19.仕組まれた舞台(オーウェン視点)
オーウェンは箱の中を見つめたまま、しばらく動けなかった。
部屋の空気が重く沈黙する中、ダスティが口を開く。
「……ずいぶん乱暴な切り方だね」
けれどその隣で、カーターはすでに脅迫状の方へ視線を向けていた。
オーウェンは箱の蓋を閉じ、カーターと同じようにテーブルに置かれていた紙へ視線を落とす。
『ブレア・レイバンの身は預かった。48時間以内に3億ダルクを用意し、明後日の午後一時に中央広場の噴水前に置け。用意できなければ彼女の命はない』
ダスティが腕を組み、ゆっくりと呟く。
「……3億ダルクか」
ダスティとカーターが、ほとんど同時に顔を上げた。
「妙だな」
「ああ。妙だね」
オーウェンが顔を上げる。
「何がですか?」
ダスティが指で脅迫状を軽く叩く。
「金額だよ」
「多すぎるという意味ですか?」
3億ダルクといえば、王家の人間が誘拐された時に払う金額に匹敵する。
それほどまでの大金だ。
だが、ダスティはオーウェンの考えを否定するように首を振る。
「いや、そうじゃない。――あまりにも正確すぎるんだ」
言っている意味が分からず目を瞬かせるオーウェンの疑問に答えるように、カーターが静かに続ける。
「これって、ブレア個人の総資産額とほぼ同額なんだよね」
ダスティが小さく息を吐く。
「単なる偶然かもしれないけど、少し気になってね」
オーウェンは再び脅迫状を見る。
その言葉を聞いた瞬間、頭の中で何かが繋がった。
3億ダルク。
48時間。
妙に正確な数字。
そして――。
「……ブレアが考えた、という可能性はないでしょうか」
思わずオーウェンの口から漏れた言葉に、ダスティとカーターの視線が同時に向く。
「どういう意味かな」
ダスティが静かに聞く。
「誘拐犯は間違いなく宵鴉でしょう。ですが、仮に彼らであっても、彼女個人の正確な総資産額を把握することは難しいのでは?」
「そうだ。正確な金額を外に伝えているわけでもない。まして帳面に記しているわけでもない。それでもうちの家族はあらかた把握している」
カーターの言葉通りだとするなら。
「それなら、なおさらブレアがこの条件を動かした可能性が高いかと。金額を吊り上げ、期限を伸ばせば、そのぶん捜索の時間が稼げる……俺の知るブレアは、そういう算段を立てて実行できる人です。それに」
オーウェンは脅迫状を窓の光に透かした。
かすかな筆圧の跡を確かめると、ダスティから借りた鉛筆で紙の表面をなぞる。
浮かび上がったのは、一枚上に書かれていたと思しき文面だった。
「見てください。ここにうっすら残っている跡には、24時間以内に1億ダルクという文字が見えます。もしかすると当初はこの予定だったのでは」
「じゃあ、宵鴉が直前で内容を書き換えたとか? ブレアがそうするように持っていったって考えたら……」
「はい。彼女ならありえます」
断言するようなオーウェンの声に、カーターが思わず目を細めた。
「なるほど、君はうちの娘のことをよく分かっているらしい」
「確かにブレアならやりそうだよね」
ダスティも苦笑し、肩をすくめる。
「だけどあの子は無意味な引き延ばしはしない。なら……ブレアは48時間以内に捜索できる範囲、つまり王都内にいると思っていいね」
ここで、黙って話を聞いていたベイクが、どこか遠慮がちに手を挙げた。
「あの、でも……普通そこまで考えられます? いきなり攫われて監禁されてるんですよ。俺なら絶対、頭真っ白になりますけど……」
一瞬、部屋が静まり返った。
そして――。
「いや、ブレアならやるね」
ダスティがあっさりと言って、カーターも迷いなく頷く。
オーウェンも二人と同意見だった。
「レイバン家の財産が奪われる危機に瀕しているんだ。ブレアがその様を指をくわえて見ているとは思えない」
恐怖をまったく感じていないわけではないだろう。
だがブレアは、レイバン家の血を受け継いでいる。
たとえ自身の身が危機に瀕していたとしても、部屋の隅で泣きながら震えて助けを待つことはしないだろう。
むしろ相手が宵鴉だろうと、心の中はやる気満々で、怯まずに交渉しそうなものだ。
――だからこそ、必ずブレアを助け出さなければ。
オーウェンがぐっとこぶしを握り締める。
その時だった。
応接室の扉が勢いよく開く。
「副隊長!」
息を切らした騎士が飛び込んできた。
オーウェンが振り向く。
「大変です!」
「何があった」
騎士は息を整える暇もなく言った。
「ブレア・レイバン誘拐の話が、もう王都中に広まってます!」
その言葉に、部屋の空気が一瞬凍りついた。
「……何だって?」
オーウェンが低く呟く。
「新聞社に情報が流れたらしく、今脅迫状の内容も全部書かれたものが号外としてあちこちで配られています。貴族街でも商業区でも、その話でもちきりです!」
オーウェンは眉をひそめる。
自分たちが脅迫状のことを知ったのはついさっきだ。
それなのに号外が配られ始めたのは、それよりも少し前だという。
「早すぎるな。この件を知っている人間は、まだ限られているはずだ」
オーウェンの胸の奥に、嫌な感覚が走った。
「他に知っている者は?」
騎士が慌てて首を振る。
「いないはずです! 俺たち第二小隊もさっき知ったばかりで、まだガルフ隊長にしか報告できていません」
続けてカーターに目を向けると、彼も即座に否定する。
「脅迫状を私の元に届けに来た家令だけだ。それ以外に知らせてはいない」
それなのに、事件はすでに王都中に広まっている。
オーウェンはゆっくりと息を吐いた。
「……誰かがわざと広めているのか? となると、考えられるのは犯人か」
少なくとも、宵鴉と通じている人間がいる可能性が高い。
だとすると、犯人はいったい何の目的があって……。
「新聞社に行って、誰から情報があったのか急いで聞き出してこい。ベイクも一緒に行ってくれ」
「了解!」
オーウェンの命を受けて、二人が急いで応接室を出て行く。
と、今度は別の騎士が入れ替わりに入ってくる。
「副隊長、本部から呼び出しです!」
「……本部から?」
「はい! 至急来るようにと」
オーウェンは静かに頷いた。
「分かった」
おそらくブレアの誘拐事件の話が、上にまで届いたのだろう。
オーウェンは、カーターとダスティを見る。
「俺は騎士団本部へ行きます。……ブレアのことは、必ず助けます」
そう言い残し、オーウェンは応接室を出て本部へと向かう。
騎士団本部へ到着したオーウェンは、そのまま上階の会議室へと通された。
扉を開けた瞬間、思わず足が止まる。
部屋には中央騎士団の団長と副団長、近衛・地方の団長たち、そして最奥には騎士団総監まで揃っていた。
そしてその隣には、同じく呼び出されたらしいガルフの姿もあった。
「来たか」
中央騎士団の団長ピーター・ライレイが低く言うと、まずはガルフが声を上げる。
「中央騎士団第二小隊隊長、ガルフ・ガリレイ、参上しました」
続けてオーウェンも背筋を伸ばし、敬礼する。
「同じく中央騎士団第二小隊副隊長、オーウェン・ハーヴェスト、参上しました」
「楽にしろ」
二人の敬礼を前に、騎士団総監が静かに言った。
オーウェンたちは姿勢を戻す。
するとピーターが、机の上に置かれていた新聞を持ち上げると、紙面を見せる。
そこには、大きくこう書かれていた。
『大商家レイバン家のブレア誘拐 3億ダルク要求 明後日に受け渡しか』
「話の概要はすでに聞いている。 だが、こちらが何も発表しないうちに、王都中がその話で持ち切りだ。貴族社会でも大騒ぎになっている。 ――騎士団は何をしているのか、と。」
そしてピーターは、険しい目つきで二人を睨む。
「今回の事件はすでに単なる誘拐ではない。騎士団の威信が問われる問題になっている。この意味が分かるな」
もし救出に失敗すれば、騎士団の名誉は地に落ちる。
そう言いたいのだろう。
言葉にされずとも、意味は十分伝わった。
オーウェンがゆっくり頷くと、ピーターは隣のガルフへゆっくりと視線を向ける。
「本来なら、この事件の指揮は小隊長であるガルフが執る。だが――世間はそう思っていない。新聞社の連中が派手に煽ってくれたおかげでな」
ピーターは、机の上にあったもう一つの新聞を持ち上げる。
そこには大きな見出しが踊っている。
『愛する妻を奪われた騎士、副隊長オーウェンが捜査の指揮を取る』
「そういうわけで、王都の人間は皆、お前が指揮を執ると思っている。そして、お前なら必ず妻を救い出すともな。騎士団として、世論を無視するわけにもいかない」
そして、ピーターはまっすぐオーウェンを見る。
「オーウェン・ハーヴェスト。今回の救出作戦の指揮を、お前に任せる。異論は認めない。いいな」
部屋の空気が張りつめる中、オーウェンはその視線をまっすぐに見返し答える。
「承知しました。必ず任務を完遂します」
と、ここでずっと無言を貫いていた総監が、ゆっくりと口を開く。
「失敗すれば責任はすべてお前が負うことになる。だが――成功すれば、その名誉もすべてお前のものだ」
オーウェンは一瞬だけ目を伏せた。
上に行くために、これまで名誉と功績を積み重ねてきた。
それはただ偉くなるためではない。
騎士団のあり方を変えるためだ。
だからこそ、それらを軽んじたことは一度もない。
だが――それと同じくらい、守りたいものがある。
脳裏に浮かぶのは、ブレアの顔だった。
オーウェンは、拳を静かに握る。
「必ずやり遂げます」
総監は満足げに、小さく頷いた。
「よろしい、ではこの件は全てお前に任せる」
会議はそれで終わり、オーウェンとガルフは揃って部屋を出る。
廊下を歩きながら、ガルフが低く言った。
「ずいぶんと大事になったな。犯人の見当はついているのか」
「おそらく宵鴉が関わっています。それも一番手のアインが」
「……そりゃあちっとばかし厄介かもしれないな」
「はい」
オーウェンも頷きつつ、これまで分かったことを頭の中でまとめる。
誰かが宵鴉に依頼をしたのは間違いないが、その犯人はまだ分かっていない。
「最初は単なる身代金目的の誘拐だと思っていました」
だが。
新聞社への情報リークに、世論の誘導。
そして、オーウェンが指揮を執るように持っていかれた流れ。
「……まるで最初から、俺が指揮を執ることを前提に仕組まれているような気がして」
「妙だな」
「はい」
その時だった。
「オーウェン」
柔らかな声が後ろから聞こえる。
振り向くと、そこに立っていたのは中央騎士団第五小隊副隊長――ジェームズ・ヒルスだった。
隊は違うとはいえ、同じ中央の副隊長ということもあり、ジェームズとは親しくしている。
月に一度は食事にも行く仲だ。
彼は気遣わしげな表情を浮かべた。
「話は聞いたよ。大変なことになったな」
「はい」
ジェームズは優しい口調で続ける。
「新聞まで使うなんて、相手はずいぶん手回しがいいな。最初から、お前が前に出るよう仕組んでるみたいだ」
その言い方に、オーウェンの中で何かが引っかかった。
ジェームズが今口にした言葉は、これまでの状況と照らし合わせた結果、先ほどガルフとの会話で出てきたばかりの推察だった。
それをジェームズは、いとも簡単に口に出した……。
けれど黙ってしまったオーウェンを、落ち込んでいると勘違いしたのか、ジェームズが優しい声音で続ける。
「もし何かあれば、いつでも言えよな。友人としても力を貸すから」
「ありがとう、ございます……」
オーウェンがなんとかそう返すと、ジェームズは
軽く手を振り、そのまま廊下の向こうへ去っていった。
その背中を見送りながら、オーウェンの胸の奥に、小さな違和感が残った。
――何かが引っかかる。
それは完全に勘だが、見過ごせない違和感だ。
「ガルフ隊長」
「どうした」
オーウェンはジェームズの去った方を見ながら、誰にも聞こえないほどの小さな声で続ける。
「お願いがあります。ジェームズ副隊長を調べてもらえませんか」
すると、ガルフも彼のさっきの発言に引っ掛かりを覚えたらしい。
「お前はどう思う。あいつが犯人だと?」
「分かりません。ですが、あらゆる可能性を考えておいた方がいいと思いますので。……たとえそれが、同じ騎士団の人間であっても」
ガルフはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷く。
「……分かった。こっちは任せておけ」
ガルフと別れたオーウェンは、感情を押し殺すように小さく息を吐いた。
ブレアがどれほど気丈でも、誘拐されて無事でいられる保証などない。
相手は宵鴉だ。
王都の裏で暗躍する連中の中でも、最も危険な一団。
油断すれば、命を落としてもおかしくない相手だ。
気を抜けば、怒りの感情が溢れそうになる。
だが、飲み込まれるわけにはいかない。
オーウェンは爪が食い込むほどにぐっと拳を握りしめる。
間違ってはいけない。
今自分がすべきは、この感情を抑え、今回の事件の指揮を取ることだ。
――必ず、ブレアは助ける。
そう強く胸に刻みながら、オーウェンは歩みを速めた。




