4.結婚契約書(仮)と家族への報告
私たちがその夜のうちにまとめた結婚契約書(仮)には、主に次のような条項が並んだ。
――互いの仕事を最優先事項とすること。
――仕事に支障が出ない範囲で、生活面では協力すること。
――公の場では、疑われない程度には仲睦まじい夫婦を演じること。
――互いの行動を不必要に制限しないこと。
オーウェンと話をしつつ、こんな感じで結婚契約書(仮)は無事に完成した。
話はサクサク進み、作成には三十分もかからなかった。
ちなみに、私たちの条項のうち最も大切なのは、一番上にある一文である。
これで結婚しても、今と同じように、好きな時に好きなように仕事に打ち込むことができる。
さて、契約書(仮)を作ったところで、私とオーウェンはまだ結婚したわけじゃない。
そのためにはいくつかしなければならないことがある。
オーウェンは侯爵家の人間で、勝手に話を進めていい立場じゃない。
もちろん、私も同じだ。
なので次にするのは、お互いの家族への報告だ。
◯◯◯◯
レイバン家は輸入業を軸に、化粧品や装飾品、外食、宿泊業まで手広く商売を広げている。
そして家の人間は、揃いも揃って仕事人間だ。
父も兄も叔父たちも母も兄嫁も、ついでに八歳の姪ですら自分の役割を持って忙しくしている。
私も例外じゃない。
みんな仕事が大好きなのだ。
成果が数字で見えるのが何よりいい。
……要するに、結婚報告をしたくても、誰も彼も忙しすぎてなかなか捕まらない、ということだった。
実際、オーウェンとの話し合いを終えた翌朝に会えたのは、食堂にいたお兄様だけだった。
「おはようブレア。一週間ぶりだね」
「おはようございますダスティお兄様。いつ戻ってきたんですか?」
「昨日の夜遅く。はぁ、どこの国でも、貴族の相手は面倒で仕方ないよ」
次期当主であるお兄様は、先週から隣国で販路拡大のための社交に追われていた。
人脈作りのための夜会の数は、私の比じゃない。
これも当主に必要な仕事なのだ。
お父様はそれ以上に忙しそうに国内外を飛び回っている。
……正直大変そうなので、私は跡取りじゃなくて本当に良かったと思いながら、周囲を見渡す。
「ところでお父様とお母様を見ませんでした? 今朝は家にいると聞いていたんですけど」
「二人とも予定が繰り上がったらしい。もう家を出ているよ。父さんはダレイス国の会合で、来週までいないって」
「そうですか……。でしたらお兄様、今ちょっとお話いいですか?」
「ちょっとだけなら。具体的には僕が今から食べる予定のトーストをおなかの中に全部流し込むまでの時間ね」
大変だ、お兄様は大変食事が早い。
多分三分ともたない。
私は前置きをすっ飛ばし、簡潔に言いたいことを述べた。
「近々オーウェン・ハーヴェストと結婚するつもりです。一度顔合わせの機会を作りたいと考えていますので、時間の調整をお願いします」
「了解、オーウェン・ハーヴェスト殿と結婚……」
はたと、口にトーストを押し込みかけたお兄様の手が止まった。
ピクリとも動かない。
私は首をひねる。
「どうしましたかお兄様。……あ、もしかして彼のこと知りませんか? 侯爵家次男で、最年少で騎士団の第二小隊の副隊長になった将来有望な人で」
「違う、僕が手を止めたのは君が結婚したいと言ってきた相手を知らないからじゃなくて、驚いたからだ!」
お兄様は、私と全く同じ明るい水色の瞳を大きく見開いた後、トーストを持っていない方の手で頭を抱える。
「一体何が起きれば、巷でも噂の堅物騎士と僕の妹が結婚するって流れになるの!? そもそも君たちが顔見知りだってことも知らなかったんだけど」
「二番街のシャレン食堂で、閉店間際、よく一緒に食事を取っていたんですよ」
私の言葉に、お兄様は合点がいったように指をパチンと鳴らす。
「あそこで会っていたのか。しかも閉店前ってことは他の客はいないと。唯一の目撃者は、口の堅さで有名な店主のザックときた。……なるほど、君たちの話がよそに漏れないわけだ」
あの食堂はうちの管轄で、私は視察も兼ねて通っていた。
そんな時に常連として来るようになったのがオーウェンだったというわけだ。
「真面目な勤務態度で、部下や民からの信頼も厚い。ましてブレアが選んだ男だ。誰も反対なんてしないさ。強いて言うなら……女運が悪いことくらいかな」
「それは私も否定できませんね」
オーウェンが王女含めた厄介な女性に好かれやすい話は、割と有名なのだ。
もう一つ、お兄様には報告をしておく。
「半年後オープン予定のレストランの件ですが。食材の仕入れ先についてもうまくいけば当初の予定通り、ハーヴェスト家から仕入れができそうです」
「……それが目的で結婚を?」
「まさか。そちらはあくまでついでです」
探るようなお兄様の視線を、私は笑って受け流す。
レイバン家は確かに数字大好き人間の集まりだけど、結婚については話が別だ。
本当に心を預けられ、利益など関係なく信頼できる相手と結ばれるべきだという考えが根付いている。
両親も兄夫婦も叔父たちもれっきとして恋愛結婚だ。
だからこそ、私とオーウェンの結婚が利害の一致だけで成り立っていると知られるわけにはいかなかった。
と、その時、使用人の声が割って入る。
「ダスティ様、馬車の用意が整いました」
「もう時間か」
お兄様はトーストを折り曲げてから強引に口の中にねじ込むと、驚くべく速さで喉の奥に流し込む。
「話は分かったよ。時間は何とか作れるようにするから」
「よろしくお願いします」
「それじゃあ僕は行くね」
最後に牛乳も一気に飲み干すと、お兄様は食堂から颯爽と姿を消した。
相変わらず、あっという間の食事時間だ。
残された私も軽く朝食をお腹の中に収めると家を出た。
◯◯◯◯
次に報告できたのは、翌日の三時のおやつ時を少し過ぎた頃。
商談に必要な書類を取りに自宅に戻ったついでに食堂でイチゴをつまんでいたら、部屋の中に、パタパタとした軽い足音と共に、元気な声が響き渡った。
「ブレア姉様!」
フリルのついた可愛いワンピースの裾を翻しながら駆け寄ってきたのは、お兄様の娘で私の姪っ子でもあるモナだった。
「こんにちはモナ。今日も元気いっぱいですね」
「姉様、実は今日はいつもと違うところがあるんだけど、分かる?」
「そうですね……もしかして今着ているワンピースは、ノーラお義姉様のところの新作ですか?」
ノーラお義姉様は、ドレスや装飾品を作る工房を手掛けているのだ。
私の質問に、モナはふふんと胸をそった。
「その通り! どう? 可愛いでしょう!?」
「ええ、とっても。服もそうですし、それを着たモナもとても可愛くて似合っていますよ」
「えへへ、ありがとう!」
お世辞ではなく、本当によく似合っている。
その後、モナの後ろからやってきたノーラお義姉様にも結婚の話をしたら、二人の顔が明らかに輝いた。
「うそ、姉様本当にあのオーウェン様と結婚するの!? すごい! さっそくみんなに自慢しないと!」
「えっと、モナ、今言うのは少し待ってほしいんです。あちらのご両親にもご挨拶をしてからにしてください」
「いつ!? いつ行くの!?」
「今週末の予定ですが」
「んーっ、早くお友達に、カッコいい騎士様が私の家族になるのって自慢して回りたいのに……その日が待ち遠しいっ!」
結婚する当の本人より喜ぶモナに、思わず私の頬が緩む。
そしてノーラお義姉様の方はというと、こちらも別の意味で興奮していた。
「さっそくブレアの結婚式用のドレスを用意しないと! この私に任せてちょうだい、最高にあなたが引き立って、なおかつ式に参加した女性たちがこぞって着たがるような物を作るから!」
まだ日程すら決まっていないのに気が早いなと思いつつ、私は苦笑交じりに頷く。
「はい、そのあたりはノーラお義姉様にお任せします」
「ねえブレア、オーウェン君の衣装もきちんと作りたいから、どこかで一度採寸の日を作ってほしいって伝えててくれる?」
「分かりました」
「楽しみね……うちの工房で手掛けた服を纏って結婚式に出て……その後にはパーティーもあるし、それ用の服も装飾品も作って……ふふふ、招待客への宣伝のしがいがあるわね……」
言いながら小さくほくそ笑むお義姉さまは、このレイバン家の血が入っていないとは思えないくらい、レイバン家の人間らしく商魂たくましい。
さすがはあのお兄様が選んだ女性だ。
そんなことを思いながら、私は最後のイチゴを口の中に放り込んだ。
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こんな感じで、私の結婚の報告は数日中になんとか、レイバン家の人間の耳に入れることができ、オーウェンなら問題ないとみんな賛成してくれた。
「オーウェンの方はどうですか?」
オーウェンと契約書(仮)を結んでから数日後。
いつものようにシャレン食堂で食事をしながらオーウェンに尋ねたら、彼の表情がふっと緩んだ。
「君との結婚と顔合わせの件を手紙で伝えたが。返ってきた文面を見る限り問題はなさそうだった」
「よかったです。ではハーヴェスト領に行く日取りも、予定通り明後日で大丈夫そうですか?」
「ああ。それともう一つの件だが、父が、改めて話を聞いてみたいと。手紙の反応を見るに、そちらの方も承認されるだろう」
「お手数おかけしました。ありがとうございます」
「このくらい、どうってことはない。俺はただ君の言った内容をそのまま伝えただけだ」
「オーウェンが口利きをしてくれたのが大きいんですよ」
さて、この分だと、結婚に関して大きな問題はなさそうだ。
「あとは、リーリア王女の件ですね」
リーリア王女殿下からの顔合わせをさせなさいとのご命令により、すぐに日程を組んだ。
彼女との面会の日、もといリーリア主催のお茶会は明日に迫っている。
私が名前を出した途端、鶏肉を切り分けていたオーウェンの手が止まり、一気に表情が暗くなった。
「そうだな………………」
そして、たっぷり数十秒ほど沈黙した後、お腹の底から絞り出したような渋い声を上げた。
「正直、そのことを考えるだけで気が重くなる」
「そんなに身構えなくても大丈夫ですよ。気楽にいきましょう。なにせこのブレア・レイバンがついているんですから、大船に乗ったつもりでいてください」
が、この時の私は考えが甘かったと、すぐに知ることになる。




