は臆することなく、あえてにやりと笑ってみせた。


「あなたって、思ったより遅いんですね」


 さっきのアインとのやり取りを見た時に、なんとなく彼は挑発に乗りそうな気がしたのだ。

 案の定、ぴくりとゼーアのこめかみが跳ねた。

 実に分かりやすい。

 それを確認しながら、私はさらに言葉を続ける。


「私、体調は万全じゃないですけど。それでもあなたの動きは簡単に見切れましたよ?」

「っ!」

「その筋肉って、見掛け倒しだったんですね」

「ゼーア! 挑発に乗るんじゃねぇ……」

「よそ見をする暇があるのか!?」


 アインの台詞はガルフにかき消され、アインは舌打ちをしながらガルフの剣を避ける。

 あの状況でよくこっちのことまで把握できるものだ。

 だけど、彼の言葉はゼーアには届いていないようだった。


 あともう少しかな。

 彼の表情からそう読み取り、私は、とどめとばかりにゼーアが最も激高しそうな台詞を選ぶと。

 わざと、言葉を選ぶように一拍置いてから言った。


「だからあなたはアインに勝てないんですよ」


 その瞬間、


「その名を出すなぁぁぁっ!!」


 叫びながら、ゼーアが踏み込んでくる。


 速い。

 さっきまでとは段違いの速度で、一直線に向かってきて、私を捕まえるというより、壊すためにその拳が振り上げられる。


 ――来た。

 私はそれが自分の体に当たる寸前、身を横へ滑らせた。

 同時にゼーアの拳がそのまま窓へ叩き込まれ、


 バキィン!!


 ひびの入っていたガラスが砕け散り、外気が一気に流れ込んできた。


「このっ!」


 ゼーアの腕が、私の手首を掴もうとすぐに伸びる。


 ――予想通り。

 私は指輪をわずかに滑らせて針を出し、彼の手の甲に思い切り突き刺した。


「っ……!」


 針の先端の毒はなくなったけど、ちょっとした武器としては十分に使える。

 痛みから反射的にゼーアが後ろに下がる。

 その隙に、私は窓へ一歩踏み出す。


 そして振り返り、口元を吊り上げると、小さく呟いた。


「――ありがとう」

 

 甲を押さえたゼーアが目を見開く。

 自分が何をさせられたのかようやく理解したようだけど、もう遅い。


 扉の前の二人もこちらの状況に気づき、ほんの一瞬だけ剣戟の音が止まった。


「待て……」


 何かを察したらしいアインが叫ぶけど、私はほんの一瞬だけ、悪戯っぽく舌を出してみせる。


 そして砕けた窓枠に足をかけ――そのまま、躊躇なく外へと身を投げ出した。



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