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婚約破棄をでっち上げられた商人令嬢は、面倒ごとを避けるため堅物騎士と契約結婚します。〜これで仕事に集中できる!〜  作者: 春樹凜
第二部

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20.誘拐犯の観察日記



「いい感じです」


 手鏡を覗き込みながら、私は満足げに声を上げる。


「あなたが一番手先が器用だと思ったんですよね」


 そう言うと、後ろで鋏を持っていたアインが、呆れたように息を吐いた。


「……あんたの肝の据わりっぷりには感心する」


 鏡越しに赤い瞳がこちらを見る。


「普通、俺の正体を知ったうえで『髪を綺麗に切ってくれ』なんて言わねぇからな」


 現在、私が何をしているかというと――。

 さっき乱暴に切られてしまった髪を、アインに整えてもらっているのだ。

 最初は毛先がばらばらなのが気になっていたけど、こうして整えてもらうと、なかなか悪くない。


「ついでに少し梳いてもらえますか?」


 そう頼んだら、案外あっさりと応じてくれた。

 おかげで髪はすっきり整った。


「完璧です」


 私は満足して頷く。

 誘拐されて仕事ができないこの時間を利用して髪を整えられたのだから、むしろ運がいいと言える。

 そんな私を、アインは興味深そうに眺めていた。


「……あんたさ、変わってるって言われないか?」


 そんな自覚はないんだけど。

 私なんてまともな方だ。

 だって我が家には、服のデザインのこととなると人が変わったようになるノーラお義姉様がいる。

 お父様だってダスティお兄様だって、それなりに変人だ。


 心外だと言わんばかりにそう答えたら、アインは小さく笑った。


「自分でまともだっていう人間に限って、大抵普通じゃないんだよなぁ。だからこそ、あんたは観察のしがいがある」


 観察、という言葉に、私はふと思い出した。


「そういえば」


 鏡越しにアインを見る。


「どうしてあなた、私とオーウェンの偽装結婚とか契約書のことを知っていたんです?」


 するとアインが、驚いたのか少し目を丸くする。


「なんだ、そんなあっさり認めるのかよ」

「え?」

「もっとこう、否定するとか言い訳するとかあるだろ」

「あなた相手に嘘は通じなさそうですし」


 あの時彼があてずっぽうで言った感じはなかった。

 私たちの関係について確信を持っている、そう言わんばかりの声だったから。


「否定したって時間の無駄ですから」


 私がそう言うと、アインは赤い瞳を楽しげに細め、笑いながら口を開いた。


「実は前から、あんたのこと観察してたんだよ」

「観察?」

「ああ。前にミリスのギルバートからの依頼が来た時から、個人的にちょっと興味があってな」

 

 さらっと言われたけれど、つまり、かなり前から私を見ていたことになる。


「で、結婚式の日、あの男と控室で話してただろ。契約書とか偽装結婚とか」


 そう言いながら、アインは懐から一枚の紙を取り出した。


「ほら、これ」


 差し出されたものを見て、私はさすがに目を見開いた。


「……それ」


 間違いない。

 私とオーウェンの結んだ結婚契約書だ。

 しかも控えではなく、貸金庫に預けていた正式な契約書の方だ。


「どうやってこれを?」


 思わず聞くと、アインはあっさり答えた。


「貸金庫の人間に化けて、ちょちょっとな」

「私を脅すつもりで?」

「そんなことしねぇよ。なんとなく面白そうだったからだ」


 ……なるほど。

 彼がそう言うなら、そうなのだろう。


 それよりも驚きだったのは、彼の取った方法だ。


「あなた、宵鴉で一番腕が立つんですよね? もっと暴力的に奪い取ったのかと思いました」


 私が言うと、アインは少し眉をひそめた。


「俺はあんまり荒っぽい手は使いたくないんだ」

「どうしてです?」


 そう聞くと、アインは少しだけ間を置いて――。


「血が嫌いなんだよ」

「…………」


 予想を超えた答えに、絶句してしまった。


 宵鴉の一番手が。

 あれほど強い男が。

 血が、嫌い?

 

「おいおい、そんなに驚くことか?」

「あ、当たり前じゃないですか!」


 誘拐や脅迫を平然とこなし、依頼人の要望があれば簡単に手を下す宵鴉なのに。

 血が嫌いでよく裏稼業なんてやっていられるものだ。


「過去に何かあったとか?」


 するとアインは少しだけ視線を逸らすと、ぽつりぽつりと語り始める。


「親父がな、宝石を加工する職人だったんだが。腕は良くても、ただの飲んだくれのクソ野郎でさ。ある時大喧嘩して、つい殴ったんだよ。そしたら血が出て」


 アインは嫌なものでも思い出したように顔を歪めると、淡々とした口調のまま言った。


「それ見て思ったんだ。……うわ、汚ねぇって」

「え」

「それ以来、血はできるだけ見ないで済む戦い方してる」


 言われてみれば、さっき部下を壁に叩きつけた時も、血は出ていなかった。

 なるほど、そういうことか。


「手先が器用なのは、親譲りですね」

「まあな」


 アインは軽く頷いた。

 私は彼の瞳を改めて見る。


 赤い色合いは、この国ではあまり見ない色だ。

 けれど、東の方に行けば、こういう特徴の人間もいると聞いたことがある。

 ならば彼の先祖は、その辺りからこの国に流れてきたのかもしれない。

 

「そういえば、どうして宵鴉なんてものになったんですか?」


 この質問に、アインはあっさりと答える。


「別に大した理由じゃねぇよ。昔、宵鴉の連中を俺がボコボコにしちまって」

「なんでそんなことに」

「酔ってた奴らに目つきが気に入らねぇって絡まれたんだよ。そしたらそのケンカを見てたボスから『強いなお前。入らないか?』って誘われた」

「それで?」

「暇だったから入った」


 あまりにも軽い理由に、私は思わず黙り込んだ。


「……本当にそれだけですか? 報酬に釣られた、とかではなく」

「ああ」


 アインは平然と頷く。


「俺、やりたいこととかねぇし。大体なんでもできるから、暇つぶしにはちょうどよかったんだよ」


 なるほど。

 確かに、この男は何をやらせても器用にこなしそうだ。


「まあ、殺しはやらねぇけどな。血が出ねぇ方法はいくらでもあるけど、死体は見たくねぇし」

「じゃあ宵鴉の依頼でそういう類のがきたら……」

「断るに決まってんだろ。それでも俺という存在がいるだけでも宵鴉の格が上がるからってんで、うちのボスにはそれでもいいから抜けるなって言われてんだよ」


 誰よりも強いのに、血が嫌いで殺しはしない。

 だからこそ厄介なのかもしれない。


 そんなことを考えていると、アインが思い出したように懐へ手を入れた。

 それから、懐から小さな包みを取り出す。

 中にはクッキーが入っていた。


「……それ」

「あ?」

「ローリーの店のですよね」


 言った瞬間、思い出す。

 閉店間際にお菓子を買いに来た、変装したアインのことを。


「あの時、お店にいたのって、私のあとをつけてたんですか?」

 

 けれどアインは即座に否定する。


「違う。あれはたまたまだ。俺はあの店の菓子が好きなんだよ。だって美味いじゃん。あんたがいたからむしろ俺の方が驚いたぞ」


 そう言いながら一枚取り出して食べる。

 つまりあれは偶然で、彼は本当に常連客だったらしい。


「甘いものが好きなんですね」

「頭も体も使うからな。昔は角砂糖かじってたが、最近はもっぱらこれだ」

「……美味しいんですか、砂糖」

「別に。まずい菓子よりましだっただけだ」


 私はアインと会話をしながらも、彼の情報を頭の中で整理していた。


 手先は異様に器用で、変装も得意。

 身体能力は高いのに、血を嫌い、殺しはしない。

 おそらく何をやらせてもそつなくこなす、天才肌の人間。

 そして、裏社会にいながら、その価値観はどこか外れている。

 危険な男のはずなのに、妙に常識的で、妙に自由で……。


 すると、アインが私を見てふっと笑う。


「俺のこと分析してるみたいだけど、無駄だぞ」

 

 どうもばれていたらしい。

 まあいいか。

 それより、誘拐されてから既に何時間も経っている。

 お昼ご飯としてサンドイッチをもらったんだけど、太陽の位置とお腹の虫から察するに、そろそろおやつの時間帯だ。

 

 私がクッキーをじっと見つめていると、アインが気づく。


「あんたこれ食いたいのか」

「はい」


 素直に答えると、彼はため息をついた。


「しゃあねぇな」


 彼なりの優しさなのか、わざわざ一番大きいのを取ると手渡してくれた。

 私はありがたく受け取り、ぱくりと口に入れる。

 やっぱりローリーのクッキーは、甘くて美味しい。

 こんな状況でも幸せな気持ちになれる。

 この事件が終わったら、彼には改めてお礼を言いに行こう。


 ひとしきり幸せ気分を満喫してから、私は試しにアインに聞いてみた。


「ちなみに犯人って誰なんです?」

「それは言えない」


 ……ですよね。

 宵鴉は捕まれば口を割るけど、捕まっていない状態では情報は漏らさない。

 しかもこの男は、お金で動くタイプでもなさそうだ。

 価値観というか、美意識のようなものがある。

 交渉しても、きっと言わない。


 そう結論づけた時だった。

 部屋の扉が開いて、宵鴉のメンバーの一人が入ってきた。

 アインは私の前から移動すると、状況を確認する。


「どんな感じだ?」

「アイン、レイバン家が動いてる。あの額はどうやら用意できそうだ」


 そこでアインは振り向いて私を見ると、ニヤッと笑う。


「あんたの言う通りだったな」

「だから言ったでしょう?」


 そして報告はもう一つ。


「騎士団も動き出した。予定通り、オーウェンが指揮を取ることになったと」


 ――予定通り。

 その言葉に、私は引っかかった。


 確かに、誘拐場所から考えて、この事件の管轄は第二小隊だ。

 だから第二小隊が動くのは自然。

 それなのに……どうしてオーウェンが?

 彼は副隊長で、普段現場の指揮は彼が取っているけど、こういう大きな事件の場合は隊長クラスが指揮を取る。

 

 オーウェンがガルフ隊長を差し置いて、自分から「指揮を取らせてくれ」と言うとは思えないし。


 ……もしも。

 この事件の目的の一つが、オーウェンをその立場に押し上げることだとしたら。

 そう考えたところで。


「……何か気づいたか?」


 気づけば、アインがすぐ近くに立っていた。

 何の足音もしなかったので驚いたけど、私は平然を装い、ゆっくりと首を振る。


「いえ、別に」


 でも頭の中では、考えがぐるぐる回っている。

 そんな私を見て、アインは満足そうに笑った。


「やっぱりこの依頼、受けて正解だったな」


 それから、扉へ向かって歩き出した。


「この状況でどこまで足掻けるか、せいぜい頑張ってみろよ」


 そう言い残し、アインは部下を連れて部屋を出て行った。



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