11.依頼 (???視点)
その日、中央騎士団に所属するとある男は、王都の裏通りにいた。
彼の目的地は、昼間でも人通りの少ない路地をいくつも抜けた先にある、古びた酒場――その地下室だ。
湿った空気と酒の匂いが混ざり合う地下室で、男は静かに椅子へ腰を下ろす。
この場には似つかわしくない男の空気感が、かえって彼の存在を際立たせていた。
そんな男の向かいに座るのは、顔の上半分を黒い布で覆っているが、この空気に慣れ親しんでいるのが見て取れる。
彼は王都の裏社会では知らぬ者のいない集団、宵鴉――その頭目のツヴァイだった。
「それで、依頼というのは?」
ツヴァイが落ち着いた声で問う。
男は丁寧な物腰はそのままに、ここに来た目的を告げた。
「ある男の評判を引きずり落としてほしい」
「ほう」
ツヴァイの目がわずかに細くなる。
男は腕を組み、滑らかな口調で続けた。
「相手はオーウェンという男だ。現在は、中央騎士団の第二小隊副隊長を務めている」
が、その名を口にした瞬間、声にかすかな苛立ちが滲む。
その苛立ちの乗った声のまま、男は続ける。
オーウェンという人間は若いくせに、功績も人望も、何もかも持っている。
上は期待し、部下は従い、民衆まで彼を持ち上げる。
そのうえ最近は、大商家の娘とまで結婚した……。
「しかも昇進の話まで出ているらしい。僕よりも十以上下のあいつがだ。こんなの、屈辱以外の何物でもない」
その言葉に、ツヴァイの視線がわずかに鋭くなる。
「だから、そいつを潰したいと」
「ああ」
男は深く頷いた。
「全てにおいて完璧なあの男を、どん底に突き落としたいんだ」
そして男は、少し身を乗り出す。
「だから力を貸してくれ」
ツヴァイは少しだけ沈黙したあと、ゆっくりと口を開く。
「……それで、どうやって引きずり落としたい?」
「ああ、それなんだけど、まずは……」
男は声を落とし、依頼の中身を告げた。
聞き終えたツヴァイは、しばらく黙り込む。
「なるほど。なかなか面白いことを考えたな。だが、かなり難度が高い」
すると男は察したように、足元の鞄を持ち上げ、机の上に置いた。
中身を開くと、出てきたのは金貨の詰まった袋だった。
「金ならある」
ツヴァイの目がわずかに細くなる中、男はさらに畳み掛けるように続けた。
「もちろん、これで足りるとは思っていない。成功したら、身代金は君たちにすべて渡そう」
「いいのか?」
「ああ。僕はただ、あいつが無様に地面にひれ伏す姿を見られればそれでいいからね」
その言葉に、ツヴァイは小さく笑った。
「いいだろう。ならば契約は成立……」
その時だった。
「それ、俺にやらせろよ」
突然、二人しかいない部屋のはずなのに、男の背後から声がした。
彼が振り向くと、いつの間にか、部屋の壁際に一人の青年が立っていた。
どこか気だるそうな表情だが、うす暗い室内でも赤い瞳が鈍く輝いている。
目が合った男は、一瞬ぞくりとした寒気が背中に走る。
しかしツヴァイは第三の人物の登場に大して驚きもせず、呆れたように言った。
「アイン。盗み聞きしていたのか」
「っ、彼があのアインなのか!?」
男は思わず声を上げる。
組織の実質一番手で、よほど捕まらない自信があるのか、依頼人の前で普通に顔を晒している。
金の髪に赤い瞳。
薄暗い地下室ですら埋もれない、人目を引く男だった。
服装もかなり派手で、ジャケットには、透明な硝子で作られた大ぶりのボタンが並んでいた。
薄暗い地下室の中で、そこだけが宝石めいて鋭くきらめいている。
こんな目立つ容姿と格好で裏社会を歩けるのだから、よほど腕に自信があるのだろう。
アインは男の質問に答える代わりに、軽く肩をすくめる。
ツヴァイは皮肉混じりに言った。
「お前、前に言ってただろう。ブレアからの依頼なら受けてもいいと。なのにこの依頼を受けたいとは、いったいどういう風の吹き回しだ」
アインは鼻で笑い、壁に背中を預けたまま続ける。
「今回の依頼、オーウェンってやつを引きずり落とすためにそのブレアを絡めるんだろ? 前みたいにただ傷つけるって話でもない。だったら都合がいい。近くでじっくり彼女を見られるからな」
ここで男は、オーウェンが関わった、ブレア・レイバン襲撃の件が脳裏をよぎる。
その瞬間、男の胸に一抹の不安が差した。
「今更だけど、本当に君たちに頼んで大丈夫なのか?」
前回の事件では、結果として宵鴉は任務を失敗している。
だとしたら実力は本当に信用できるのか――そう言いかけた瞬間だった。
男の視界が突然反転したかと思うと、気づいた時には、つい今まで椅子に座っていたはずなのに、床にうつ伏せに押し倒されていた。
背中に重みが乗り、首元には冷たい感触が触れている。
確認すると、喉元に突きつけられていたのはナイフの切っ先だった。
「っ……!」
冷や汗が一気に噴き出す。
いつの間に。
本当に、いつの間に。
中央騎士団でもそれなりに場数を積んでいる男ですら、まったく気配を感じられなかった。
それどころか、よく考えれば、アインが声を出すまで、同じ部屋にいたことすら気づかなかった。
と、背中の上から、笑い声がする。
ツヴァイが呆れたように息をつく。
「……依頼人を危険に晒すな」
しかしアインはその言葉を全く気にすることなく、悪びれもせずに答える。
「別に本気じゃないって。それに、こうやって見せた方が早いだろ?」
その言葉と同時に、背中の重みが消え、ナイフの感触も離れる。
男はゆっくりと体を起こした。
心臓はまだ早鐘のように鳴っている。
喉元に残る冷たさを思い出しながら、男は確信した。
――他の誰でもない、このアインなら、あの計画を実行できる。
男は服の乱れを整えると、ゆっくりと振り返った。
「……気に入ったよ」
そして、赤い瞳の男をまっすぐ見据える。
「今回の仕事、君に任せよう」
「あんたのためじゃない。俺が面白そうだと思ったからやるだけだ」
その時ツヴァイが、思い出したように言う。
「そういえばお前、依頼でもないのに、たまにブレアを覗きに行ってるらしいな」
アインはにやりと笑う。
その問いには答えない。
ただ、赤い瞳だけが、獲物を見つけた獣のように楽しそうに細められていた。




