17.宵鴉の一番手
体はずっと動かない。
ただ、意識はある。
それなら、まだ打てる手はある。
思考まで奪われてしまったら、状況の把握ができなくなるから。
私は薄く目を開けたまま、抱えられて運ばれる自分の状況を静かに観察する。
茶髪の男は、大通りから何本も外れた、さびれた治療院の前にやってきた。
もしかして本当に私を治療させるのかと正気を疑う。
だって、私を襲った本人なのに。
でも、彼はすぐ近くの茂みに隠していた馬車に私を放りこむと、どこかへ向かって馬を走らせる。
馬車の振動はどんどん大きなものになっていき、道はあまり整備されていないのが分かる。
窓には厚手のカーテンがかかっているせいで外が見えないけど、少なくともここが王都の中心じゃないことは確かだ。
車輪の音からして、土道じゃない。
ガタついた石畳――しかも馬車が通れる幅だ。
心当たりがあるとすれば、王都西側の旧街道だった。
あの辺りは放置されて久しく、かなり荒れているから。
やがて馬車が止まって、体を担ぎ上げられた。
視界の端に見えた道は、やっぱり王都の旧街道だった。
私が運ばれているのは、その道沿いにあるかなり大きな建物だ。
だけど捨てられて年月が経っているのか、赤煉瓦の壁はところどころ崩れ、蔦が壁面を覆い、窓のいくつかは板で打ち付けられている。
玄関の石造りのアーチには、向かい合う獅子と鷲の紋章が刻まれていたが、風化が進んだせいか、片方の翼は欠けていた。
この紋章は――すでに没落して、家名も消えたミレガン子爵家の紋章だ。
とすると、ここはそのミレガン家の旧邸宅らしい。
場所が分かっただけでも良かった。
もしも逃げ出せた時、自分の位置を把握しているかどうかは生存率に直結する。
仮に脱出できなくても、誰かに伝えることはできるかもしれない。
そのまま私は建物の中へ運ばれ、二階の一番端の部屋の床に乱雑に転がされるかと思いきや、なんとベッドの上に丁寧に横たえられた。
私はゆっくりとあたりを見渡し、周囲を観察する。
部屋の中には数人の男たちがいた。
全員が黒い布で顔を覆っていて、腕や肩には、黒い鴉の羽の入れ墨がある。
なんだかデジャブを感じる。
そういえば二カ月ほど前に、同じような人物と接触したっけ。
この分かりやすすぎる特徴を持つ集団は、『死を喰らう宵闇の鴉』――などという、ずいぶん痛々しい正式名称の犯罪組織。
通称、宵鴉。
報酬さえ払えば何でも請け負う犯罪組織で、私は以前にも一度、彼らに襲われかけている。
ということは、彼らが私を攫ったのは、誰かからそういう依頼を受けたから。
どうも厄介な連中に捕まったらしい。
犯人の心当たりは、あるようなないような。
レイバン家には表立った敵はいないけど、煙たく感じている人たちも確かに存在はする。
にしても、私を直接攫ったあの男は、宵鴉のメンバーということになるんだろうけど……。
彼は顔を完全にさらけ出している。
それなら宵鴉の一員じゃないのか。
いや、彼はここにいる誰よりも強いのは分かる。それなら正体は……。
件のその男は、顔を隠す他のメンバーに対して何かを指示している。
一見どこにでもいそうな普通の青年なのに、他の人たちはどこか彼に対して怯えているようにも見える。
と、その青年はおもむろに頭へ手を伸ばすと、髪をつかみ、ゆっくりと引き上げた。
茶色の髪のかつらの下から現れたのは、陽に焼けたような深い金の髪だ。
続いて彼は眼鏡を外すと、指先で片目に触れ、小さな透明の膜を摘み取る。
露わになったのは、血のように赤い瞳だった。
それだけで、場の空気が変わった。
なるほど。
私が手も足も出なかったわけだ。
唯一布で顔を覆わない人物。
見た目の特徴も一致している。
――これがあの宵鴉一の実力者。
「あなたが宵鴉のアインですか」
声が出ないと分かっていながら唇を動かすと、毒が切れたのか普通に声に出た。
私の言葉に、彼の視線がふっと向けられる。
「へぇ、俺のこと知ってるのか」
「あなたは有名ですからね」
「大商家の人間に知ってもらえてるとは光栄だ。何か依頼があれば、いつでも受けるぞ」
「じゃあ私をここから出してください」
そう言ったら、アインはケラケラと笑った。
「悪いけどそれは無理だわ。一応依頼は遂行しないといけないんでな。そのために攫ったんだ。依頼が成功したら、ちゃんと返してやるよ」
交渉は決裂した。分かってたことだけど。
首も動かせるようになったので、私は再度周囲を見渡す。
宵鴉の数は、アインを入れて全部で五人。
それから彼らの持つ武器の位置。
窓は鉄格子のはまったものが二つと、カーテンがかかっていて見えないものが一つ。
扉は両開きの物だ。さびれた屋敷のせいなのか、床には崩れた壁の欠片がいくつも転がっていた。
あのカーテンの下がどんな窓か分からないけど、簡単に開くはずがない。
だから逃げるのは現状では無理だとして、全員を戦闘不能にして逃げるとすると。
……後の四人はともかく、アインは無理そうだ。
あの男だけは、私はどうにかできる相手じゃない。一切の隙が感じられないから。
それなら別の方法を考えよう。
捕まったからといって、おとなしくしておくつもりはなかった。
体の感覚は完全に戻ったし、常に隙を伺い続けるしかない。
そう思って息を吐いた時だった。
「おい、そろそろ動ける頃だろ」
いつの間にか私の目の前まで移動してきていたアインは、こちらを見下ろすと、
「立て」
そう短く命じる。
私はゆっくりと体を起こしてベッドから降りると、その場で立ち上がった。
アインは私を上から下までじっと見つめる。
そして、とんでもないことを命じてきた。
「とりあえず、服全部脱げ」
「っ……」
私は思わず息をのみ、冷や汗が背中を流れる。
一瞬、部屋の空気が止まり、後ろにいた宵鴉がざわめいた。
「おい、アイン……」
「そういう趣味があったのか……」
だが、アインは面倒くさそうに振り返る。
「うるせぇな。黙ってろ」
たったそれだけの言葉を放っただけで、ざわめきが止まり、しんと静まり返る。
「外出てろ。邪魔だ」
その一言で、男たちは体をびくりと震わせながら部屋を出ていった。
扉が閉まり、室内には私とアインだけが残る。
アインが私を見つめる瞳は冷静で、その視線に、下卑た意図がないことはすぐに分かった。
彼は、私を辱めたいわけじゃない。
どちらにしろ、アイン相手に抵抗は無意味だ。
私は観念して、上着のボタンを外し、次々と服を脱いでいく。
アインは腕を組んだまま、それを静かに見ていた。
やがてすべて脱ぎ終えたところで、彼は一歩近づき、脱いだワンピースの内側の腰のあたりに手を伸ばすと、何かを取り出した。
「やっぱりな」
出てきたナイフに驚くことなく、それを床に放り投げる。
次に右足の靴を持ち上げ、底を軽く叩くと、二本目の刃が滑り落ちた。
「で、三本目が」
アインは私の体に手を伸ばし、太もものベルトに付けていたナイフを抜き取って下に落とす。
彼は床に転がったナイフを見て、小さく笑った。
「こんなに持ち歩くとは、なかなかやるじゃねぇか」
「……まさか靴の中のものまでばれるとは思いませんでした」
「あんたが歩いた時の音が、左右でほんの少し違った。それに右足を踏み込んだ時、金属が触れる音がした。ナイフの刀身が動いたんだろ。普通の奴には分からねぇ程度の違いだけどな」
なんとも恐ろしい男だ。
でも同時に、この靴の改良点も見つかった。それなら両方の靴に仕込み、なおかつ刀身が動かないようにしっかりと固定させればいいのか。
「おい、もう服着ていいぞ」
これは戻ったら、さっそくノーラお義姉様に相談しないと。
いや、もしくは何か別の武器を仕込むとか……いっそのこと音のならない武器、こっちも毒を仕込むのはどうだろうか。
「なあ、聞こえてんのか?」
あ、特定の回数踵を鳴らしたら、毒の煙が噴射するとか。
だけどそれだと自分でも吸ってしまうし、だとすると他の方法は……。
ブツブツと呟きながら考え込んでいた、その瞬間だった。
「ぶはっ!」
突然大きな笑う声が聞こえ、現実に引き戻された私は、はっと顔を上げる。
音の方を見ると、さっきまで冷静な顔でこちらを見ていたアインが、お腹を抱えて大爆笑していた。
「はははっ、なんなんだよあんた……!」
しかも目尻には涙まで滲んでいる。
「……何がおかしいんですか」
私が首を傾げると、なおも笑いながらアインは口を開く。
「いや、あんたさ、今自分の状況分かってんのか? 誘拐されて監禁されてるんだけど」
「分かってますよ。当たり前じゃないですか」
私とて、素敵なお茶会に招待された、だなんて思っていない。
まったく怖くないと言えば噓になるけど、恐怖に呑まれて泣きわめくなんて性に合わない。
そう答えたら、アインは目元を緩め、肩を震わせる。
「普通のお嬢様なら、怯えたり泣いたりするだろう。なのにあんたときたら……くっくっ、服も着ねぇで、真面目な顔で靴の改良考えてるとか……」
アインは、あーもうこれだめだわと言いながら、再びお腹を押さえて笑い始めた。
……そんなにおかしいだろうか。
私だけじゃなくて、これがダスティお兄様でもノーラお義姉様でも、お父様たちでも同じことを考えると思うんだけど。
こんなに笑われるなんて腑に落ちないと思いながらも、私は服を着始める。
すっかり元通りに服を着終えたところで、ようやくアインは落ち着いたらしい。
「とりあえず、こいつらは没収するからな」
残念ながら私のとっておきの隠し武器たちは、回収されてしまった。
だけど運がいいことに、彼は私とオーウェンの偽装結婚についても知っていた素振りがあったにもかかわらず、指輪については何も知らないようだ。
だって没収されなかったから。
それが分かっただけでも十分だ。
ただ、一点私には気になることがあった。
「すみません、私の拘束とかしなくていいんですか?」
私は完全に自由な状態だ。
だけどアインはこちらを見て、鼻で笑った。
「俺がここにいるのに逃げようとする馬鹿なら、手足をぎちぎちに縛って猿轡をかましてもいいんだけどよ。けど、あんたは無駄なことはしないだろ?」
なるほど、全部お見通しのようだ。
「あなたを前に逃げ出そうなんてしませんよ」
ただ、何か方法は考えるつもりだけれど。
そんな本音は胸の内に隠したまま、私は何の他意もないふうににこりと笑ってみせる。
すると彼は、何も言わずに笑っただけだった。




