3.副隊長のその先へ(オーウェン視点)
中央騎士団第二小隊の詰め所へ入った瞬間だった。
「副隊長、おはようございますっ!」
視線を向けるより早くベイクが駆け寄ってきたかと思うと、オーウェンはあっという間に第二小隊の面々に取り囲まれていた。
先頭のベイクを始めとした面々は、みんな一様にニマニマとした表情になっている。
どう考えてもろくなことを言われなさそうだ。
「……何だ」
オーウェンが短く問うと、先頭にいたベイクがにやりと笑った。
「いやぁ、副隊長。改めて結婚おめでとうございます!」
それを皮切りに、隊員たちが次々と口を開く。
「結婚式、すごかったです!」
「副隊長の衣装も似合ってましたよ。どこの王族かと思いました」
「参列者の顔ぶれも豪華でしたしね」
矢継ぎ早に言葉が降ってくるので、オーウェンが口を挟む隙も無い。
口々に好き勝手言われ、オーウェンは眉間に皺を寄せる。
結婚式には中央騎士団第二小隊が警護として配置されていたのだ。
こうなることは、ある程度予想していた。
と、ここでベイクがふと思い出したように口を挟んだ。
「そういえば副隊長、これから名前ってどうなるんすか?」
「名前?」
「いや、ほら。レイバン家に婿入りしたわけじゃないっすか。じゃあこれから副隊長って、オーウェン・レイバンって呼べばいいんすか?」
周囲の騎士たちも「確かに」と頷く。
オーウェンは考える間もなく即答した。
「騎士団では、今までの名前で通す」
レイバン家の名前を使えば、上の覚えもよくなるだろう。
だが、彼女の生家の力を使って上がるつもりはない。
たとえ戸籍上にはレイバン姓になったとしても、騎士としての自分は、これまで通りオーウェン・ハーヴェストだ。
「了解っす。じゃあこれからも副隊長は副隊長っすね」
「ああ、騎士としての俺は何も変わらない。今までも、これからも」
そう言ったら、ベイクが意味ありげな視線をオーウェンの手元へ送ってくる。
「って言っても、変わったことが一個ありますよね。例えばその指輪とか」
ベイクの視線が、オーウェンの左手へ向く。
そこには昨日交換したばかりの結婚指輪がはめられていた。
オーウェンはそれを一度見下ろす。
これは一見普通の指輪に見えるが、とんでもない細工が施されていた。
いくらオーウェンの身を案じるからといって、普通は結婚指輪にそんな物を仕込もうと考えつきもしない。
常に先を考え、備えを怠らない。
必要だと判断すれば迷わず実行するくせに、細工の話をしている時の彼女はどこか楽しそうでもあった。
商人としても、人としても、あまりに彼女らしい発想だと思う。
それに――。
オーウェンの視線が、わずかに柔らぐ。
同じ指輪が、彼女の指にもはまっている。
それだけで、不思議と落ち着く自分がいることに気付いた。
しばらく無言で指輪を見つめていた、その時だった。
「……あれ? 副隊長、今その指輪、めちゃくちゃ愛おしそうに見てません?」
ベイクの言葉に、詰め所が一瞬静まり返った。
オーウェンはゆっくり顔を上げ、何か言おうと口を開きかけるが、それよりも前に別の隊員が大きな声を上げた。
「おいベイク、それ言うなって!」
「いやいや先輩たちも見ましたよね!?」
「馬鹿お前、ブレアさんじゃない俺たちは、副隊長のあんな穏やかな顔滅多に拝めないんだぞ!?」
「今のうちにからかうネタを入手して……じゃなかった、もう少し副隊長を新婚の幸せに浸らせてやれよ」
オーウェンは小さく息を吐いた。
「……お前たち、いい加減に」
だがオーウェンの言葉はまたもや別の隊員によってかき消される。
「まぁ仕方ないですよね。昨日の二人、めちゃくちゃラブラブでしたし」
誰かが肩をすくめると、一気に彼らの熱量が上がる。
「誓いのキスとか普通じゃなかったもんな」
「俺、うっかり控室でイチャイチャしてた副隊長たちのとこに乱入しちゃって。もう、マジでヤバかったっす。二人だけの世界って感じで」
「ベイク、お前ちゃんと空気読めよ」
「読んだっすよ! だから早々に退散したんじゃないっすか」
「でもしかたないですよね、副隊長の奥さん、可愛かったし」
と、ぽつりと誰かが言う。
すると周囲が一斉に頷いた。
「分かる分かる」
「なんかこう、雰囲気いいんすよね」
「笑うと可愛いタイプ」
「副隊長がメロメロになるのも分かるっす」
その後も好き勝手に言葉が続く。
オーウェンは黙ってそれを聞いていた。
――妙だ。
理由は分からない。
ブレアのことを軽々しく話題にされるのが、なぜか落ち着かなかった。
誰かが彼女を可愛いと口にするたび、胸の奥がひんやり冷える。
そして、騒ぎが頂点に達しかけたところで、オーウェンは低く名を呼んだ。
「……ベイク」
「はい?」
「喋っている暇があるなら、溜まっていた書類を今すぐ片付けろ」
「え、あの書類って今日の昼までって――」
「今すぐだ」
いつもよりもわずかに低く、それでいて有無を言わせない声に、周囲にいた騎士たちが一斉に口を閉じる。
ベイクは数秒固まった後、慌てて敬礼して席へと戻る。
他の者たちは、これはまずいと危険を察知して恐る恐るその場を離れようとしたが、オーウェンの声が引き留める。
「待て」
びくり、と全員が同時に足を止めた。
オーウェンはゆっくり周囲を見回す。
「第一班」
「は、はい!」
「西区の巡回に向かえ。すぐ出発だ」
「りょ、了解です!」
名前を呼ばれた騎士が慌てて敬礼する。
「それと第二班」
「はい!」
「装備点検が終わっていないだろう。昼までに全員分確認して報告書を上げろ」
「了解しました!」
短い指示が次々と飛び、先ほどまで騒いでいた騎士たちは、一瞬で散っていった。
詰め所に残ったのは、書類の山を前にしたベイクと、何事もなかったかのように机へ向かうオーウェンだけだった。
詰め所は、先ほどまでの騒ぎが嘘のように静まり返っていた。
書類の山を前にしたベイクが、恨めしそうな視線を向けてくるが、オーウェンは気付かないふりをして机へ向かう。
やがて一時間ほど経った頃だった。
書類の束をめくっていたオーウェンは、ふと手を止める。
「……これは」
ガルフの承認が必要な書類だった。
オーウェンは立ち上がると、そのまま隊長の執務室へ向かい、扉の前で軽くノックをした。
「隊長」
返事はない。
もう一度叩くが、やはり反応はなかった。
けれどオーウェンは、そうだろうとは予測していた。
もしガルフが詰め所にいたなら、さっきの騒ぎを見逃すはずがない。
「ベイク」
「はいっ!?」
書類に埋もれていたベイクが飛び上がる。
「隊長を探してくる。俺が戻るまで、その書類を終わらせておけ」
「え、全部っすか!? でも量が多すぎて……」
「ギリギリまで溜め込んでいたのはどこの誰だ。二度は言わない」
「い、いえっさー……」
ベイクが肩を落とすのを横目に、オーウェンは詰め所を出た。
騎士団の廊下を抜け、ガルフがいそうな場所を探す。
朝の光が差し込む中庭を通り抜けると、遠くから木剣のぶつかる乾いた音が聞こえてきた。
オーウェンはその音の方へ足を進める。
そこは騎士団の訓練場だった。
視線を向けると、中央でガルフが、数人を相手に剣を振るっていた。
彼の体格は騎士団内でも群を抜いており、全員が剣を向けてきても一歩も引かず、むしろ押し込んでいる。
数合打ち合った後、ガルフの木剣がとどめとばかりに次々と相手の胴を叩き、決着はついた。
相手は第四小隊の面々だ。
ガルフはその強さから、よく他の小隊のメンバーからも訓練を付けてほしいとお願いされている。
今日もそのようだった。
「ガルフ隊長」
オーウェンが声をかけると、木剣を肩に担いだガルフが、息切れ一つしていない状態でオーウェンの方に歩いてくる。
「おう、オーウェン! 悪い悪い、ちょっとばかし鍛錬してくれって頼まれててな」
ガルフはそう言いながら木剣を近くの武器台へ立て掛ける。
「問題ありません」
「何か急ぎの仕事か?」
「はい、午前中のうちに本部へ提出する書類なんですが、ガルフ隊長の承認が必要でしたので」
「ああ、分かった。すぐ戻る」
そして二人で並んで、第二小隊の詰め所へ向かって歩き出す。
「まずは上司として、結婚おめでとうと言うべきか?」
「ありがとうございます」
「にしても、こういう場合、普通は二、三日休み取るもんなんだけどな」
ガルフが肩をすくめる。
オーウェンが何か言おうと口を開きかけたが、先にガルフが答えを出す
「ああ……いや、相手があのブレア嬢なら話は別か」
ガルフは思い出したように頷く。
「お前も相当な仕事人間だが、ブレア嬢も似たようなもんだろう? 彼女の、ああ違うな、レイバン家の仕事への熱量の高さは有名だからな」
「……否定はできませんね」
昨日の祝宴会場でだって、彼女はオーウェンと溺愛中の夫婦を演じつつも、延々と仕事の話をしていた。
レストランの料理や内装、宣伝効果、予約状況――主役だというのに、彼女の頭の中はきっと商売のことでいっぱいだったはずだ。
「まぁ、そういう意味じゃお前たちはお似合いだ」
オーウェンは何も言わなかったが、否定もしなかった。
ベイクの進捗具合をちらりと確認してからガルフの執務室へと入り、署名済みの書類をもらう。
用件はそれで終わった。
だが執務室を去ろうとしたところで、オーウェンはふと昨日のことを思い出し、その場で軽く頭を下げる。
「ガルフ隊長。昨日は警護の指揮を取っていただき、ありがとうございます」
「なんだ、急にそんなかしこまって」
「いえ、昨日の警護は通常の案件とは事情が違いました。第一小隊と第二小隊の配置調整に加え、私設護衛団と近衛との連携までまとめていただきました。もし指揮が乱れていれば、現場はかなり混乱していたはずです」
昨日の結婚式は、通常の警護とは規模が違った。
王都屈指の商家レイバン家と、ハーヴェスト侯爵家。
参列者も王族、貴族、大商人といった豪華な顔ぶれだった。
だからこそ、レイバン家の雇った護衛の他に、中央騎士団が警護に当たり、さらに王族の護衛として近衛騎士団も配置されていた。
問題はそこだ。
近衛と中央騎士団は、決して仲がいいとは言えない。
だが今回、現場は驚くほどスムーズに回った。
――近衛にも一目置かれているガルフのおかげだ。
彼のいうことであれば、近衛の人間もある程度は従ってくれる。
「気にするな。ああいうのは年寄りの仕事だ」
ガルフは椅子に深く腰を下ろし、腕を組むと、わずかに目を細める。
「……それより、お前に一つ、耳に入れておく話がある」
オーウェンはわずかに眉を動かした。
「何でしょう」
ガルフは少し間を置いてから言った。
「実はな、お前を小隊長に推す声が出ている」
「本当、ですか」
「ああ、中央騎士団第四小隊の隊長が今期を持って退役するそうだ。昔の戦傷が悪化したって。隊長なんざ実務よりデスクワークと会議が主な仕事だが、座ってる方が辛いってんでな」
「命に別状は」
「ない。ただ田舎に戻ってゆっくり療養するんだと」
つまり第四小隊の席が空く。
そして――。
「俺が第四へ移る話が出ている。そうなると第二小隊長の座が空く。で、副隊長のお前を、という声が出ているんだ」
理由としては、先の宵鴉のメンバーを捕らえたことも関わっているそうだ。
囮を申し出たのはブレアだが、実際に作戦を考え実行し、騎士たちの指揮をとったのはオーウェンだ。
加えて彼のこれまでの功績と、他の隊員からの評価、そのほか諸々を加味した結果、オーウェンの名前が出るのは何ら不思議なことではないらしい。
その評価に、オーウェンは一瞬だけ目を見開くと、
「光栄です」
と短く答えたものの、すぐに表情を戻す。
オーウェンの顔があまり変わらなかったのを見て、ガルフは意外そうに目を丸くする。
「なんだ、てっきり俺はもっとお前が喜ぶかと思ったのに」
「もちろん、上に行きたいという気持ちは以前からあるので、候補として名前が挙がっただけでも喜んでいます。ただ」
「ただ?」
「想像していたよりも早い話だったので、驚きの方が強いですね」
近衛、中央、地方の三つの騎士団において、隊長を務めるのは平均で三十五歳前後。
対して来期に就任すると考えた時、オーウェンは二十四になったばかり。
もちろん、副隊長就任に引き続き、実現すれば史上最年少の隊長の誕生である。
オーウェンの言葉に、ガルフは、まさにそれなんだよなぁとぼやきながら頭を掻く。
「中央騎士団の隊長連中は、全員お前を推すつもりでいる」
中央騎士団の隊長になるには、各小隊長の推薦や、その上の団長に加え、本部人事と総監の承認が必要になる。
そして今回、小隊長たちはすでにおおむね承諾しているらしい。
「騎士団本部の人事の数人がな、ちょっと渋ってるんだわ。まだ若すぎるってな。もう少し実績が欲しいんだとよ」
それも理解できる。
オーウェンが若いのは事実だ。
「それでも人事の中には、お前を推す者も大勢いる。さすが、地道に人脈を作ってただけのことはあるな」
ガルフは肩をすくめる。
「まぁ、今すぐ決まる話じゃないがな。人事の連中が首を縦に振らなきゃ、それで終わりだ」
確定じゃない。
だが、来期には確実にその席が空き、名前が挙がっている。
それだけでも、状況としては十分だった。
「だがまあ、先に耳に入れておいたってだけだ。もし話が進むなら、正式に伝えられるだろう」
「承知しました」
オーウェンは静かに頷く。
「教えていただき、ありがとうございます」
「気にするな。ま、お前なら何とかするだろう。うまく立ち回れ」
軽く手を振るガルフに一礼すると、オーウェンは執務室を後にした。
席に戻ると、紙束の山に埋もれていたはずのベイクが顔を上げ、書類の束を抱えてこちらへやってくる。
「副隊長……終わりました……」
疲れ切ったベイクに、オーウェンは新たな書類の束を差し出した。
「なら次だ。俺が本部から戻ってくる前に、これらを全て片付けておけ」
「えぇぇっ、そんな」
ベイクの顔が引きつる。
オーウェンは淡々と言った。
「数日前の夜勤中、お前が持ち場を離れた件の始末書と、その補足報告書だ」
「うっ……」
「別日の巡回記録も、お前のところだけ空白だったな」
「……」
「終わったら一班に合流しろ」
「了解っす……」
ベイクが絶望した顔で書類を抱えて戻っていく。
その様子を一瞥してから、オーウェンはガルフの署名の入った書類を手に取った。
騎士団本部は、この先の棟だ。
オーウェンは書類を手に、騎士団本部へ向かって歩き出した。
やるべきことは、もう決まっている。
上に行くために、今できることから一つずつ積み上げるだけだ。




