13.スイーツ店の常連客
扉を開けた瞬間、すぐに甘い香りが出迎える。
閉店間際だからか、ショーケースの中のケーキやマカロンは全て売り切れていたけど、それでもクッキーや焼き菓子はいくつか残っていた。
厨房の奥にいたローリーが、私の姿に気づいてパタパタと早足でやってきた。
「ブレアさん! いらっしゃいませ」
相変わらず目の辺りは前髪で見えないけど、にこにこと笑っているのは分かる。
「久しぶりですね、ローリー。お店の方は順調です?」
「はい、おかげさまで!」
「うちのレストラン用に考えてくれたスイーツメニューも、お客様に大好評です」
「それなら良かったです。あ、また次の新作も考えているので、試作ができたらまたお声がけしますね!」
「それは楽しみです」
ローリーのスイーツは日々進化している。
だけど、彼の作る王道の焼き菓子は、ふとした時に食べたくなる美味しさがあるのだ。
というわけで。
「今日はこのバタークッキーとナッツの焼き菓子をもらってもいいですか?」
「はい! ありがとうございます。えっと、プレゼント用ですか?」
「いえ、自宅用で。最近忙しそうなオーウェンの分です」
彼もまたローリーの作るお菓子が好きで、家においているとあっという間になくなってしまうから。
別のスタッフがお会計を済ませてくれている間に、ローリーが手際よく包みながら言う。
「今日はお仕事ですか?」
「店の視察です。今、二件目を回ったところで」
「それはお疲れ様です」
そして袋を受け取りながら、私はふと思い出したことがあった。
「あ、そうだ。ローリーに聞きたいことがあったんです」
「なんでしょう?」
「モーリス領のワインは、知っていますか?」
「もちろんです! それがどうかしたんですか?」
そして私は、あの甘いワインを使ったスイーツメニューを考えてほしいと話すと、ローリーはたちまち口元を綻ばせた。
「すごく面白そうです! ぜひやらせてください!」
声の熱も一段と増している。
「あのワインの甘さなら、ムースかジュレにしても良さそうですし、焼き菓子にも合うと思います。いや、でもアルコールの香りを残すなら火入れの加減が――」
気づけば、ローリーは俯いて、ぶつぶつと独り言のように言いながら、すでに頭の中で試作を始めている様子だった。
すでに意識は試作の方へ飛んでいるらしい。
「えっと……ローリー?」
「あっ、すみません!」
置いていかれた私が呼びかけると、はっと我に返ったローリーが顔を上げた。
「つい考え込んでしまって……。でも絶対にいいもの作ります!」
「は、はい。楽しみにしています」
普段は少し気弱そうなのに、お菓子の話になると急に職人の顔になる。
ローリーのそういうところは、見ていてちょっと面白い。
そして、この感じ、本気出したノーラお義姉様にとても良く似ている。
そして、私はもう一つ思い出したことがあった。
「すみません、あと一ついいですか?」
「はい」
「野菜ジュースって、どうやったら美味しくなります?」
ローリーが一瞬、きょとんとした。
「……野菜ジュース、ですか?」
「ええ」
オーウェンが記憶から消したがってるあの事件以降、約束通り、二人で野菜ジュースを美味しくする方法を色々試してみたのだ。
果物を入れてみたり、蜂蜜を追加したり。
けれど、どうしてもあの独特の青臭さが残ってしまう。
ローリーは少し考え込んでから言った。
「例えばリンゴを多めに入れるとか、レモンを少し足すとかですね」
「なるほど」
「あと、塩をほんの少し入れると味が締まります」
「塩ですか」
それは試していない。
「今のレシピを教えてもらえれば、僕の方でも考えてみますよ」
「それはありがたいんですけど……」
彼に頼む方が早いのは分かっているんだけど、どうしてか私は、あのレシピはオーウェンと最後まで二人で完成させたいと思っていた。
なのでローリーの申し出を、ありがたいと思いつつ丁重に断る。
その時だった。
バン、と勢いよく扉が開いた。
「おーっほっほっほっほ!」
聞き覚えのある高笑いが店内に響く。
「この店は今日も賑わっていたようですわね! さすが私のローリーですわ!」
振り返ると、案の定、そこに立っていたのはリーリアだった。
今日も今日とて彼女の着ているのは、ノーラお義姉様の最新作だ。
「ブレア、あなたも来ていましたのね」
リーリアとは、もう変なわだかまりはない。
仲良しとは言えないけれど、少なくとも会えば普通に話すくらいの関係にはなっている。
彼女はつかつかと店内に入ってくると、当然のようにカウンターの前に立った。
「ローリー。今日は何かおすすめはありますの?」
「リーリア様! あ、えっと、そうですね、今日は焼き菓子しかないですけど……」
「売り切れるほどに人気なのはいいことですわ! よろしくってよ! では残っている物は全ていただきますわ」
ローリーとリーリアの関係性は変わっていないけど、猪突猛進で押しまくっていたリーリアが、かなりおとなしくなった気がする。
だってこれまでのリーリアだったら、売り切れって聞いたら絶対にキレまくっていただろうし。
それに、王女パワーで押し通そうとすることもない。
二人が並んでる姿は、とてもいい感じに見える。
そんなことを思いながらやり取りを見ていたら、扉が静かに開き、別の客人が入ってくる。
茶色の髪で眼鏡をかけた、どこにでもいそうな普通の人だ。
けど、私は彼の服装に焦点を合わせ、かすかに目を細める。
その青年の服が、妙に目を引いたからだ。
顔の地味さとは正反対に、ものすごく派手な服だったから。
なかでもジャケットに付けられた、ダイヤと見紛うほど精巧にカットされたガラス製のボタンが印象的だった。
私がこっそりと彼の服装に目を奪われている間にも、眼鏡の青年は店内を一度見回してから、カウンターに近づいた。
「よう、まだ商品は残っているか?」
ローリーは慌てて声を掛ける。
「す、すみませんっ、今ちょうど全部売り切れてしまって……」
「あぁ、やっぱ仕事なんて後回しにして、先にこっちから行っとくべきだったな。残念だ……」
青年は、明らかにがっかりしたように肩を落とす。
するとそばにいたリーリアが、予想外の行動に出る。
「焼き菓子でよろしければ、一つ譲って差し上げてもよくってよ」
「!?」
あのリーリアが、他人に商品を譲るなんて……。
あまりの衝撃に、思わず目を見開いてリーリアを凝視してしまう。
一方で青年は、リーリアの申し出を素直に喜んでいるようだった。
「いいのか。それは助かる! いや、ここのを食べたら、よその店のじゃ物足りなくてさ」
リーリアも彼に同意するように、大きく頷く。
「分かりますわ。あなたもなかなかいい舌をお持ちのようですわね」
そうして青年は、一つ分の代金をカウンターに置く。
「いつもありがとうございます!」
ローリーが頭を下げると、青年は軽く会釈を返し、
「またな」
そう言って踵を返すと店を立ち去った。
それは、ほんの短いやり取りだった。
ただ――。
「……」
なぜだろう。
青年が扉の方へ顔を向ける、その直前。
私の姿を瞳におさめた彼の視線に、妙な感覚が走った。
私は扉を見ながら、首を傾げる。
「ブレアさん、どうしましたか?」
私が訝しげな表情をしていたからか、ローリーが不思議そうに尋ねてくる。
「あの、今の人ですが、よく来られるんですか?」
「ああ、常連さんなんです」
「常連?」
「はい。甘い物がお好きみたいで、週に一度はこうして買いに来てくださるんです」
そう言われて、私は小さく頷いた。
「……そうなんですね」
特におかしな様子はなかったはずだ。
ただの常連のお客さんのようだし。
もしかして……私がものすごく彼を見ていたことに気づかれてしまっただろうか。
というか、どうせばれていたのなら、あのボタンがどこの工房の物なのか聞いておけばよかった。
そんな後悔を胸の奥に抱えながら、私は青年が出て行った扉を見つめていた。




