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婚約破棄をでっち上げられた商人令嬢は、面倒ごとを避けるため堅物騎士と契約結婚します。〜これで仕事に集中できる!〜  作者: 春樹凜
第一部

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40/61

40.二人の誓い



「……レア、ブレア!」


 どこか遠くから、私の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。  

 その必死な響きに、私ははっと息を吸い込んで目を覚ました。  


 ゆっくりと重い瞼を開け、首を動かすと、すぐ傍に血の気を失ったオーウェンの顔があった。


 彼は私と目が合うなり、心底安心したように、長く震える息を吐き出した。


「よかった……」

「……ここは」

「大聖堂の控室だ。君が急に倒れたから、式を一時中断して運んできた」


 そう言われて、ぼんやりしていた私の頭が急速にクリアになる。


 結婚式。

 大勢の参列者の前での、誓いのキス。

 そして、オーウェンの肺活量に勝てず、完全に息が切れて……。


「あ」


 そうだ。

 私、人生最大の晴れ舞台で、息を止めすぎたせいで気を失ったんだった。


 慌てて体を起こそうとすると、オーウェンがまだ寝ていろと言わんばかりに、私の肩を優しく押さえた。  


 見れば彼の純白の礼装はわずかに乱れていて、私の手を握る彼の手のひらには、うっすらと汗が滲んでいた。  

 あの大騒ぎの中、彼が私を抱き上げて急いでここまで運んだ姿が容易に想像できる。


 ……ものすごく、申し訳ないことをした気がする。


「もしかして、どこか具合が悪かったのか? それとも過労だろうか。最近の君は少し働きすぎだったからな」


 オーウェンが、本気で心配している顔で聞いてくる。  


 えーと、どうしよう。

 すごく言いにくいんだけど。  

 疲労のせいにしてしまえば美しくまとまる気もするけれど、さすがにこの真剣な顔の彼に嘘をつくのは気が引けた。  


 私は気まずさに視線を泳がせながら、正直に答えることにした。


「…… 息を、止めていたので」


 一瞬、沈黙が落ちる。

 オーウェンは何とも言えない顔をした。

 と思ったら、予想外の言葉が彼の口から飛び出した。


「……すまない」

「え?」

「あの時、俺が君の意図を汲み取れなかったばかりに君をこんな目に遭わせてしまって」

「それはその、オーウェンのせいじゃないと言いますか」


 むしろ、私の判断ミスだ。

 そう思っていると、オーウェンが少し困ったような顔で続けた。


「ただ、一つ聞いていいか」

「なんでしょう?」

「……俺から、何か変な匂いでもしていただろうか」

「……はい?」


 変な匂いとは?

 思わず聞き返したら、オーウェンは少し気まずそうに視線を逸らした。


「いや、その、息を止めていたんだろう? 自分では分からないが、もしかしたら君には不快な思いをさせていたのかと思って」


 私のせいでオーウェンが盛大な勘違いをしている。

 慌てて彼の誤解を解くべく口を開く。


「あ、いえ、違います! オーウェンはむしろいつもいい匂いがします!」

「!?」

「しかも香水系じゃなくて、お日様みたいな本当に落ち着くいい匂いなので、自信を持ってください!」

「あ、ああ、そうか……」


 その言葉に、オーウェンは何とも言えない顔をした。

 どう受け取ればいいのか分からない、という表情だ。

 私としては全力の誉め言葉だったんだけど、何か言い方間違えたかな。

 変な匂いだと誤解されたままよりは、よっぽどいいかなと思ったんだけど……。


 部屋の中に奇妙な沈黙が落ちる。


 気絶した私を介抱するためだろう、少しだけ開けられた窓から微かな風が吹き込み、外の木々をカサリと揺らした。


 と、その葉擦れの音をかき消すように、少し間を置いてからオーウェンが口を開いた。


「ち、ちなみに、息は止めなくてもいいと思うぞ。少なくとも、俺は止めていなかった」


 そうだったのか。

 なら今度からそうしよう。

 というか、次に人前でする機会があるかは分からないけど、一度ちゃんと練習はしておいた方がいい気がする。

 

 まあ、それはそれとして。

 今の状況をオーウェンに確認すると、私が倒れてからそんなに時間は経っておらず、参列者もまだ大聖堂にいると。


 それを聞いて、私は慌てて起き上がった。


「なら急いで戻らないと」


 だけど立ち上がった瞬間、少し視界が揺れた。


「大丈夫か?」

「平気です。多分」


 と答えたものの、正直少しふらつく。

 普段の靴と服ならともかく、それなりに気を遣う今の装備で歩くとなると、ちょっと自信が持てない。


 すると私の迷いを敏感に察知したオーウェンが、


「ブレア、力を抜いていてくれ」


 そう言ったかと思うと、ひょいと私の体が浮いて、気づけば私はオーウェンの腕の中にいた。


「なるほど、考えましたね」


 お姫様抱っこなら私は歩かなくて済むし、参列者たちもいい感じに私たちの仲を誤解してくれるはずだ。


「でも結構大変じゃないですか? 私は楽でいいですけど、ドレスもそこそこ重量がありますし、それに……見た目よりも重いらしいので」


 私はいまだに忘れていない。

 ハーヴェスト家へ向かう馬車の中で、見た目よりも重いと言われたことを。


 するとオーウェンは申し訳なさそうな表情で眉根を下げる。


「だからあれは、君を揶揄するつもりで言ったわけじゃなくてだな」

「分かってますよ。それでもあれは女子に言ってはいけないワースト三に入る台詞ですから。言っておきますけど、私、あと数年はあの発言根に持ちます」

「数年……いや、それはさすがに」

「嫌です、絶対に許しません」


 そう言ったらオーウェンはますます困ったような顔になる。


「すまない、どうすれば君の機嫌が直るか、教えてほしい」


 その表情がまるでしょんぼりした大型犬のようで、私は思わず噴き出した。


「ふふっ、すみません、冗談です」

「……つまり俺はからかわれたのか」


 途端にオーウェンぷいっとわずかに視線を逸らす。

 あれ、この反応、怒ってはいなさそうだけど、ちょっとからかいすぎたかもしれない。


「ごめんなさいオーウェン。謝るので機嫌を直してください」

「…………」

「どうしたら、許してもらえますか?」


 尋ねたら、少しの間無言になったオーウェンは、ふと真面目な顔になると私を見た。


「ブレア。さっき、司祭の前で宣言したことを覚えているか?」

「え?」


 突然の問いに首を傾げると、オーウェンは静かに言葉を続けた。


「『病める時も、健やかなる時も。富める時も、貧しき時も。互いに支え合い、苦楽を共にし、生涯愛し続けることを誓いますか』」


 ああ、と私は小さく頷く。


「もちろん覚えています」


 オーウェンは少し視線を落とす。


「俺たちは普通の夫婦とは違う」

「平穏な仕事生活を守るための偽装結婚ですしね」

「だが、『愛し続ける』の部分は……まあ、その、少し違うが、誓いそのものは本心だ」

「……分かっていますよ、それくらい」

 

 もちろん、私だってそうだ。

 彼はそうか、と小さく呟くと、続ける。


「君は何でもできるし、苦手なものなんてないように見える。それに、自分の足で立てる強さも持っている」

「そんなことはありません。私にだって苦手なものくらいありますよ。あなたがあまりお酒を飲まないように」

「だが、基本的に君は強い。だからこそ、ギルバートの件のように誰かに悪意を向けられている時は、必ず相談してほしい」

「でもオーウェンは、強い私が好きなんじゃないんですか?」


 だって彼は前に言っていたから。

 が、オーウェンは、ここで苦虫を噛み潰したような表情になると、とてつもなく深いため息をついた。


「だからこそだ。……むしろ君は強すぎるせいで、自分の身を簡単に危険に晒す方法を取ろうとするだろう。今回の件で、俺はそれをさらに痛感した」


 身に覚えがあるだろうと言わんばかりの目で見られ、私の口から思わずアハハと笑い声が漏れる。


「まあ、性分といますか。だけど今回はほら、何ともなかったですし」

「今まではそうだったんだろう。だがそのやり方はいつか限界が来る。と言っても、君が聞きはしないことも理解している」

「…………」


 ぐうの音も出ない。

 なぜオーウェンはこんなにも私のことを理解しているのか。

 いや、だからこそ私は彼を選んだんだけど。

 なんとなく気まずくなって視線を逸らしたら、


「ブレア、まだ話は終わっていない。ちゃんと最後まで聞いてくれ」


 と、オーウェンに言われたので、しぶしぶ顔の位置を元に戻す。


「そういうわけでだ。君には、隣で君の無茶を守り止めることのできる相棒が必要だと骨身に染みた。だから――次からはちゃんと俺も巻き込め」

「え」


 いや、でも。


 ――互いの仕事を最優先事項とすること。


「契約書の一番上に書いたこの条項に、思いっ切り抵触しませんか?」


 ましてオーウェンは忙しい身だし、私の問題にまで付き合わせるのはどうなんだろう。


 そう思って口を開くと、オーウェンは問題ないときっぱりと言い切った。


「悪意を向けられている人間がいるのに、それを見過ごす方が騎士の仕事に反する」


 つまりこれは、契約違反ではなく職務範囲という理屈らしい。


「それに、君が一人で突っ込んでいく方が、あとあと面倒な事態になる気がする」


 非常に失礼な言い草だけど、否定もできない。


「分かりました」

「本当か?」

「ええ。次に何かあったら、遠慮なくあなたを巻き込みます」


 そう言うと、オーウェンはようやく納得したように頷いた。

 だから今度は、私の番だ。


「その代わり」

「ん?」

「オーウェンもですよ」


 彼が少し首を傾げる。


「あなたも何かあったら、ちゃんと私を巻き込んでください」


 騎士団のことでも、個人的な悩みでも、何でもいい。


「あなたは一人で抱え込みそうですから」


 そう言うと、オーウェンは一瞬だけ黙り、それから頷いた。


「ああ。その時が来たら、そうする」


 そこでふと、彼は思い出したように言った。


「そういえば、さっき、君にも苦手なものがあると言っていたな。それは何だ?」

「幽霊です」


 即答すると、オーウェンは一瞬だけ黙り――。

 そして、堪えきれなかったように小さく笑った。


「ちょっと、笑わないでください」


 なんとなく気恥ずかしくなって、すぐ目の前にある頬を軽くつねってみる。

 手を伸ばせば簡単に届く。

 ムニムニしてみるものの、それでもオーウェンは、まだ少し肩を揺らしている。


 ひとしきり笑った後、彼はまだ震える声で言った。


「いや……少し意外だったからな」

「だって幽霊ですよ? 怖いじゃないですか」


 あんなものは非現実的な存在だと、頭では分かっている。

 けれど、だからこそ嫌なのだ。

 何をしてくるのかも分からないし、そもそもいるのかどうかもはっきりしない。

 

「計算できないものは苦手なんですよ」

「なるほど。君らしい理由だ」

「でしょう?」


 私は腕を組んで胸を張る。

 そうしたら、オーウェンはふっと息を吐いた。


「安心しろ。もし幽霊が出ても、俺が戦うなり会話するなりして何とかするさ」

「幽霊に剣が効くんですか?」

「無理なら逃げるしかないな。足も速いから安心してくれていい」


 真顔で言われて、私は思わず吹き出した。

 ほんと、オーウェンのこの生真面目なところが、私は結構好きだ。


 その距離のまま、私たちはしばらくの間、互いの顔を見つめていた。

 

 オーウェンとは、こうして何度も見つめ合ってきた。

 練習でも、人前でも。

 だけど……。


 彼が、普段とは違って結婚式の衣装に身を包んでいるからなのか。

 今のオーウェンを見ていると、恥ずかしくて目を逸らしたいのに、なぜだか逸らせないような、そんな気持ちになる。


 彼も、私と同じなんだろうか。

 どちらも一言も発さず、何かに引かれるように少しずつ二人の顔の距離が近づきつつあった。


 お姫様抱っこされた腕の中で、彼の吐息が触れるほどの距離になった――その時だった。

 

 ばんっ、と勢いよく扉が開いた。


「笑い声聞こえたんすけど! ブレアさんたちそろそろ戻れそうっすか……あ」


 顔を出したのは、式の護衛を担当している、もはやおなじみのベイクだった。

 彼は、至近距離で見つめ合う私とオーウェンの顔を交互に見た後、大聖堂に響き渡るほどの悲鳴を上げた。


「うわっ、す、すす、すみません! 俺ってばまたまた空気読まずに……」


 そして彼は慌てて両手で顔を覆いながら、さらに大声で叫ぶ。


「こっちのことは気にしなくて大丈夫なんで、存分に続きどうぞっす!」

「あっ、あの」

「いやこれは……」


 私たちは同時に否定しかけたけど、ここで違うと言ってしまうと設定に矛盾が生じる。

 どうしようと二人とも二の句が継げずに固まっていたところで再び入口に目を向けると、ベイクは既に姿を消していた。


「行っちゃいましたね」

「そうだな」


 私とオーウェンは顔を見合わせると、なんとなく笑い合う。

 何がおかしいのか分からない。

 だけど、ただこうして一緒に笑っている時間が、どうしようもなく幸せだと思う私がいた。


 そして、ひとしきり笑い合った後。


「……行くか」


 オーウェンがその顔に柔らかな笑みを浮かべる。

 どこからどう見ても、腕の中にいる溺愛する恋人改め、妻に見せる完璧な微笑だ。


「ですね。参列者をあまりお待たせするのもいけませんし」


 だから私も彼に倣い、夫を溺愛している妻の笑顔を浮かべて答えた。


 そうして私たちは、控室を後にする。

 大聖堂で待つ人々へ、完璧な新郎新婦の姿を見せるために。


 だけどほんの少しだけ、さっきまでとは違う気持ちを胸に抱いたまま。



◯◯◯◯



 彼らが去ったあと。

 窓の外の木ががさりと揺れ、わずかにだけ開いていた控室の窓辺に黒い影が差す。


 いつからいたのか――少し長めの髪を風になびかせた男がそこに立っていた。

 男はしばらく誰もいなくなった部屋を見つめていたが、やがて口元を歪める。


「へぇ……契約書に、偽装結婚、ねぇ」


 自分にしか聞こえないほどの小さな声で呟くと、赤い瞳を細め、にやりと笑う。


「面白いこと聞いちゃったな」


 次の瞬間。

 木陰の中に立っていたはずの男は、一切の痕跡を残さず、一瞬で姿を消した。

 まるで、影に紛れる鴉のように。


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