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婚約破棄をでっち上げられた商人令嬢は、面倒ごとを避けるため堅物騎士と契約結婚します。〜これで仕事に集中できる!〜  作者: 春樹凜
第二部

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8.堅物騎士の子守



「と、とりあえずお水を飲みましょう。すぐに戻ってきますから、だから、ね?」


 色々衝撃的だけど、固まってる場合じゃない。

 酔っ払いにはまず水を飲ませる。

 これが常識だ。

 そう言って説得すると、彼は少しだけ不満そうな顔をしながらも、渋々腕の力を緩めてくれた。


 よし、離れた……と思ったのも束の間。

 私が立ち上がった瞬間、またまた服の袖をくいっと掴まれる。

 

 うーん、これ、このまま永遠に同じことが繰り返される気がする。

 酔っ払いオーウェンは、人肌が恋しくなるタイプなのか、どうも離れたくないらしい。

 それなら本人をキッチンまで連れていくしかない。


「オーウェン、立てそうなら、一緒にキッチンまで行きましょう」


 そう言ったらオーウェンはこくりと頷き、立ち上がる。

 体が少し揺れているけど、なんとか歩けそうだ。

 彼は私の袖を握ったまま、ついてくる。

 全然離そうとしないけど、また離そうとすると抱き締め攻撃が来て身動きが取れなくなりそうなので、諦めてそのままキッチンへと向かった。

 

 だけど、キッチンに入ってコップに水を入れようとした瞬間、今度は後ろから、全力でぎゅうっと抱きつかれる。

 どっちにしたって私は体の自由を奪われるという……。


「えーとですね、オーウェン」

「んー?」

「動きにくいので、離してほしいんですけど」


 顔を頑張って後ろに向けて確認すると、オーウェンは、首をふるふると横に振る。

 そして、絶対に離れないという意思表示を示すように、私の腰に回した腕の力をさらに強めた。


 ……そうか、ダメか。

 これ以上説得しても酔っ払い相手には無駄だろう。

 仕方なく、私は背中に騎士一名をぶら下げたまま動く。

 非常に重いし、動きにくい。

 だけどなんとか水を汲み、コップに入れて振り返る。


「はい、とりあえず飲んでください」


 差し出すと、オーウェンは口をへの字にする。


「喉、乾いてない」

「いいから飲んでください」

「酔ってない」

「あなたは酔ってます」

「酔ってないから飲まない」


 完全に駄々っ子である。

 いや、本当に。

 あのオーウェンが幼児みたいになっている。


 まさか酔うとこんな感じになるとは、さすがに予想していなかった。

 確かにこれは、厄介な酔い方だ。

 泣き上戸になって絡んでくるダスティお兄様の酔い方と比べてどっちがマシかと問われると、いい勝負だ。


 と、ふと、ある可能性が頭をよぎる。


「……もしかして、あなた、私が先に帰った後、公爵邸でもこの状態だったり……しましたか?」


 さすがにこの醜態をモーリス公爵に見せていたら、色々とただでは済まない。

 でもオーウェンは、即座に首を振った。


「ちがう。人がいる前では、ちゃんとしてた」

「……ちゃんと?」


 思わずまじまじと見てしまう。

 今まさに私の腰にしがみついている人にそう言われても信じがたいけど、本人はやけに自信満々だった。

 ……多分、彼の中ではちゃんとしていたのだろう。


 けれどここでオーウェンの顔が少し曇り、張っていた胸をしゅんとしぼめる。


「でも、一人になったら、頭がくらくらして……」


 オーウェンは少し眉を寄せながら、手で軽く床を指すと、悲しそうに言った。


「ぱたんってなった」


 なるほど。

 つまり、外では気合で耐えていたけど、帰宅して力が抜けた瞬間に倒れた、と。


「……それなら、まだいいんですけど」


 酔っ払いの言葉は大抵は信用できないものだけど、オーウェンに関しては嘘じゃないと思っている。

 彼は自分が面倒な酔い方をすることは自覚していたし、変に過信はしないタイプだ。

 そのオーウェンが公爵邸で一人にしても大丈夫だとはっきり言っていたのだから、公爵の前では取り繕えていたはずだ。

 というか、そう思いたい。


 正直、少しほっとした。

 この状態で外をふらふら歩いていたら、色んな意味で危険すぎるから。


 それに、普段のオーウェンなら強いし、冷静だし、剣だって振るえるから問題ないけど……。

 今の彼は多分、怪しい人に「ちょっとこっち来て」と言われたら普通についていきそうだ。

 しかも妙に甘くて隙だらけだし、ろくな抵抗もできなさそうだ。剣だって絶対にまともに扱えないだろう。


 にしたって、溺愛中より、甘さの濃度がなんというか、濃すぎる。

 これが演技じゃなくて素なんだから、恐ろしい。


「とにかく、お水飲んでください」


 なんにせよ水分補給はさせておかないと。

 私は諦めず、もう一度コップを差し出すと、オーウェンは渋々それを受け取った。

 私から離れた彼はそれを口に運ぶ。

 ……が。


 だらだらだら。

 盛大にこぼした。


「……こぼれた」


 口元と胸元をびしょびしょに濡らしたオーウェンが、どうしようと言わんばかりにそう呟き、こてんと首を傾げる。


 私は少しだけ空を仰いだ後、


「オーウェン」

「ん?」

「もう一回です」


 コップを受け取り、水を汲み直す。


「ほら、ちゃんと飲んでください」


 そして今度は彼がこぼさないように、屈んでもらったオーウェンの口元に私がコップを運ぶ。

 完全に、小さい子供に水を飲ませている保護者の気分だ。

 だけど、今度はさすがにちゃんと飲んでくれた。

 とはいえ、酔いが引いた感じはまったくない。

 これはもう、早く寝かせた方がいい。


 オーウェンの口元と濡れたシャツの部分をタオルで拭き、


「部屋に行きましょう」


 歩き出した途端、案の定また袖を掴まれた。

 これ以上引っ張られると、服が伸びてしまう。

 これお気に入りなので、ちょっと嫌だ。


「オーウェン、だめです。そこばっかり掴まないでください」


 そう言った瞬間だった。

 オーウェンの足の動きが止まる。


 そして。

 うるっと、瞳が潤み、今にも泣きそうな顔で私を見つめると、


「……だめなのか?」

「…………」


 彼の顔と声がまるで捨てられた子犬のようで、私は思わずその場で額を押さえる。

 この酔っ払い、破壊力が強すぎる。

 ああもう。


「……分かりました」


 根負けしてそう答えたら、オーウェンの顔がぱっと輝き、嬉しいとばかりににぱっと笑う。

 ご機嫌になったようで、何よりだ。

 私は小さくため息をつく。


「私から離れたくないのは分かりました。でも、それならこっちにしてください」


 これ以上服の裾が伸びて、でろんっとなるのは避けたい。

 オーウェンは一瞬だけ差し出した手を見つめ、それから顔を明るくした。


「分かった!」


 今度は袖ではなく、その手をしっかり握る。

 そのまま酔っぱらいの騎士の手を引きながら、オーウェンの寝室の前まで来たところで、私は一度立ち止まった。


 ……さて。

 ここで手を離して「おやすみなさい」と去る、というのはさすがに無理だろう。


「オーウェン、部屋に入りますよ」


 声をかけながら扉を開け、そのまま彼の手を引いて中に入る。


 オーウェンの部屋は驚くほど殺風景で、レイバン家があらかじめ用意していた家具がそのまま置かれているだけだった。


 ベッド、机と椅子に、本棚。

 ただそれだけ。

 余計な装飾もなければ、私物らしいものもほとんど見当たらない。

 ただ、本棚には――


『婚約者が激重愛情表現の騎士様だなんて聞いてません!?~騎士は今夜も甘く愛情を囁く~』


 これをはじめとした、やたらと愛の重い騎士が出てきそうな恋愛小説が数冊並んでいた。

 その隣には、私が溺愛演技の参考にできそうだと思って教えた本も並んでいる。 


 に、しても……なぜオーウェンはこうも絶妙にずれた本を選んでしまうのか。

 むしろちょっと読んでみたくなってきたなと思いながら、改めて部屋の中を見渡す。

 

 とはいえだ。


「人のこと言えないんですよね」


 私はぽつりと呟く。

 私の部屋も、怪しげなタイトルの本が並んでいることを除けば、ほぼ同じ状態だ。

 必要な家具だけ置いて、それ以上何も足していない。

 基本的に部屋はただ寝るだけだから。

 そういうところも、似ているのかもしれない。


 私はふっと息を吐くと、とりあえずオーウェンをベッドに座らせる。


「まずは着替えましょう」


 さっきタオルで拭いたけど、濡れたシャツの水分は全部取りきれていない。

 このままだと普通に風邪をひきかねない。

 そして今のオーウェンに、自分で服を探して着替える能力があるとは思えない。


 が、クロークを漁りに行きたいんだけど、オーウェンが私を離すわけもなく。

 彼は座った状態で私を抱き締め、顔を私の体にぴたりとくっつけ、いやいやと首を振り続けている。


 うーん、どうするかなぁ。

 最初寂しいとか言っていたし、私がいなくなるかもと不安なんだろう。

 ならその不安を取り除くべきか。


 私は胸の下にあるオーウェンの髪をそっと撫でると、優しい声音で話しかける。


「ちょっと服を取りに行くだけなので」

「……本当に? 置いていかないか?」

「はい、取ったらすぐに戻りますから。約束します」


 少し渋ったものの、オーウェンは分かったと言っておとなしく拘束を解いてくれた。


「ありがとうございます」


 その隙に彼から離れ、一応声をかけてから、彼のクロークを開けた。


「ちょっと服借りますね」


 中を覗くと、整然と服が並んでいる。

 その中から寝間着らしきものを見つけて取り出し、ベッドの上に置いた。


「はい、これ着てください」


 オーウェンはこくりと頷き、シャツのボタンに手をかけた。


 ……が。


 もた。

 もた。

 もた。


 指は動いているのに、ボタンは一つも外れない。

 しばらく格闘したあと、オーウェンはしょんぼりとした顔で呟いた。


「……できない」

「……そっか、できないかぁ」


 完全に中身は三歳児である。

 しかし、このまま放置していたら泣いてしまいそうだ。

 本物の幼児のように泣きべそをかくオーウェンは、見たくない……こともないけど、何より彼が嫌だろう。

 酔っ払っても記憶はなくさないと言っていたので。

 

「じっとしててください」


 私はオーウェンの代わりに、手早く彼のシャツのボタンを外していく。

 一つ、二つ、三つ……。

 あっという間に全部外して、そのままシャツを脱がせた。

 シャツの下には、薄手の下着が着られている。


「はい、ばんざい」


 そう言うと、オーウェンは素直に両手を上げた。


「ばんざい」


 いや、言わなくていい。 

 私は思わず小さく笑いながら、そのまま下着を頭から抜いた。


 そこでようやく、オーウェンの上半身があらわになる。


 一度ノーラお義姉様との採寸の際、彼が裸になったことはある。

 さすがにあの時はまじまじとは私も見なかったけど、改めて観察すると、騎士らしく、よく鍛えられた体だった。

 無駄のない筋肉のついた体つきは、見せるためではなく、日々の鍛錬と任務で鍛え上げられたものなのだと一目で分かった。

 道理で以前、私のパンチが効かなかったはずだ。

 こういうところにも、彼の努力が表れているのかと妙に納得しながら、私は寝間着を手に取った。


「はい、これ着ますよ」


 袖を通させ、体を起こしてボタンを留めていく。

 これで上は問題ないとして。

 私は一瞬、下を見た。

 ……うん。


「下は……まあ、いいですね」


 そこまで着替えさせるのは、私も抵抗がある。

 オーウェンに自分で脱げるか一応確認してみたけど。


「できない」


 ボタン外しの時と同じくそう言ったので、早々に諦め、


「じゃあ横になりましょう」


 オーウェンをベッドに寝かせる。


 素直に横になったので、これでやっと落ち着くだろう――そう思ったのも束の間だった。


 オーウェンが、私の手をぎゅっと握る。

 やっぱりか。

 私は小さく息を吐いてから、握られた手を軽く握り返す。


「大丈夫です。寝るまでちゃんとここにいますから」


 そう言うと、オーウェンは安心したようにふにゃっと笑った。

 その表情につられて、私も少しだけ笑ってしまう。


「ほら、もう目を閉じてください。――おやすみなさい」


 これで素直に眠るだろうって思ったのに。

 

「ブレアも」

「え?」

「一緒に寝よう」


 当然のようにオーウェンがそう言ったかと思うと、ぐいっと私の腕を引く。


「え、わっ、待っ……!?」


 私はあっという間にベッドの上に引き込まれる。

 そして抵抗する間もなく、後ろからすっぽりと抱きしめられていた。

 完全に、逃げ道がない。


「オーウェン!?」


 焦って声を上げるけれど、当の本人はまったく気にしていない。

 むしろ満足そうに、私をぎゅうっと抱き締めたまま、頭を私の頭の上に乗せてくる。

 その腕の力は容赦なく、強い。


 ……動けない。

 完全に捕獲されている。


「オーウェン、もう……いい加減に――」


 そう言いかけた時だった。

 不意に、頭の上の重みが消える。

 その直後、顎に手を置かれ、ぐいっと顔を上に向けさせられた。


 え、と思った瞬間――


 ちゅっ。

 軽く額に触れる感触があった。


「おやすみ」


 へらっと、気の抜けた笑みを浮かべたオーウェンは、そのまま目を閉じる。

 そして、数秒もしないうちに、すぅ、と静かな寝息を立て始めた。


 私は一瞬状況が読み込めず、しばらくそのまま固まっていた。


 いや、ちょっと待ってほしい。

 今のは何。

 というか、この状況は一体……。


 後ろからがっちり抱きしめられていて、まったく動けない。

 逃げようとしても、びくともしない。

 完全に熟睡しているらしく、オーウェンはぴくりとも動かない。


 どうしようかと、少しだけはめている指輪を見た。

 この指輪の毒針を刺せば、オーウェンの体の力は一瞬で抜けるだろう。

 でもそうすると、彼は半日毒に苦しめられ、まともに動けなくなる。

 さすがにそこまでするのは、ちょっとどうなんだろう。


「……うーん」


 しばらく考えてから、私は小さく息を吐いた。

 まあ、いいか。

 ここまでがっちり捕まっている以上、どうせ逃げられない。

 それに――オーウェンの腕の中は、思ったよりも暖かかった。


「……このまま寝ようかな」


 そう小さく呟いた途端、ちょうどいい具合に眠気が襲ってきて、私は目を閉じた。


 そして、気づけば、そのまま夢の世界へと落ちていった。



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