7.堅物騎士の予想外の暴走
お父様に契約成立の報告を済ませ、契約書を渡してから新居へ戻る。
公爵との契約が早期に成立したことに、お父様も絶句していた。
分かるよ、私も同じ気持ちだったから。
しかしこれは私ではなく、オーウェンの功績だ。
「きちんと礼をしておくんだぞ」
お父様にそう言われたけど、そのくらい分かっている。
今度オーウェンには、彼が何か喜びそうなものをあげよう。
新しい剣でも贈ろうかな。あるいは美味しいものとか。
……いや、激マズ野菜ジュースを改良したレシピでも作った方が喜ぶかもしれない。
まあ、戻ってきたら何がいいか聞いてみよう。
本邸から出て、歩くこと三分。
まだ住み始めて間もないけれど、だいぶ慣れてきた新居へ戻ると、今日もカールが出迎えてくれた。
餌をやり、ひとしきり遊んでから、私は寝る準備を始める。
お湯を貯めて浴槽に浸かり、疲れをしっかり取って温まった後、ふと時計を見ると、既に十一時半を過ぎている。
普段ならもう彼は帰っている頃合いだ。
心配にはなるけど、あれだけ強く待たないでと念押しされたのだ。
なら、ここは大人しく寝ておくべきだろう。
そう思ってベッドに入ったものの、どうにも落ち着かず、結局起き上がって腕を組む。
いや、オーウェンは立派な大人だ。
私が心配する必要なんてない。
時計を見ると、ただ今十二時を少し回ったところ。
「……うーん」
やっぱり起きて待つべきか。
でも、あの念押しは本気だったしなぁ。
そんな風に悶々としばらく悩んでいた、その時。
玄関の方から、
ばたん!!
と、何かが倒れたような大きな音が響いた。
「!?」
私は思わずベッドから飛び上がる。
今の音、明らかに普通じゃない。
もしかして泥棒?
いや、そんなはずはない……と思いたい。
私とオーウェンしかこの家には住んでいないとはいえ、ここはレイバン家の敷地内。
外には結構な数の警備の人間がいて、敷地内を巡回している。
だけど、音がしたのは事実だし、もしも本当に泥棒だったら、このまま放置しているのは問題だ。
私は普段から持ち歩いている護身用の短剣を手にして、そっとドアを開け、音の方へとゆっくり足を進める。
そして、そこで見たものは……。
「オーウェン!?」
玄関の床に、大きな男が倒れていた。
間違いない、泥棒じゃなくて、どう考えてもオーウェンだ。
私は短剣を放り投げると、慌てて彼に駆け寄る。
「オーウェン! 大丈夫ですか!?」
肩を掴んで揺する。
だけど反応がない。
「え……オーウェン?」
もう一度、さっきより強く揺すっても、彼はぴくりともしなかった。
「ちょ、ちょっと……」
え、嘘、まさか。
もしかしてもしかしなくとも……死んでる?
いやいやいや、そんなわけない。
普通に考えたら、お酒を飲みすぎてひっくり返ったってところだろう。
でも、現実問題、オーウェンはピクリとも動かない。
私は慌てて背中を叩く。
「ちょっと! オーウェン!」
ばしばし、遠慮なく、全力で叩く。
それでも反応はない。
顔を見ようとするけど、彼は完全にうつ伏せだ。
だから体をひっくり返そうとして――私はそこで絶望した。
オーウェン、重すぎる問題。
「あ、これ……無理なやつ」
私の力じゃ全然動かせず、びくともしない。
どうしよう、外にいる警備の人間に助けを求めた方がいい。
私は急いで立ち上がって、外へ向かおうとドアノブに手を伸ばす。
その瞬間。
「……ん」
背後から、低い声がした。
振り向くと、さっきまで倒れていたオーウェンが、のそりと体を起こしているところだった。
彼はゆっくりと座り込み、壁に背中を預ける。
よかった、とりあえず生きてはいるみたいだ。
「オ、オーウェン……?」
私は慎重に近づき、しゃがみ込んで顔を覗き込む。
彼はぼんやりとした目でこちらを見ていた……いや、正確には、焦点が定まっていない。
「大丈夫ですか?」
問いかけると、オーウェンは数秒ほど私の顔をじっと見つめ、それから、ゆっくりと口を開く。
「……ブレア?」
「はい」
「本当にブレア、なのか?」
「そうですよ」
「そうか、ブレアか」
どこからどう見ても、私はブレア・レイバンだ。
こんな分かり切ったことを聞くなんて、相当酔っている気がする。
頬も心なしか赤いし、目も若干とろんとしている。口調もわずかに回っていないような。
とりあえず水でも持ってくるかなと思い、立ち上がりかけた時だった。
私の裾を、くいっとオーウェンが引く。
「……えっと、離してもらえませんか?」
だけど彼の手の力は、いつまでたっても緩むことはない。
私は無理やりえいっと引っ張ろうとしたけど、オーウェンの指はびくとも動かない。
「あの、オーウェン」
「なんだ?」
「いや、手を離してほしいんですけど」
「なぜだ?」
「なぜって……酔っぱらっているあなたにお水でも持ってこようかと」
だからとりあえず離してくださいともう一度お願いしたら――。
オーウェンは突然むっとした顔になったかと思うと、普段の彼からは絶対に出てこない言葉を口にした。
「……やだ」
…………。
聞き間違い、だろうか。
あ、うん、きっとそうだ。
私の耳が少しおかしいのだ。
私もワインを飲みすぎたのかもしれない。
自覚はないけれど。
そう思ってぶんぶんと首を振っていたら、オーウェンはさらにむっとなり、なんなら頬を少し膨らませて、再度言った。
「やだ。どこにも行くな」
「…………」
なんともおかしなことが起こっている。
あの、少し真面目すぎて努力の方向性をたまに間違えることはあっても、どんな時でも頼れる中央騎士団第二小隊副隊長のオーウェンが、「やだ」なんて小さな子供みたいなことを言うなんて。
しかもふくれっ面で。
だけど……。
ちらりとオーウェンの顔を確認すると、彼は未だに拗ねた子供のような顔のまま、唇を尖らせる。
で、次の瞬間。
ぐいっ、と、オーウェンが突然強く腕を引いた。
「え、ちょっ――」
体勢を崩した私は、そのまま前に引き寄せられる。
気付いた時には、オーウェンの腕の中だった。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
完全に、ぎゅうっと抱きしめられている。
しかも、かなり本気で。
呼吸はかろうじてできているけど、逃げられる気がまったくしない。
少し身をよじってみるけど、騎士の腕力に勝てるはずもなく、むしろ腕の力がさらに強くなった。
「オーウェン、ギ、ギブ、苦しいです!」
「……やだ」
また言った。
しかも今度は、さっきより小さな声で。
それから彼は、私の肩に顔を埋めるようにして呟く。
「……寂しい」
「……え?」
「寂しいから……どこにも行くな」
一瞬、思考が止まった。
普段の低く落ち着いた声じゃない。
溺愛の演技をしている時とも違う、どこか甘えるような声だった。
私はゆっくりと瞬きして、もう一度、私を抱きしめるオーウェンを見る。
その顔は完全に、普段のオーウェンからかけ離れたもので。
……つまり、夢でも幻でもなく、目の前にいるのは正真正銘、酔っぱらったオーウェンらしい。




