24.残された手掛かり(オーウェン視点)
第二小隊の詰め所に一本の報告が届いたのは、夕刻を少し過ぎた頃だった。
机の上には王都周辺の地図が広げられ、赤い印がいくつも打たれていた。
小隊の面々は聞き込みに散り、詰め所に残るのはオーウェン一人。
徹夜明けとは思えない静けさで、彼は報告書の束に目を落としていた。
と、その時、詰め所の扉が勢いよく開いた。
「副隊長!」
息を切らしたベイクが飛び込んでくる。
「どうした」
「旧街道の郵便馬車の屋根で……妙なものが見つかったそうです」
「妙なもの?」
ベイクは息を整えながらも端的に答えた。
「漆喰の塊を包んだ布が見つかったらしくて……それがレイバン家の紋章入りのハンカチだったんす。しかも血で文字が書かれてるって」
「っ、本当か」
オーウェンの視線が鋭く上がる。
郵便馬車は、街道を走る便の中でも特に管理が厳しい。
中継所では必ず馬の交換と荷の確認が行われる。
そして、走行中に落下物があると事故の原因になるため、係の者が屋根の上も必ず確認する決まりになっていた。
「実は、この便で二回続けて屋根から漆喰の欠片みたいなやつが落ちてたらしくて。だから今日も中継所の係が念のため確認したらしいんす。そうしたら、それが乗ってたと」
報告を聞きながら、オーウェンは既に立ち上がっていた。
「場所は」
「旧街道の第二中継所っす」
「分かった。行くぞベイク」
「了解っす!」
旧街道の中継所は、王都から少し離れた小さな宿場だった。
郵便馬車が止まり、馬を替えるための簡素な厩舎と、荷の確認を行う建物が並んでいる。
すでに事情は伝わっていたらしく、係の男が慌てた様子で二人を迎えた。
「オーウェン様、こちらです」
案内された奥の机の上に、それは置かれていた。
白い布の包みで、一度ほどかれたらしく、四隅は結ばれておらず、漆喰の欠片を隠すように軽くかぶせ直されている。
オーウェンは無言のまま近づいた。
もしそれがブレアのものなら……。
だがまだ断定はできない。
オーウェンは手袋をはめ、慎重に布を取った。
そこにあったのは、子供の拳ほどの大きさの漆喰の欠片だった。
大事なのはそれを包んでいた布の方だ。
白いハンカチを広げた瞬間、オーウェンの視線が止まった。
中央に刺繍されたものは、間違いなくレイバン家の紋章だった。
ベイクが息を呑む。
「……副隊長」
オーウェンは答えない。
視線はハンカチに落ちたままだった。
紋章の横。
そこに、滲むように書かれた一文字がある。
血で書かれた文字は――Mの一文字。
一瞬だけ、時間が止まったような感覚がした。
宵鴉の仕業か。
最初に浮かんだのは、その可能性だった。
彼らはすでにブレアの髪を送りつけている。
心理を揺さぶる手段を躊躇なく使う連中だ。
血を使った痕跡を残すことなど、彼らにとっては
造作もない。
特にアインは、自分の腕を誇示するような真似を平然とやる。
証拠を残すことすら、盤面の一手として楽しむような男だ。
――だが。
オーウェンの視線が、血文字に落ちる。
違和感があった。
もし宵鴉が血を使うなら、こんな遠回しな方法は取らない。
レイバン家に直接送りつける方が、よほど効果的だからだ。
だとすると、これは――。
オーウェンの胸の奥で、もう一つの可能性が静かに浮かび上がる。
もしもブレアが、自分で残した印だとしたら。
……血はどうやって手に入れたのか。
敵に傷付けられたのか。いや――。
ふとオーウェンの脳裏に、彼女の指輪が浮かぶ。
あれに仕込まれているのは毒針だ。本来は相手を無力化するためのものだが――。
ブレアなら、自分の指に刺すくらい躊躇わない。
呆れるほど無茶をするし、土壇場での精神力は目を見張るものがある。
だが同時に、それが一番しっくり来る。
指先が、わずかにハンカチを握る。
オーウェンはゆっくりと息を吐くと、ベイクに短く命じる。
「……回収する」
ベイクが小さく頷き、ハンカチを丁寧に畳み、布袋へ入れるのを横目で見ながら、他にもいくつか命を下す。
「ベイク、この件はまだ公表するな。共有は第二小隊のみ。他小隊には決して流すな」
ジェームズを犯人だと断定したわけではない。
だが、今この情報を広げるのは危険だ。
この状況で、オーウェンが完全に信頼できるのは第二小隊だけだった。
「ガルフ隊長と他の面々には、これから俺が直接報告する。お前はここに残って、この郵便馬車の経路を洗え。どこからどこまで走ったか。途中の中継所、目撃者、すべて確認してから戻ってこい」
そうすることで、ブレアが捕らわれているであろう場所がかなり絞れるはずだ。
ベイクの顔が引き締まる。
「分かりました!」
そして近くにいた郵便馬車の職員にも、このことは他言無用でと念押しする。
すると男は、はっとしたように姿勢を正した。
「もちろんです。新聞で読みました……愛する奥様のために、指揮を取られていると」
そう言って、少しだけ声を落とす。
「必ず助けてあげてください」
一瞬だけ沈黙が落ちた。
オーウェンは男を見て、短く頷く。
「ああ、当然だ」
それだけを言って、踵を返す。
ブレアは、必ず俺が助け出す。
その決意を胸の奥に押し込みながら、オーウェンは中継所を後にした。
詰め所へ戻ったオーウェンは、その足でガルフの執務室へ向かった。
扉を叩くと、低い声が返ってくる。
「入れ」
中へ入ると、ガルフが机の前で腕を組んでいた。
「何か見つけたって顔だな」
オーウェンは現場から持ってきた布袋を机の上に置いた。
「これを」
ガルフが袋からハンカチを取り出す。
レイバン家の紋章と血文字を見つめ、しばらくの沈黙のあと、ガルフが言った。
「……Mか」
「旧街道の郵便馬車の屋根から見つかりました」
「なるほど」
ガルフはハンカチを机に置き、腕を組んだ。
「悪いがジェームズの方は、まだ決定打はない。だが、妙なことは分かった」
「何ですか」
オーウェンは短く問う。
ガルフは少し言葉を選ぶようにしてから続けた。
「数か月前の足取りを洗った。あいつ、王都の裏通りのさらに奥にある辺りをうろついていたらしい」
オーウェンの視線がわずかに鋭くなる。
その辺りは、普通の騎士が単独で出入りするような場所ではない。
情報屋や裏稼業の人間が集まる警戒区域だ。
調査で入ることはあっても、その場合は必ず複数で動く。
だが。
「……ジェームズは一人だった」
「そういうことだ」
ガルフは短く言った。
執務室の空気が、わずかに重くなる。
単独行動。
それ自体が違反というわけではない。
だが、宵鴉やそれ以外の犯罪組織を追う調査でそ
れをやる人間はいない。
危険すぎるからだ。
ガルフはさらに続けた。
「その情報屋が、もう一つ妙なことも言っていた」
「何です」
「ジェームズは、誰かを待っているように見えたそうだ。酒場の中に入るわけでもなく、周囲を気にしながらしばらく路地に立っていたらしい。まるで誰かと落ち合う場所を探しているみたいだったと」
どれも、それだけでは決定的な証拠にはならない。
偶然という説明もつく。
だが、すべてが重なると、違和感は無視できなくなる。
「まあ、この程度でもまだ証拠にはならん。あいつが裏通りに行っていた理由なんて、いくらでも言い訳できるからな」
「はい」
オーウェンは静かに答える。
だが、ジェームズへの疑いは確実に強くなっていく。
「……引き続き監視をお願いします」
「分かってる」
ガルフは心得ているとばかりに力強く頷く。
「奴の動きはこっちで見張る。証拠が出るまでは泳がせるしかねぇ」
数秒の沈黙のあと、オーウェンが口を開いた。
「……隊長、もう一つお願いがあります。このハンカチの件は、第二小隊にしか共有していません。ジェームズにはまだ知らせないでください。できれば意識を別の方向へ向けてもらえませんか」
ガルフはすぐに意図を理解したらしく、小さく息を吐いた。
「なるほどな」
もしジェームズがこの件に関わっているなら、ハンカチの存在を知られれば、動きが変わる可能性がある。
最悪の場合、宵鴉側へ情報が流れる。
それだけは避けなければならない。
「偽情報でも構いません。捜査が別の方向へ進んでいると思わせたい」
ガルフは口の端をわずかに上げると、椅子から立ち上がる。
「……こっちの方は任せておけ。捜査の方向が港の方に向いてるってことにでもしておくか。あいつも喜んで飛びつくだろうよ」
「ありがとうございます」
「時間は俺が稼ぐ。その間にお前はお前の仕事をしろ」
そう言い残し、ガルフは執務室を出ていった。




