38.花嫁支度と父の言葉
その日は雲一つない晴天だった。
そして――今日はついに、私とオーウェンの結婚式当日だ。
ハーヴェスト家の面々はもちろん、レイバン家の親族も勢ぞろいだ。
オーウェンは、うちの親族の何人かとは今日が初対面だ。
チャーリー叔父様とその奥様のミーヤ様。
そしてリアン叔父様の奥様のフィア様。
チャーリー叔父様夫妻は、一昨日戻ってきたばかりだ。
一年中船で世界を回っているせいか、二人とも日に焼けていて、気質も豪快である。
とくにチャーリー叔父様は商人というより海賊じみていて、実際に襲ってきた海賊に仲間だと勘違いされたことすらあるらしい。
奥様のミーヤ様は、大柄だけど目が覚めるほどの美人。
気さくで、笑い声がよく通る、姉御って感じの人だ。
実際船員たちにはそう呼ばれているそうな。
一方のフィア様は、対照的にとてもおとなしい人だ。
体が弱くて線が細く、どこか儚げな美人。
普段はあまり外に出ないけど、最近はかなり体調がいいそうだ。
ちなみにフィア様は刺繍の名手だ。
彼女の繊細な意匠は貴族女性たちに大人気で、どれほど高値でもすぐに売れる。
しかも見た目に反して値付け交渉が非常にうまい。
そう、フィア様もまた立派なレイバン家の一員なのである。
そんなレイバン家の全員と顔を合わせたオーウェンは、一言。
「……俺は、一体何を売ればいいんだ?」
「売らなくていいです」
「しかしこのままだと、俺だけレイバン家の一員として認められない可能性が」
「認めてますから! あなたはとりあえず騎士やっててください」
まあ、何はともあれ。
こうして結婚式――通称、レイバン家の一大事業が幕を開けた。
◯◯◯◯
控室では、ノーラお義姉様と使用人たちが最後の仕上げに取りかかっていた。
全てを終え、鏡の前に立たされた私を見て、レイバン家の面々が、一斉に感嘆の声を上げた。
「素晴らしいわ」
まずお母様が満足そうに言う。
「やっぱり私の見立て通り、よく似合うわ!」
続いてノーラお義姉様。
「ブレア姉様、キラキラしてて、お姫様みたい!」
最後は姪っ子のモナだ。
それ以外の家族も、うんうんと頷いている。
言葉通り、ドレスは見事だった。
純白の生地の上には、小さな花を散らしたような刺繍と立体の花飾りが胸元から裾まで咲き広がっている。
しかも、最近ノーラお義姉様の工房で開発されたキラキラ光る糸が使われているので、ドレスがわずかな光を浴びただけでも星のように瞬く仕様になっている。
ノーラお義姉様の仕事は、相変わらず完璧だ。
髪型も化粧も、非の打ち所がない。
例の装着まつ毛も、思っていたよりずっと軽い。
鏡の中の私は、いつもよりずっと目がぱっちりと大きく見えた。
ノーラお義姉様の新作としても、きっと十分な宣伝になるだろう。
ただ、個人的な問題が一つ。
今履いている靴だ。
十センチほどあるヒールで、慣れない高さなので、気を抜くとつんのめりそうになる。
それもこれも、オーウェンの身長が高すぎるせいである。
彼と並んだ時の身長差を考慮した結果、こうなった。
私の身長が平均より低いのも原因だと分かっていても、こんなことなら、オーウェンの身長を低く見えるような靴でも開発してもらえばよかったとつい考えてしまう。
しかもドレスの裾は長くて、慎重に歩かないと普通に踏む。
思わず腰が引けてへっぴり腰になっていたら、ノーラお義姉様の声が飛んできた。
「ブレア。無様な姿を見せないで、しゃんとして。じゃないと折角のドレスが台無しじゃない。いい? ブレアは花嫁であると同時に、このドレスの広告塔なんだから」
それに続いてお母様も、
「本番で転ぶなんて醜態を晒したら承知しないわよ」
と、にこりと微笑んだ。
だけど、ノーラお義姉様もお母様も、目がまったく笑っていない。
……こわい。
これ失敗したらただじゃすまない気がする。
「だ、大丈夫です。本番ではちゃんと歩きますから」
そう言うと、ようやく二人は満足したように頷いた。
「さあ、行ってきなさい」
お母様の声に背中を押され、私はゆっくりと歩き出すと、お父様の隣に立つ。
そしてお父様の腕を取り、私たちは控室を出て、大聖堂の入口へと向かった。
重厚な扉の前には、すでに式の準備を整えた神殿の人たちが控えている。
私たちはその前に立ち、扉が開くのを待つことになった。
大聖堂の中からは、参列者たちのざわめきがかすかに聞こえてくる。
静かな時間……のはずだったんだけど。
「ブレア」
隣に立つお父様が、低い声で言った。
「明日の約束、忘れていないな?」
「分かっていますよ」
私は小さくため息をつきながら答える。
「お昼に『裁きの間』ですよね」
「そうだ」
忘れるわけがない。
むしろ、忘れたいくらいだ。
とはいえ、すっぽかしたら勘当されるので、行かないっていう選択肢はない。
一瞬の沈黙のあと、お父様は続けて聞いた。
「それはそうと、バリエスの件はどうなっている?」
「例の湖の宿泊施設の件ですか? まだこれからですね」
私は顎に手を当てる。
「どこの業者を使うかも、設計も、細かい企画もまだ決めていません。ただ……湖の景観を活かした宿泊棟の配置とか、レストランの客席の作り方とか、いくつか思いついたことはあります」
「ほう」
「来週、ダスティお兄様と一緒に計画書をまとめるつもりです」
お父様は、ふっと笑った。
「まだ決まっていなくてもいい。今考えている案を聞かせてみろ」
私は少し考えながら口を開く。
「例えば、湖に張り出す形のテラス席です。水面を眺めながら食事ができるようにして、宿泊棟も大きな一棟ではなく、小さな棟をいくつか散らして配置するんです」
「景観を壊さない配置か」
「はい。あとは夜の湖も売りにしたいです。灯りを増やしすぎず、星がきれいに見えるように」
話しているうちに、だんだん気持ちが高揚してくる。
それはお父様も同じだったようで、楽しそうにうんうんと頷いていた。
「なかなか面白そうな企画だな」
「やっぱりお父様もそう思いますか?」
「ブレアらしい発想だ」
その言葉に、少しだけ胸が軽くなる。
するとお父様は、ふと遠くを見るような目をした。
「……いいなぁ、お前は。私ももっとそういうことをやりたかった。チャーリーのように船で世界を回ったり、リアンやお前のように、新しいことを考えて、それを実行したり。実際お前はとても楽しそうだ」
「楽しいですね。とても」
「羨ましい。本当に羨ましい。もはや妬ましい。私がお前に成り代わりたいぐらいだ」
「でしたらドレスを着て、今からオーウェンと式を挙げます?」
「それでお前と立場を入れ替えられるのなら、ドレスの一つや二つ着てやるとも」
お父様の顔は思いのほか真剣だった。
普通ならだれもが欲しがりそうな、大商家の当主という座。
だけど、私たちレイバン家にとって、それはやりたいことを制限させられる大きな足枷である。
つまり、誰もやりたがらない。
実際お父様たち三兄弟も、やりたくないと押し付け合った結果、じゃんけんで負けたお父様が跡継ぎになった、という経緯がある。
そして、私とダスティお兄様の場合もそれは同じだ。
……あの時、パーを出した私に負けた時のお兄様の絶望に滲んだ表情は忘れられない。
とはいえ、当主になった以上、その人間は絶対に責任を放棄なんてしない。
「当主の仕事なんてな、人脈作りと管理ばかりだ。正直、まったく楽しくない。今でも思う。あの時、チョキを出しておけばよかったと」
過去を悔やんで愚痴を吐き出すお父様だって、なんだかんだ言いつつその役割を果たしているし。
将来、ダスティお兄様もこんなふうにため息をつく日が来るんだろうか。
……ちょっとかわいそうだけど。
許せ、兄よ。
私は絶対に当主にならないから。
「間もなく扉を開きます」
神殿の者の声がかかり、私たちは同時に口を閉じると静かな空気が戻る。
扉が開く直前。
お父様が、ぽつりと言った。
「ブレア」
「はい?」
「……これは父としての言葉だ。花嫁姿、とても似合っているぞ」
「…………」
一瞬、言葉に詰まる。
私とお父様は、それほど一緒の時間を過ごしたわけじゃない。
それでも。
今の一言で、ちゃんと娘として見てくれているのだと分かって、胸の奥がじんと温かくなった。
「ありがとうございます」
そう返した直後、大聖堂の重い扉がゆっくりと開かれる。
私はお父様の腕をしっかりと取り直すと、小さく微笑みを返した。




