18.3億ダルクと切られた髪
アインは外にいたメンバーを室内へ呼び戻し、これからの計画を説明し始めた。
「今からレイバン家に対して身代金の要求をする」
そう言って、軽く指を鳴らす。
「予定では――明日の一時までに、1億ダルク」
1億。
普通の家なら、想像もできない金額だ。
だけど私は、そこにある勝機を見出す。
これを提案するのはかなりの賭けになるけど……やってみる価値はある。
私は小さく首を傾げつつ、彼らの会話に割って入った。
「すみません、少しいいですか」
「おいっ、人質の癖に口を挟むんじゃ……」
「黙れ」
他の宵鴉の言葉を遮り、アインが冷たい声で彼にそう言い放つと、再び室内は緊張感を帯びる。
だけどその空気を作り出した本人は気にすることなく、ニヤッと笑う。
「いいぞ、質問でもなんでも、言いたいことがあるなら言えよ。ただし、聞いてやるかは別だがな」
彼の反応を見るに、どうも私は気に入られているようだ。
不本意だけど、先ほど笑わせた甲斐はあったらしい。
私は宵鴉たちの視線を正面から受けつつ、はっきりとした口調で言った。
「私の身代金額ですが、低く見積もりすぎでは?」
瞬間、宵鴉たちが驚いたように目を丸くする。
が、アインだけは彼らと違い、楽しそうに口元を緩めた。
「あんたやっぱ変わってるな。誘拐された本人が金額にケチ付けるとかそうそうないぞ」
「我が家の総資産と、私がこれまで積み上げてきた利益を考えても、やっぱり1億は安すぎますから」
彼らの驚く顔を見渡し、さらに続ける。
「あなたたちが相手にするのは、レイバン家ですよ? あまり我が家を舐めないでください」
そして私は手を広げて彼らに見せた。
「例えば――3億ダルク」
今度は明確にざわめきが起きた。
「3億……!?」
「おい」
「そんな額……」
これはなにもはったりではない。
3億ダルクあれば、四人家族が豪遊しても一生遊んで暮らせるほどの額だ。
それでもレイバン家の資産であれば、十分出せる。
と、いうよりも、私個人の資産がざっとそれくらいなので、万が一彼らに支払うことになっても、ただただ私が痛手を負うだけなので問題はない。
私は私自身で、自分の身代金を支払うだけだ。
宵鴉たちの取り分がどの程度なのか知らないけど、身代金の額は多ければ多いほど彼らへの配当額も高くなるはずだ。
私の提案は大いに彼らの心を揺さぶっているようで、動揺が走っているのが分かる。
ただ、やっぱりこの男だけは別だった。
「……何を企んでいやがる」
「別に何も。あ、でも、3億ダルクにするのなら、さすがに現金化するのに時間がかかるので、明後日の一時に変更してほしいですね」
簡単な話だ。
私がしているのは、時間稼ぎ。
こちらの意図を察したのか、宵鴉たちは沈黙した。
だが捨てきれない期待があるのか、それぞれの視線がどこか期待を含んだままアインへと向けられている。
私だって、なるべくなら、彼らに大金をみすみす渡すような真似はしたくない。
けれど、一日ではこの件を解決することは難しくても、二日あれば状況が変わるかもしれない。
しかもここは王都内、旧街道沿いの廃屋だ。
監禁場所の候補に挙がる可能性はある。
助けが来る保証はないけど、オーウェンなら辿り着くかもしれない――そう思った。
仮に来なかったとしても、私は自力で逃げ出す計画も頭の中で練っていた。
アインさえどうにかできれば、逃走の可能性は上がる。
でも、交渉相手がアインじゃなかったらこんな提案はしなかったと思う。
ただ、彼の言動をずっと観察していて思ったのは、彼は自分に絶対的な自信を持ちつつ、どこかこの件を楽しんでいるように見えた。
私を路地から抱えて逃げる時、あえて証拠品となりうるボタンを置いていったこともそうだ。
それなら私のこの提案だって……。
アインは私をただ、じっと見ている。
そして――赤い瞳を細め、ふっと笑った。
「いいぞ、あんたの案に、あえて乗っかってやる。その方が面白そうだしな」
「アイン!?」
「本気かよ」
宵鴉たちから驚きの声が上がる。
「なんだよ、お前らだって俺がそう言うの期待してただろうが」
その一言で、ざわめきがぴたりと止まる。
図星だったようだ。
「じゃあ手紙の金額と期限、書き直せ」
アインが顎で宵鴉の一人を指さす。
男は分厚いメモ用紙の一番上に先ほど書いた文面の紙を破り捨て、新しい紙に書き直す。
その間アインは顎に手を当て、考え込む。
「あ、一応、あんたをちゃんと攫ったって証拠もいるよな……」
ぼそりと彼が呟いたその瞬間、一人の宵鴉が勢い良く手を挙げた。
「俺、いい案あります!」
アインが何か言うより早く、その男はまっすぐこちらへ歩いてきた。
そして私のすぐ目の前で止まると、突然髪の毛を掴む。
かなり乱暴なので、逃避が少し痛み、思わず顔が歪む。
が――次の瞬間だった。
ザクッ。
刃物の音が響き、肩の下まであった髪が、一気に切り落とされた。
男の手が私から離れ、さっきまであったはずの髪がぽとりと地面に落ちる。
「髪の毛が……」
部屋中が静まり返る中、私はそう言ってゆっくりと視線を下に向けた。
白いリボンで束ねられたままの髪が、無造作に転がっている。
それにしても、ずいぶん伸ばしてたものだ。
……あ、枝毛見つけた。
と、その時だった。
「……おい」
低い声が落ちたかと思うと、アインの姿が、目の前からふっと消えた。
次の瞬間、アインが私の髪を切った男の胸ぐらを掴み、そのまま壁へ叩きつける。
ドンッ、と鈍い音が部屋に響いた。
宵鴉の男は抵抗する暇もなく、壁に押し付けられたまま足を浮かせている。
アインはそのまま顔を近づけ、凍ったような赤い瞳で睨みつけた。
「勝手なことしてんじゃねぇよ。何をどうするかは、この俺が決める」
「っ、す、すみま、せん」
謝罪の言葉を聞き、アインはばっと男を離し、苛立ち気に髪の毛をかき上げた。
「ったく、信じらんねぇ。髪長い方が好みだったのによ」
……怒るところ、そこなんだ。
私は自分の髪がなくなったことに、何の感慨も抱いていないというのに。
これも一応覚えておこう。
宵鴉のアインは、髪の長い女性の方が好みだと。
そう思いつつ、私は声を上げる。
「あの、私の髪を使うというのはいい案だと思いますよ。それに私としては、むしろ助かりました」
今の髪の長さは、結婚式前に私がしていたのと同じくらいの長さだ。
切りに行く時間がなかなか取れなかったので、ちょうどいい。
ただ欲を言うなら。
「後で誰か、もう少し綺麗に切ってくれません? そうすれば美容院に行く手間が省けますし」
沈黙。
そして。
「……はは」
アインが声を上げたかと思うと、肩を震わせ、またまた大笑いをし始めた。
「ひっ……あはは……!」
どうでもいいが、宵鴉の一番手なのに、笑いの沸点が低すぎやしないだろうか。
アインは息を整えながら言った。
「……あんた、ぶっ飛んでるな」
アインにだけは言われたくない。
そう思ったけど、口には出さなかった。
そして切られた私の髪は、脅迫状と共にレイバン家に送られることとなった。




