1.新婚夫婦の朝
目を覚ました瞬間、私はぼんやりと天井を見上げる。
……あれ、いつもの部屋じゃない。
ここは、一体……。
まだ覚醒していない頭でうつらうつらと考え、数秒ほどして、ようやく思い出す。
そうだ、ここはレイバン家の敷地内にある別邸の一つで、今日から私とオーウェンが暮らす家だ。
広い敷地の奥に点在する小邸宅の一つで、本邸から少し離れているぶん、二人で暮らすにはちょうどいい。
レイバン家に婿入りしたオーウェンにとっても、この場所は都合がいいらしい。
騎士団の本部まではそれほど遠くないし、何より警備の面で安心だからだ。
うちの敷地内は常に警備の人間が巡回しているし、下手に外に家を構えるより安全なのは間違いない。
あと、この別邸には使用人を置いていない。
私たちの希望だ。
家の中まで人目があると、仲睦まじい夫婦の演技を続けることになる。さすがにそれは気が休まらないから。
私は軽くあくびをすると、ベッドの上で体を伸ばす。
昨日はさすがに疲れた。
慣れない服と靴での結婚式に、参列者への挨拶回り、それから移動してレストランでの祝宴まで、早朝から夜遅くまでずっと動きっぱなしだったのだ。
……そのせいなのか、体が重い。
今日の鍛錬は休もう。
明日から再開すればいいか。
そう決めると、私はベッドを降りて、軽く身支度を整える。
結婚式用に伸ばした髪を、白いリボンで一つにくくりながら、鏡の中の自分を見て、私は少しだけ眉を寄せた。
式のために伸ばしたけど、正直邪魔だ。
式より前は髪は結ばなくてもいい長さだったから。
時間があったら切りに行こうと思いながら、軽く身支度を整え、寝室を出た。
そのまま廊下を歩き、キッチンへ向かう。
すると、扉を開けた瞬間、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
「あ」
思わず声が漏れる。
キッチンにはすでに人がいた。
私の最愛……ということになっている夫にして、昨日は数多の女性陣の視線をかっさらったオーウェンだ。
どうやら彼はとっくに起きていたらしい。
「おはようございます、オーウェン」
私が声をかけると、キッチンで何やら作業をしていたオーウェンが顔を上げた。
「ブレア。おはよう」
「……もしかして、早朝の鍛錬してたんですか?」
髪の毛が少し湿っているので、さっき湯浴みをしてきたんだろうな。
そう推測した私が尋ねたら、オーウェンは再び手元に視線を戻して答えた。
「ああ。いつも通りな」
「わぁ、騎士って本当に体力が底なしなんですね……」
ここに帰ってきたのは、日付が変わってから。
それなのに、いつも通り朝から鍛錬をしていたと。
彼の体力というより、その勤勉さには感心するしかない。
一人うんうんと頷きながら、私はダイニングの方へ向かうと、隅に置かれてある、開けっ放しの鳥籠に話しかけた。
「おはようカール」
私の声で目が覚めたのか、手のひらサイズの白い鳥がゆっくりと目を開ける。
彼は私を見ると、カーと可愛い声で鳴いて小首を傾げた。
この子はつい数日前に購入した、テノリシロカラスと呼ばれる鳥だ。
カラスの仲間だけど、その名の通り、色は真っ白で手のひらに乗せられるほどに小さい。
そしてなんといっても可愛い。
もちろん、知能指数が高いと言われるカラスと同様に、いや、もしかするとそれ以上に賢い。
この子はまだうちに来て日が浅いけど、昨日だって、私が机の上に置いた干し果実をじっと見て、「待て」と言ったらちゃんと動かなかった。
その代わり、許可を出した瞬間、ものすごい速さで食べたけど。
私はカールと少しだけ遊んだ後、エサ箱にご飯を入れて、キッチンの中へ入る。
キッチンも家の大きさ同様、十人以上働く本邸の厨房より狭くて、二人で中に入ると少し手狭に感じるけど、このくらいで十分だろう。
私がポットに予め汲み置きしていた水を入れていたら、オーウェンから声がかかる。
「ちょうどよかった。今、朝食を作っているところだ。君も食べるか?」
お腹は……空いている。
私は即答した。
「食べたいです!」
その言葉に、オーウェンは小さく頷く。
彼の手元を覗き込んだら、フライパンの上で、こんがりと焼き色のついたパンがじゅう、と音を立てていた。
「この匂いは……フレンチトーストですか?」
「当たりだ。何枚食べるか教えてほしい」
「じゃあ二枚で」
答えるや否や、オーウェンはさっと卵を割って砂糖と牛乳を加え、手慣れた様子でフレンチトースト用の液を作る。
彼は騎士団の宿舎内でも、自分でも料理をしていたらしい。
騎士というと豪快な食事のイメージがあるけれど、こうして朝から甘い匂いのする料理を作っている姿は、少しだけ新鮮だった。
その間に私はお湯を沸かして飲み物の用意をする。
「オーウェンは何がいいですか?」
棚には、新生活用に用意された茶葉やコーヒー豆がきちんと並んでいた。
「俺はコーヒーを頼む」
「了解」
私も今日はコーヒーかなぁ。少しだけ眠気が残っているし。
小さな布のフィルターに挽いた豆を入れ、ゆっくりと湯を注ぐと、途端に、香ばしいコーヒーの香りがキッチンいっぱいに広がった。
完成したコーヒーをテーブルに持っていったところで、ちょうどオーウェンの朝ごはんもできたらしい。
短時間だったのに、お皿の上にはフレンチトーストの他に、カットされたオレンジとサラダも添えられている。
「オーウェンは砂糖入れますか?」
「一つほしい」
彼のカップに角砂糖を落とし、混ぜてからオーウェンの前に置く。
「ありがとう。君はそのままか」
「はい。断然ブラック派です」
「意外だな」
「よく言われます」
そう言って、私も椅子に腰を下ろす。
向かいに座ったオーウェンと顔を合わせながら、ふと思う。
時間がある時は、こうして二人で朝食を食べるのがこれからの日常になるのか。
なんとも不思議な気分だ。
でも……悪くない。
そんな風に考えながら、温かいうちにと早速トーストを口に運ぶ。
入れた瞬間、じんわり甘い香りが広がる。
卵液がしっかり染みていて、表面はこんがり、中はふわふわだ。
「んっ、これ、すごく美味しいです! 本当に、お世辞抜きで」
「ならよかった」
ほっとしたように息を吐くオーウェンを前に、私は続けてサラダに手を伸ばす。
葉の張り具合や鮮やかな色からして、おそらくハーヴェスト領の物だろう。食べるとそれは確信に変わる。
朝からこんなにいいものが食べられるなんて、最高だ。
そういえばこの食材、昨日レストランで出した時もかなり評判がよかった。
他にもローリーのケーキとか諸々……。
私はフォークを手に取りながら、何気なく口を開いた。
「……昨日は、色々ありましたね」
そう言うと、オーウェンも小さく息を吐いた。
「ああ」
そして私たちは自然と、昨日の騒がしくて、少しだけ特別だった一日を振り返り始めた。




