15.偽りの護衛
翌朝、目が覚めた頃には、オーウェンはもう家を出た後だった。
最近はオーウェンとの手合わせが日課になっていたけど、今日はそれができなくてちょっとだけ残念な気持ちになる。
一人で鍛錬を終わらせたら汗を流して、身支度を整えて、最後に髪を白のリボンで一つにまとめる。
そして、そうだった、髪を切りに行こうと思っていたんだったと考えながら、ダイニングへと向かう。
テーブルの上には、律儀にも先に出ると書かれたメモ用紙と、私の分の朝ごはんも置かれていた。
今日の朝ご飯は、野菜とハムを挟んだサンドイッチ。
それに、彼なりに改良したらしい野菜ジュースも置かれていた。
意を決して飲んでみるが、絶妙に苦い。
そして味がもっさりする。
やっぱり素人二人で手を加えるのは限界がある。
だけど、ローリーというプロの手に頼りたくはないし、気長に構えることにしよう。
食事を終えたら、カールを呼ぶ。
すると窓辺に止まっていた白い影が、ぱたぱたと羽ばたいてこちらへ飛んできた。
今日はダスティお兄様との打ち合わせがある。
ただ、少し時間を変えたいと思っていたので、私は簡単なメモを書き、細く折ってカールの足に結びつけると、窓を開けた。
「じゃあお兄様のところまで。頼みましたよ」
カールは元気よく「カー」と鳴くと、そのまま王都の空へ飛び立っていった。
相変わらず賢い子だ。
私はその姿を見送ってから、外套を羽織ると、商会へと向かう。
朝の王都は、すでにそれなりに人通りがある。
商人や職人、店の準備をしている人たちが行き交い、通りには朝特有の活気が漂っていた。
そんな周囲を見渡しながら歩いていると、通りの端で、誰かが地面を見ながら何かを探しているのが目に入った。
私は少しだけ首を傾げる。
茶色の髪をした眼鏡の青年……なんとなく見覚えがある。
誰だっけなぁと頭の中をひっくり返し、続いて彼の服装を見て思い出す。
そうだ、昨日ローリーのお店で見た人だ。
私は足を止めると、声をかけた。
「おはようございます」
青年が顔を上げる。
「あ」
向こうは私を見て、少し驚いたような顔をした。
「あんた、昨日ローリーの店で……」
「はい、そうです。あの……もしよければ、落としたものを探すのお手伝いしましょうか?」
「よく俺が落とし物を探してるって分かったな」
「下を向いてすっとキョロキョロしていたので、そうかなと」
青年は私の言葉に苦笑した。
「そりゃ分かりやすいな。いや、ちょっとボタンを落としたみたいで」
「ボタン?」
「気づいたらなくなってたんだよ。気に入ってたんでな」
そう言って、彼は再び足元に視線を向ける。
彼の服のジャケットを見ると、昨日と同じく、ダイヤのようなカットがされたガラスのボタンが、朝の光を浴びてキラキラと輝いていた。
私は背後にいた護衛にも探すように目配せして、私も一緒に地面に目を向ける。
それにしても、やっぱりかなり変わったボタンだ。
いいな、うちでもそういうのを扱いたい。
ノーラお義姉様だって絶対にこれを見たら喜ぶ。
「それ、すごくいいボタンですよね。どこで買ったんですか?」
と、思っていたら、私の口は勝手に動いて質問を繰り出していた。
青年は私を見ると、少しだけ楽しそうに口元を緩める。
「そういやあんた、昨日も俺のこれ、じっと見てたよな」
「気づかれていましたか。すみません、不躾な視線を送ってしまって……」
どうやら私が彼を見ていたことは、本人にばれていたらしい。
謝罪しつつも、私はさらに質問を重ねる。
「そのボタン、本当に綺麗ですね。ただのガラスには見えません。できれば、加工した職人を紹介していただきたいくらいです!」
つい熱がこもってそう詰め寄ったら、彼は笑いながら小さく呟いた。
「そういうとこそっくりだよな」
一体どういうことなのかと首を傾げたら、青年は続けて、
「同じことを、道ですれ違った時に言われたんだよ。初対面だってのに、目を輝かせながら聞いてきてさ。やっぱり血は争えないんだろうな」
「誰にですか?」
「ダスティ・レイバン。あんたの兄貴だろう?」
ここで私は、はたと気付く。
「……あの、私、あなたにまだ名乗っていないと思うんですけど」
青年は一瞬きょとんとした顔をしてから、ああ、と軽く肩をすくめた。
「そもそもレイバン家の人間は、王都じゃそこそこ有名だろ。しかもあんたは今話題の堅物騎士と最近結婚したばかり。誰でも知ってることだ」
……それは、確かにそうだ。
商家として名前が知られているのは事実だし、特にオーウェンと結婚することを決めてからは、もっと多くの人に顔を覚えられて、私も知らない人からも声をかけられることが増えた。
それなら、説明がつかなくもない。
胸の奥にほんのわずかに違和感が残ったけど、彼の次の言葉に、その違和感も吹き飛んだ。
「で、このボタンは自分でカットしたんだよ。あとはいい感じに削って」
「ほ、本当ですか!?」
何でもないことのように言ってるけど、まずカットの技術が職人レベルすぎる。普通の人間には無理だ。
もしかして凄腕の宝石職人かなにかなのかと思って尋ねてみたけど、違うらしい。
「器用ですね……」
「自分で言うのもなんだが、こだわりが強いんだ。あとは暇つぶしもかねてな」
とんでもない才能の原石じゃないか。
もし可能なら、彼にその技術を教えてもらってお義姉様の工房でも同じようなボタンを作って、というかデザイナーとしてもうちの工房で雇ったりなんかしたり……。
そんなことを考えながら周囲を見回し続けるも、それらしきものは見当たらない。
「もう少し捜索範囲を広げますか? ボタンって意外と遠くまで転がっていることもありますし。後は通行人が気づかずに蹴とばしてしまったりとか」
ということで、私たちは大通りの端の方を歩きながら、石畳の隙間を見ていく。
「うーん、見つかりませんね」
「悪いな、俺のせいで時間を取らせて」
「いえ、まだ時間はありますから」
しばらく歩き、目を凝らしつつ、さっき彼と会った場所から大分進んだところで、青年がふと口を開いた。
「そういえば、あんた自身も結構強いだろう? あの男との早朝鍛錬での様子からしたら、そうだなぁ――数人の手練れに囲まれても逃げ出せるくらいの実力か。なのにちゃんと護衛は付けてるんだな」
「一応は大商会の娘ですからね。身代金目的の誘拐未遂もこれまで何度かありましたし」
とはいっても、大体は自分で撃退できたんだけど。
護衛はあくまでも、もしもの時のための保険だ。
と、ここで私がさっき忘れていた違和感が一気に押し寄せてくるのを感じる。
「……どうして、早朝鍛錬のことを知ってるんですか?」
早朝鍛錬のことは、私とオーウェンしか知らないはずだ。
すると青年はそれには答えず、少しだけ笑った。
「うちの五番手以上の相手でも、逃げるだけなら何とかなるんじゃないか? あと知ってることっていうと……」
――うち?
その言葉を聞いた瞬間、背筋がぞくりと冷えた。
そしてはっと周囲を見て気づく。
いつの間にか、私たちは通りから外れたところにいたのだ。
一本裏に入った石畳の道。
さっきまであった人の気配が、嘘みたいに消えている。
それだけじゃない、後ろにいたはずの護衛の姿がどこにも見えない。
しまった、多分、目の前の彼によってここまで誘導されていた。
私は反射的に体を引き、大通りに向かって走り出す。
「――っ」
そして助けを求めようと声を上げようとした、その時だった。
青年の姿が、目の前から消えた。
次の瞬間、首の後ろに鋭い痛みが走る。
「……っ!」
息が詰まった。
それに、足も動かない。
体の力が一気に抜けていく。
呼吸は何とか出来るけど、声は全く出せない。
それでも何が起こったのか確かめようと首に手を伸ばしたら、そこに何かが突き刺さっていた。
だけど分かったのはそれだけで、腕の力もなくなってだらんと下がり、私はその場に倒れかける。
が、地面に落ちる前に、誰かの腕が伸びてきて私の体を支え、横抱きにする。
相手は私を攻撃してきた張本人だ。
動けないので暴れることもできず、彼に体を預け、されるがままの状態だ。
外から見れば、具合の悪い相手を支えて運んでいるようにしか見えないだろう。
彼は私を抱えたまま言った。
「逃げるには相手が悪かったな」
悔しいけど反論すらできなかった。
いや、そもそも喋れないから反論は不可能なんだけど。
私は目の前の男に視線を向けるが、どこにでもいる普通の青年の、穏やかな表情だった。
それなのに、さっきの動きは人間離れしていて、逆に彼の異質さを物語っているようだった。
彼はいったい私に何をしたのか。
声が出せないので代わりに視線でそう問いかけたら、彼はにやりと笑った。
「麻痺毒だよ。動けなくなるやつを、針でぶすっと」
つまり私が自身の指輪に仕込んでいるものと同じ類のもの、というわけか。
こんなことなら私の方もオーウェンと同じく、解毒カプセルにしておくべきだったか。
今更後悔しても仕方がないけど。
「そうそう、まだ話は終わってないんだよな。俺が知っていることが何かってこと」
彼は顔を近づけると、耳元で囁く。
「例えばさ、あんたとオーウェンって男が、実際は偽装結婚で、契約書まで交わしてるとか」
「っ!?」
心臓が跳ね、息が止まりそうになる。
どうして、それを。
問い詰めようとしても、今の私は唇一つ動かせない。
青年はそれ以上何も説明せず、ただ肩をすくめる。
「ま、知ってることは色々あるってこと」
私は必死に頭を働かせる。
この男の目的が分からない。
だけど、少なくとも――殺すつもりじゃない。
もしそうなら、こんな回りくどいことをする必要はないはずだ。
さっきの動きとあれだけの速さがあるなら、私を殺すことくらい簡単だっただろう。
つまり――今すぐ命を取るつもりはない。
それだけが、唯一の救いだった。
とはいえ、今の状態は完全に詰んでいる。
どうすることもできないまま固まっていると、青年が唐突にジャケットのポケットに手を入れ、何かを取り出した。
それはさっき、彼が探していると言っていたはずのボタンだった。
青年はそれを指先で軽く弄ぶと、路地へ放り投げた。
小さな音が、石畳の上に転がる。
一体何の意味があるのかと思い彼の顔を見ると。
青年は半ばひとり言のように呟く。
「一つくらい、証拠は残しておいてやる。……追えるもんなら、追って来いよ」
誰に向けた言葉なのか。
でもその声には明らかに、楽しげな響きがあった。
彼は口元に笑みを浮かべ、落ちたボタンを一瞥すると、ゆっくりと歩き出す。
しかもその状態で路地を抜けると、すぐに人通りの多い通りへと出たのだ。
私は、彼の考えが分からず呆気にとられる。
てっきり人のいない方へ逃げ出すかと思ったのに、あまりにも堂々としている。
通行人も何事かとこちらに注目しているのが分かる。
通りを進んでいると、案の定、知った顔がこちらを見て声をかけてきた。
「あれ、ブレア様?」
けれど青年は一瞬も動揺せず、穏やかな顔のまま答える。
「なんか体調が悪いみたいで、そこの道で倒れそうになったんだ。今、治療院へ運んでるとこ」
「あんた、見ない顔だけど、ブレア様の護衛か何かかい?」
「ああ、最近レイバン家に雇われたばかりなんだ」
あまりにも自然で、相手はまるで疑わない。
「そうかいそうかい。ブレア様、お大事にね」
そう言うと、すぐに立ち去ってしまった。
さっきの人を含めて、周囲にはこんなに人がいるのに、私は助けを呼ぶことすらできない。
ただ名前も知らない彼に抱えられたまま、人混みの中を進んでいく。
どこに行ってしまったのか、本物の護衛の姿もどこにも見当たらない。
そして私は、ぼんやりとした視界の中で思う。
この男が何者なのか、正直全く見当もつかない。
ただ一つ分かるのは、私は完全に彼の手の中に落ちたということだけだった。




