33.逆鱗と甘い微笑み
オーウェンからほしい答えを得られたからか、男はにたりと笑う。
そして即座に依頼主の名前を吐いた。
「依頼主はミリス商会のギルバート」
予想通りだったので、特に驚きはしなかった。
「依頼内容は」
「その女を徹底的に痛めつけること」
ジーベンは顎で私を示す。
その瞬間、オーウェンの目がわずかに細くなる。
空気が一瞬で冷えた気がした。
ジーベンを押さえていた騎士が、思わず小さく悲鳴を漏らすほどに。
後ろにいた私も、思わず身震いする。
でもすぐにその空気はなくなって、オーウェンは元のように冷静な口調で続けて問う。
「宵鴉のアジトはどこだ」
その問いに、ジーベンは一瞬だけ口をつぐんだ。
視線を泳がせ、舌打ちをする。
情報を売れば、組織の掟により自分は裏切り者として完全に切り捨てられる。
だが――。
「……どうせ俺が戻らなきゃ、あいつらはとっくにアジトを捨てて逃げてる。なら、こっちも義理立てする理由はねぇ」
自嘲気味にそう吐き捨てると、自暴自棄になったように口を割った。
「今の拠点は旧倉庫街のB倉庫」
「第一班、二班、旧倉庫街の確認に急げ」
「了解!」
オーウェンの命令に、周囲にいた騎士たちがすぐに走り去る。
もしかしてこれで宵鴉は一網打尽?
そう思った私だけど、オーウェンはあまり芳しくない顔色でぼそりと呟いた。
「……もう遅いかもしれないがな」
「どういうことですか?」
「宵鴉は任務が終わると、まずアジトに戻って頭目へ報告する決まりなんだ」
「はい」
「だが予定時刻を過ぎても戻らなければ、その実行犯は捕まったと判断して……即アジトを捨てる」
なかなか思い切りのいい判断だ。
だけど、だからこそこれまで彼らを完全に追い詰めることができなかったんだと悟る。
「宵鴉に忠誠心なんてものはない。捕まれば依頼主もアジトも売ることを、初めから織り込み済みなんだ」
「なら今頃はもう、もぬけの殻かもしれないんですね」
ここから旧倉庫街までは走ってもおよそ二十分余り。
すぐにジーベンを捕まえたから、もしかしたら間に合うのか……微妙なところだ。
そんなことを考えていると、オーウェンが再びジーベンを見下ろした。
「もう一つ聞く」
低い声でそう言うと、ジーベンは面倒そうに顔を上げる。
「依頼はどういう契約になっている」
「契約?」
「成功した場合、今回お前たちはギルバートからどうやって報酬を受け取る予定なんだ」
減刑を約束されたからか、ジーベンはあっさりと口を割った。
「その女が怪我したのを依頼主が直接確認した後、成功報酬を受け取る予定だ」
「直接というのは」
「あの男、怪我をして人前に出られない状態になったそこの女の見舞いに行って、その目で傷ついた様を確認する予定だったらしい。だからできるだけ傷が一生残るような無残な姿にしてくれ、でも命は取るなって内容だったな」
つまり、ボロボロの私を見て、嘲笑うつもりだったんだろう。
最低だとは思っていたけど、想像以上に悪趣味な男だ。
と、その時だった。
――ダンッ。
突然、鈍い音が路地に響く。
見ると、オーウェンの靴が、ジーベンの顔のすぐ横の石畳を踏みつけていた。
あと数センチずれていたら、確実に顔面を踏み抜いていただろう距離だ。
ジーベンの喉がひゅっと鳴る。
オーウェンは見下ろしたまま、低く抑揚のない声で言った。
「……よく喋る口だ」
その場にいた騎士たち全員が、思わず息を止める。
あれって……やっぱり怒っている、よね?
さっきもそうだったけど、それ以上に。
それでもオーウェンは、怒鳴りもしないし手も出さない。
ただ冷たい目でジーベンを見下ろしたまま、続けて言う。
「他には」
ジーベンはびくりと体を震わせると、明らかに上ずった声で答える。
「せ、成功したかどうかは、伝書鴉で知らせる! 後は向こうが指定した時間に、報酬を取りに行くだけだ!」
「なら今報告しろ。……俺の言っている意味が分かるな」
拘束を解かれたジーベンは紙を渡され、震える手で慌てて短い文を書く。
『依頼成功。標的は重傷。指示を求む。』
ジーベンがひゅぅっと口笛を吹くと、暗がりの向こうから小さな鴉が飛んできて、彼の肩に止まった。
ジーベン紙を小さく巻き、鴉の脚に結びつけると、黒い影は一度羽を震わせ夜空へと飛び立った。
しばらくして、鴉は再び舞い戻ってきた。
脚には、新しい紙が結ばれている。
騎士がそれを解き、オーウェンへ渡した。
『明日の18時。王都ミリス別邸裏庭。』
オーウェンは紙を折ると、ふっと息を吐く。
「釣れたな」
「となると、私が重傷を装って、ギルバートをおびき寄せないといけませんね」
オーウェンはそれには答えず、もう用はないとばかりにジーベンから視線を外し、騎士たちに命じる。
「連行しろ」
「了解!」
やがて足音が遠ざかり、路地には私とオーウェンだけが残った。
さっきまでの騒がしさが嘘のように、夜道は元の静けさを取り戻している。
だけど、彼が発していたピリピリとした怒りの余熱は、まだ冷たい空気の中に燻っていた。
オーウェンは何も言わず、夜空を酷く冷たい眼差しで見つめている。
しんとした空気の中、私は黙りこくるオーウェンの顔を見上げる。
「……あの、まだ怒ってますか?」
私の声にハッとしたように肩を揺らしたオーウェンは、一瞬だけ目を伏せた後、ようやく張り詰めていた空気を解いてくれた。
「すまない」
「え、謝られるようなこと、何かありましたっけ」
「……君を怖がらせてしまったのではと思って」
「まあ、確かにさっきのオーウェンはものすごく怖かったですね。どこの魔王が降臨したのかと思いましたよ」
いや、血も凍るようなっていうのはああいうのを言うんだなと、うんうん一人で頷いていたら、オーウェンが少し下を向いてばつが悪そうな顔になる。
「ギルバートの話を聞いて、少し頭に血が上った」
彼が仕事において、あんなに感情をむき出しにするのは珍しい。
それだけギルバートの卑劣な指示が、彼の逆鱗に触れたんだろう。
「だが、君は随分と冷静だったな。あんな計画を聞かされたというのに」
「不快ではありますが、今さら驚きません」
「……本気で言っているのか」
オーウェンが信じられないというように目をすがめる。
そう言われても、いかにもギルバートが言いそうな指示だったし、予想できたというか。
それに。
「私が怒る前に、あなたが誰よりも恐ろしい顔をして怒ってくれましたからね。私の出る幕はなくなってしまいました」
冗談めかしてそう言うと、オーウェンは一瞬きょとんとした後、こめかみを押さえた。
「ああいう人間の考え方は、俺にはまったく理解できない」
「私にも分かりません。分かりたくもありませんが」
「そうだな」
そこでオーウェンは私に視線を向ける。
「とにかくだ。君が被害者にならなくて、本当に良かった」
その瞬間、彼はさっきまで見せていた怒りの顔とはまるで違う、ふわりとした柔らかい笑顔を浮かべた。
私はこれまで何度も、一般的には貴重だと言われる彼の笑顔を見てきたわけだけど……。
そんな私ですらも、それは初めて見る表情だった。
溺愛演技の時とも違う、それよりももっと甘さと優しさの増したような、そんな顔で。
「…………」
思わず彼の笑顔に釘付けになっていると。
「ブレア? どうしたんだ」
すぐに表情筋を戻したオーウェンが、怪訝な声でそう聞いてくる。
「い、いえ。……なんでもありません」
なんというか、初めてあのそろばんを見た時のような、妙な胸の高揚感を覚えてしまった。
だけど、今はそんな場合じゃない。
私は落ち着かせるように深呼吸をすると、これからのことについて考える。
今回の作戦は、囮になると言った私の提案を元にオーウェンが考えた。
宵鴉の証言だけじゃ、ギルバートを拘束するのには不十分だ。
だからこそ、言い逃れができないよう、彼が宵鴉と接触して、お金を渡し終えたその瞬間に捕まえる。
そのためにも、しっかりと重傷者を装わないと。
適当に包帯巻いとくだろうか。
……いや、むしろ顔も含めて全部巻いた方がそれっぽいかもしれない。
とにかく、明日は重傷患者ブレア・レイバンの誕生である。




