21.疑念の芽(オーウェン視点)
オーウェンのいる第二小隊の詰め所は、夜が更けてもなお慌ただしかった。
机の上には王都周辺の地図が何枚も広げられ、各所に印が付けられている。
中央騎士団は第一から第六まで全小隊が動員され、王都中で聞き込みと捜索を続けていた。
その指揮を執るのは、第二小隊副隊長のオーウェンだ。
報告書、城門の出入り記録、怪しい馬車の目撃情報。
積み上がる紙束を前に、オーウェンは次々と目を走らせていた。
「東門から出た黒塗りの馬車は?」
「商会の荷運びでした。荷主も御者も確認済みです」
「南は」
「二件。ですが片方は貴族家の私有馬車、もう片方は荷台付きで、成人女性を乗せていた形跡はありません」
「分かった。次」
短く指示を飛ばしながらも、頭の奥は少しも休まらない。
王都の外へ運び出された可能性はゼロではない。だからこそ、まずは城門を通った馬車の記録を徹底的に洗っている。
だが、ブレアの性格と3億ダルクという金額を思えば、まだ王都内にいる可能性が高い。
オーウェンは捜査の軸を、人通りの少ない外縁部へ絞り始めていた。
ブレアを連れて消えた男は治療院の方角へ向かい、その先で痕跡が途絶えている。
ならば、あの周辺で馬車に乗せ替えられた可能性が高い。
どこかの貴族や商家の邸宅の地下にでも捕まっていたら、捜索は難しい。
だが、あの治療院の周辺は貴族や商家の住居エリアからはかなり離れている。
人通りも少なく、旧街道へ抜ける道も多い。
つまり――人目を避けて馬車に乗せ替えるには、都合のいい場所だった。
しかし、決定打はまだ見つかっていない。
すると、外から戻ってきたベイクが息を切らしながら駆け寄ってきた。
「副隊長! 新聞社の方っすけど」
声をかけられ、オーウェンは顔を上げる。
「どうだった」
「最初に情報を持ち込んだ相手は分からないそうっす。手紙が投げ込まれていただけだと。差出人不明で、脅迫状の文面と金額、それから――『オーウェン副隊長が自ら妻の救出指揮を執る』とまで書かれていたらしいっす」
「……それを確認もせずに、王都中へ流したのか」
オーウェンの声が低くなる。
「レイバン家令嬢の誘拐、高額な身代金、愛する妻を救う騎士――話題としては十分だって。号外も飛ぶように売れて、かなり儲かったって笑ってました」
ベイクが顔をしかめる。
「……本当、あいつらふざけてる!」
オーウェンは数秒、黙っていた。
胸の奥には、言葉にできないほどの苛立ちが溜まっている。
だが今は、それに構っている暇はなかった。
「その手紙は残っているんだな」
「はい」
「回収してこい。紙質、筆跡、封蝋、すべて確認する」
それから一拍置いて続ける。
「ついでに新聞社の編集長に伝えておけ」
オーウェンは淡々と言った。
「捜査を妨害する報道が続くようなら、騎士団として正式に抗議する。場合によっては営業停止もあり得る、と」
ベイクの目が丸くなる。
「……それ、結構きついっすね」
「人質がいる事件だ。面白半分で煽られては困る」
攫われたのがブレアでなかったとしても、同じ反応をしただろう。
だが、自分でも気づかぬうちに、声は思っていた以上に冷たくなっていたらしい。
ベイクがびくりと肩を震わせ、了解っす! と叫ぶと、ベイクはそそくさと持ち場へ戻っていった。
オーウェンはベイクの後ろ姿を見ることなく、無言で机の上の紙を指で叩きながら情報を整理する。
手紙が投げ込まれたのは、王都でも主にゴシップ記事を流す三流の新聞社。
だから彼らが面白半分でそのネタを拡散すること自体は、予想の範囲だった。
しかもあの情報は、ただ誘拐を騒ぎにしたかっただけではない。
最初から、オーウェンが表に引きずり出されることまで含めて流されている。
動いているのが宵鴉のアインだとすると、手紙を調べたところでおそらく何も出てこないだろう。
だが、一つ気になっていたことがある。裏路地に残されていた、あのガラスのボタンだ。
アインの性格からすれば、あれは彼らしくないミスに見える。
だがもし、あえて残したのだとしたら。
――まるで盤上の駒でも動かすように、ブレアを攫ったのではないか。
そう考えた瞬間、胸の奥に鈍い怒りが灯る。
と、詰め所の奥から別の騎士が早足で近づいてきた。
「副隊長、ガルフ隊長が呼んでいます」
オーウェンは気持ちを落ち着かせるようにふっと息を吐くと、
「どこにいる」
「執務室です」
オーウェンは椅子を引き、すぐさま立ち上がった。
「ここはそのまま続けろ。海岸沿いの倉庫街、旧街道沿いの空き家、使われなくなった別邸、その他怪しい場所を洗い出して地図に落とせ」
「はい!」
背後で飛ぶ返事を聞きながら、オーウェンはガルフの待つ部屋へ向かう。
扉を開けると、薄暗い部屋の中にガルフが腕を組んで立っていた。
机の上には帳面が一冊置かれている。
「何か分かりましたか」
オーウェンが問うと、ガルフは声を落とす。
「ジェームズだが、怪しい動きがある」
その一言で、部屋の空気が一段重くなった。
オーウェンは表情を変えないまま、机に視線を落とす。
ガルフは帳面を開き、数行に印の付いた箇所を指で示した。
「二カ月前、第五小隊名義で情報提供費の申請が出ている」
それは、情報提供者に支払われる金だった。
身元保護のため詳細を残さないことも多く、小隊長や副隊長の裁量で処理される場合が多い。
「金額は……二十万ダルク」
「情報提供者は匿名だ」
ガルフは淡々と続ける。
「しかも、その情報は報告されていない」
つまり――金だけが消えている。
だが、それだけではなかった。
「この日を含めてジェームズは計三回同じ額を申請している」
オーウェンはすぐに計算する。
「……三回で六十万ダルクですね」
「もしも奴が宵鴉を雇ったと仮定して、相場からすれば前金としては少ない。だが――」
ガルフは帳面を閉じた。
「ブレア嬢の身代金を成功報酬に充てるの考えれば、宵鴉が動くには十分だろう。それに、あいつは妙にこの件を気にしている。お前はここにずっといたから知らないだろうが、俺にやたらと捜査の進展を聞いてくるんだ」
本部で顔を合わせた時も、友人としていつでも力を貸す、と言ってくれていた。
だが、ガルフがこう言い方をするということは、彼の行動にそれ以外の何かを感じているからだろう。
確証はないが、少しずつジェームズへの疑惑は深まっていく。
ガルフは息を吐き、帳面を閉じると、少し言いづらそうに言葉を切った。
「……同じ騎士団の人間を疑うのは、本来ならやりたくないが。気になる話を聞いた」
オーウェンは何も言わず、続きを待った。
「ジェームズは最近、お前のことをよく話していたらしい」
ガルフは苦い顔をする。
「表向きはあいつは愛想のいい男だ。だが、酒の席で少し口を滑らせたらしい」
オーウェンは黙って聞いている。
「自分と同じ副隊長なのに、お前の方が上に気に入られているとか、民衆の人気が高いとか……そんな話だ。まあ、その程度の愚痴なら珍しくもない。ただ、その場にいた奴が変なことを言っていてな」
「変なこと?」
「ああ。ジェームズの目がな、酔っている奴の目じゃなかったそうだ。……ただの愚痴じゃなく、本気で腹に据えかねているようだった、と。もっとも、そいつも酒が入っていた。どこまで当てになるかは分からんがな」
その言葉で、オーウェンにはいくつか思い当たる節があった。
以前、立てこもり事件が発生した際、第五小隊との共同作戦にあたった時のことだ。
ジェームズとオーウェン、どちらの策を使用するかという話になった際、満場一致でオーウェンの案に決まった。
第五小隊ですら、オーウェンの考えを推した。
結果的にその作戦が功を奏し、負傷者ゼロで事件は解決したが。
『お前は本当にすごいよ』
そういった言葉の裏に、何か別のものが混じっている気がしたことは、一度や二度ではなかった。
酒の席での話を、そのまま証拠として扱うつもりはない。
だが、無視していい情報でもなかった。
金の流れ。
この件への執拗な関心。
そして今の証言。
それらが揃うと、疑いを捨てる理由の方が見つからなかった。
「さて、どうする。今の時点であいつを押さえるか?」
低く問われ、オーウェンは迷いなく首を横に振る。
「今ジェームズを捕らえた場合、証拠不十分ですぐに解放されるでしょう。もしも彼が犯人だったとして、宵鴉側に異変が伝わる可能性がある。人質を移すか、最悪の場合、口封じに動かれるかもしれません。どちらにせよ、こちらに利はありません。だから今は……機を待ちます」
それは騎士として当然の判断であると同時に、自分に言い聞かせる言葉でもあった。
ジェームズとは付き合いがある。
普段は気さくで、穏やかで、話しやすい男だ。
正直、知っている人間を疑うのは、心のどこかが軋むように痛むが……。
疑うべき時に疑わず、見逃していい立場ではない。
オーウェンはゆっくり息を吐いた。
「ガルフ隊長、お手数をおかけしますが、引き続き調べてください」
「もちろんだ」
「重ねてお願いが。彼に監視を付けることはできますか」
「もう付けてる」
「さすがです」
「お前に言われる前にな」
ガルフが鼻を鳴らすように言い、オーウェンもごく わずかに口元を緩めた。
だがそれも一瞬で消える。
「俺は引き続きブレアの足取りを追います」
3億ダルクと、48時間。
あれは時間を稼ぐための数字だ。
ならばブレアは、助けが来る前提で動いているとオーウェンは思える。
彼女がただ待っているだけのはずがない。
どこかに必ず痕跡を残そうとする――そう信じられる相手だった。
「……無茶はするなよ」
ガルフがぼそりと言う。
「今お前まで倒れられたら面倒だ」
「承知しています」
「全然そういう顔してないが」
「隊長」
「何だ」
「ブレアを助けた後なら、いくらでも叱られます」
「言うようになったな」
短くそう言って、ガルフは執務室に残った。
オーウェンは扉を開けて執務室を出ると、第二小隊の詰め所を抜け、廊下へ出た。
その時だった。
「オーウェン」
聞き慣れた声が、横合いから飛んできた。
足を止め、視線を向ける。壁際の窓辺に立っていたのは、ジェームズだった。
柔らかな茶色の髪をきちんと撫でつけ、いつも通り穏やかな表情を浮かべている。
どこから見ても、優しい好青年にしか見えない。
「大丈夫か?」
「はい」
「少し休んだ方がいい。顔色が良くないぞ」
そう言いながら近づいてくる足取りに、普段と変わったところはない。
だからこそオーウェンは、わずかな違和感も見逃すまいと、目の前の男を注意深く観察した。
声音は柔らかく、気遣いに満ちている。
それでも、オーウェンの胸の奥で鈍く何かが鳴った。
「進展はあったか?」
「まだです」
「そうか……。宵鴉が相手だと大変だもんな」
既に騎士団内部では、宵鴉が関わっていることが情報として共有されている。
だから今、ジェームズがその名前を出したことはおかしなことではないが。
疑いを差し引いて見ても、やはりどこか不自然だった。
だが、オーウェンはそんな疑いを持っているとは悟られないよう振舞う。
「今は何も証拠が見つからず……正直に言えば難航しています」
表情一つ動かさなかったが、あえてオーウェンがそう言い方をすると、ほんのわずかにだがジェームズの眉がピクリと上がった。
「君ほどの人間でも、まだ手掛かり一つ見つけられていないと」
そしてジェームズは、まるで今の自身の表情を隠すように口元に手を当てると、あくまでも優しい友人の声でオーウェンに言った。
「早く見つかることを願ってるよ」
が、その後で何かを思い出したように声を上げる。
「……そうだ。第五の隊員が、さっき倉庫街で妙な人影を見たと言っていた」
「妙な人影?」
「ああ。黒い外套を着た男だ。こんな時間に倉庫街をうろついていたらしい」
まるで宵鴉を連想させる言い方だった。
オーウェンは静かに頷く。
「情報ありがとうございます。確認してみます」
「では僕から伝えておく。何か分かればすぐに知らせる」
「ありがとうございます」
礼を言っても、ジェームズはすぐには立ち去らなかった。こちらの反応を見ている。
どこまで掴んでいるのか――それを測ろうとしているようだった。
オーウェンもまた、相手を見ていた。
同期のよしみ。
親しい友人。
穏やかな男。
そのどれもが、今は薄い膜のように感じられる。
先に目を逸らしたのはジェームズの方だった。
「じゃあ、無理はするな」
「はい」
軽く手を上げ、ジェームズは廊下の向こうへ去っていく。
その背中が見えなくなるまで見送り、オーウェンはようやく息を吐いた。
今の言い方は、こちらの進捗を量るためのものに聞こえた。
どこまで掴んでいるのか、探りに来たようにも思える。
だが、自身の勘だけではどうすることもできない。
必要なのはあの男が関わっているかもしれない証拠だ。
彼が犯人なら、倉庫街という情報を寄越したのは、こちらの目を逸らすためだ。
「倉庫街は王都の東側だったな……」
もしそちらに多くの騎士を動員した場合、他の捜索場所が手薄になる。
例えば――倉庫街の反対側にある、旧街道沿い。
オーウェンは踵を返し、詰め所へ向かって歩き出した。
焦るな。
証拠を積め。
ブレアはきっと、どこかで動いているはずだ。
ならば自分も、立ち止まるわけにはいかなかった。




