31.二度目の依頼(ギルバート視点)
王都の外れにある、人通りの少ない裏路地の奥にある酒場の地下室。
ギルバートは苛立った様子で椅子を蹴る。
「くそっ! どういうことだ、誰も辞めてないじゃないか!」
低い天井の部屋の中で、怒鳴り声が響いた。
するとギルバートの向かいの椅子に座っていた男が、ゆっくりと息を吐く。
男は顔を覆う黒い布を被り、目だけを覗かせている。
彼は、王都の裏社会で名を知られる集団――宵鴉の頭目だった。
男は落ち着いた声で、ギルバートの言葉に返す。
「お怒りのところ悪いがな。俺たちは依頼通りの仕事をした」
「ふざけるな!」
ギルバートは机を叩いた。
「料理人は辞めてない! あいつら普通に店に残ってるじゃないか!」
男は淡々と返す。
「依頼はラリアンという男の利き腕を折って脅せ、だったろう。加えて他の人間には警告文を届けること。その結果彼らが店に残ろうと残るまいと、それはうちの仕事じゃない。彼らの判断したことだ」
ギルバートの顔が歪む。
確かにその通りだった。
ラリアンの利き腕を折れば、他の料理人もすぐに逃げると踏んでいた。
だが結果は逆だ。
誰一人辞めず、護衛まで付いた。
もう同じ手は通じない。
机の上に沈黙が落ちる。
だがギルバートの胸の中では、怒りがぐつぐつと煮えたぎっていた。
ブレア・レイバン――あの女の顔が脳裏に浮かぶ。
おそらく今回の襲撃事件、ブレアのことだ、ギルバートが企てたと考えているかもしれない。
証拠は残していないが、かといってギルバートには何の収穫もなかった。
ただ、この宵鴉たちに無駄に金を払っただけ。
このままでは、ブレアのレストランの成功は目に見えている。
結婚式もさぞ豪勢に開かれることだろう。
その中心で、彼女は幸せな花嫁として微笑むのだ。
「許せないぞ、ブレア……!」
あの女だけが何もかも手に入れるような顔をして笑っている。
そう思うだけで、胸の奥がぐしゃぐしゃに掻き回されるようだった。
と、ここでギルバートの中にある考えが浮かぶ。
――ちまちまと周りを攻撃するのはやめて、どうせなら、あの女を直接攻撃すればいいんじゃないか?
まして実行犯は彼ら宵鴉だ。
彼らが捕まるようなヘマはまずしないだろうし、よしんば捕まって依頼人に自分の名前を上げたところで、証拠がなければどうしようもないはずだ。
ギルバートはゆっくりと顔を上げ、低い声で次の依頼を告げる。
「……なら、次はブレア・レイバンを狙え。そして一生消えない傷を刻みつけろ。ただし殺すな。その傷を抱えたまま生きてもらわないと困る」
空気がわずかに変わった。
しかし男は驚きもしない。
「少なくとも一介の料理人の腕を折るより難しい仕事になるな。相手は大商家の娘だ。おそらく彼女の周りも警戒を固めているだろう」
「分かってる」
「加えて婚約者はあの中央騎士団のオーウェンだ。あいつはなかなか手強い。奴が彼女を護衛する可能性も高い。その隙をつくんだ、当然料金は上がる……」
「構わない。宝石ならいくらでも出す。だから、あの女をボコボコにしてくれ!」
その言葉に、男は小さく笑う。
「いいだろう」
そして背後に立っていた男へ視線を向けると、声をかけた。
「アイン、仕事だ」
呼ばれた男は、壁にもたれたまま欠伸をする。
緊張感の欠片もない男は、まったく顔を隠していなかった。
襟足の長い、くすんだ金の髪。
少し長めの前髪の隙間から覗く瞳は、血のように赤い。
まだ若い男で、整った顔立ちをしている。
だがその目には、どこか人を食ったような光が宿っていた。
加えて、王都の闇を渡り歩くにしては、あまりにも派手な服装だった。
彼はもう一度大きく欠伸をすると、短く答えた。
「やなこった」
ギルバートが目を剥く。
「……は?」
依頼人の前だということなどお構いなしで、はっきりと嫌だと言った前回と全く同じ流れだ。
けれど、二回目の目撃だとしても、やはりギルバートは驚きを隠せなかった。
男がわずかに苛立ちを乗せた声で言った。
「また断るのか」
「断るね」
「前もそうだっただろう。お前は誰よりも実力がありながら、なぜこういう類の仕事を断る」
アインは面倒そうに肩を回しながら、答える。
「そのギルバートって男が個人的に気に食わないから」
その一言で、部屋の空気が凍った。
だがアインは気にする様子もなく、赤い瞳でギルバートをじろりと眺める。
「この間から思ってたけどさ、要するにこれって、振られた腹いせだろ?」
アインの指摘に、ギルバートの顔がみるみる赤くなっていく。
けれどアインはそれを鼻で笑う。
「マジであんただせぇわ。器もちっせぇし。そりゃ振られて当然だろ。……正直俺はそいつよりも、ブレアって女の方が興味あるね。あっちの方が面白そうだ。彼女からの依頼があるなら、どんなんでも受けてやっていい」
「おいアイン」
しかし頭目の言葉をアインは遮り、今度は彼に顔を向け、なおも続ける。
「あんたももうちょっと客選べよな。金払いがいいって言ったって、こんなクソしょうもない仕事させようとすんなよ」
「き、貴様ぁ、底辺に這いつくばるドブネズミのくせに、この俺を馬鹿にするのか!」
怒り狂うギルバートを見て、頭目はたまらずアインにこぶしを振り上げる。
「いい加減にしろ! 依頼人の前だぞ!」
だが次の瞬間、その拳は、空中で止まる。
かなりの速度と重さがあった。
それでもアインは顔色一つ変えず、片手で軽く受け止めていたのだ。
そのまま彼は男の拳を受け止めた手に力を込める。
「ぐっ……」
痛みで小さく声を出す頭目に対し、アインは唇の端を吊り上げる。
「なあ、俺を従わせたかったらさ。俺より強くなってから言えよ」
やがてアインの力が緩み、頭目は忌々しげに舌打ちをする。
ギルバートも、この宵鴉には強さの序列があることは知っている。
そして、この男の名前はツヴァイ――実質の取りまとめ役である一方、戦闘面では二番手の実力者のはずだ。
なのにその彼をこうも圧倒した男。
それだけアインとツヴァイの間には実力の差があるということだ。
……いや。
ギルバートは、アインに目線を向ける。
彼は強いだけじゃない、何か異質な空気をまとっていた。
あまり関わってはいけないと、本能が言っているのが分かった。
思わず身震いしたギルバートは、慌てて話を打ち切った。
「も、もういい。彼でなくとも、別の実力者にお願いしたい」
「じゃあ俺はもう用なしってことで」
ひらひらと軽く手を振ったかと思うと、次の瞬間。
アインの姿は、足音も立てず地下室の闇へ溶けていた。
まるで最初から幻だったかのような異常な身のこなしに、ギルバートは背筋を凍らせた。
彼がいなくなった途端に、地下室の空気がふっと軽くなったのが、その男の放っていたプレッシャーの異常さを物語っていた。
ほっと息を吐くギルバートに、ツヴァイが軽く頭を下げる。
「失礼した。あれはうちの例外でな」
「れ、例外?」
「実力は折り紙付きだが、気まぐれだ。気に入った仕事しか受けない。だが安心しろ」
そう言いながら頭目は席を立つ。
「お前の望む程度のことなら、別の奴で十分だ」
そして入口へ向かって歩き出した彼は一度だけ振り返り、
「ブレア・レイバンは、必ず襲う」
それだけ言うと、男も闇の中へ消えた。
地下室にはギルバートだけが残る。
彼はゆっくりと笑った。
「……ブレア」
彼女の顔が恐怖に歪む瞬間を想像し、ギルバートは歓喜に肩を震わせた。
「今度こそ、お前は終わりだ」




