28.滲む後悔と下す決断
リアン叔父様からの手紙を受け取った瞬間、私はすべての予定をキャンセルし、急ぎバリエスを発った。
その日の夕方には、王都に辿り着く。
そのままリアン叔父様から教えてもらっていた治療院へ向かった。
扉を押し開けると、薬草の匂いが鼻をついた。
「ラリアンさんは!?」
奥にいた助手らしい女性が驚いた声を上げる。
「あ、えと、125号室です」
私は返事を聞くや否や、廊下をなるべく早足で歩き、指定された部屋の扉を開く。
「……ラリアンさん!」
「ボスか」
ラリアンは私を見ると、いつもの豪快な笑みを浮かべた。
「えらい早いご帰還だなぁ。視察はまだ途中だったんじゃ?」
ベッドから半身起こしたラリアンさんは、思っていたより顔色もいい。
命の心配はないと分かってほっとする。
だけど……右腕に巻かれた分厚い包帯が、全てを物語っていた。
「ラリアンさん、その腕……」
「ああ、これな。骨折られちまってよ。幸い綺麗にぽっきりいったんで、二カ月で完治はするらしいが」
「……っ、何があったか教えてもらってもいいですか?」
私はベッドの横に椅子を引き寄せ、腰を下ろす。
それを確認したラリアンは天井を見ながら、話し始める。
「怪我したのは昨日の夜だな。ボスの祝宴で出す料理の試作が終わってな。その帰り道だった。いきなり後ろから誰かが襲って来やがった。そのまま地面に押し倒されて、腕をボキッと」
ラリアンは包帯の巻かれた腕を軽く持ち上げる。
「しかもこっち利き腕だぞ? まったく料理人の命ともいえる腕を折るなんざ、なかなかに卑劣な奴だよ」
「他に怪我は」
「ない。地面に腕すった時にできたかすり傷くらいだ。だけどあいつ、最初から俺の腕だけを狙ってきたみたいだったな」
「どういうことですか」
ラリアンは折れた腕をさすりながら、静かな声で答えた。
「痛みで蹲る俺に、そいつ言ったんだよ。『次に致命的な怪我を負いたくなければ、今の店を辞めろ』ってな」
「っ…………」
私は唇を噛む。
彼が負傷したと聞いて、あのレストラン絡みかもしれないとは思っていた。
だけどラリアンの話には続きがあった。
「それだけじゃねえ。俺がやられたあとだ。他の料理人のところに、こんなもんが残されてたらしい」
ラリアンは包帯の巻かれていない左手で、枕元を探ると、取り出したものを私に差し出す。
「ほら、これだ」
受け取った小さく折り畳まれた紙を開くと、そこには温度のない筆跡で、短い言葉だけが書かれていた。
『ラリアンのようになりたくなければ、ブレアのレストランを辞めろ』
「スイーツ監修を頼んでるローリーのところにもな」
思わず紙を持つ指先に力が入る。
つまり、これは見せしめだ。
実際に怪我をさせたのはラリアンだけでも、それを見せつければ十分に脅しになる。
店の料理人たち全員に向けた警告。
――狙いは、明らかだった。
なら、考えられる相手は限られている。
だけど一番の候補になり得るミリスの商会長は今、地方へ商談に出ているはずだ。
それに、彼の性格ならこんな露骨で乱暴な手段は取らない。
そうなると、真っ先に疑うべきはギルバートだった。
証拠はないし、実行したのが本人だとも思わない。
けれど、こんな形で私の事業を潰そうとする理由を持つ人間としては、最も可能性が高い。
私はしばらく、その紙を見つめる。
筆跡だけでは何も分からない。けれど、仮に彼が関わっているのだとしたら、誰かに書かせるくらいはするだろう。
手紙から目が離せず、私の胸の奥がじわじわと冷えていく。
警戒はしていたつもりだ。
店の警備も強化していたし、ミリスの動きも探らせていた。
でも……ラリアンを含めた料理人たちはどうだった?
彼らが店を出た後、誰かに襲われる可能性を、どうして少しでも考えなかったのか。
彼が父親に釘を刺されておとなしくなったと安心して、どこかで気が緩んでいたのかもしれない。
あの男が被害妄想が激しくしつこい人間だと、私は分かっていたはずなのに。
あのボヤ騒ぎの時に、無益な争いを避けるなどと生温い判断をすべきではなかった。
「……私の、責任です」
気付けば、そんな言葉が口からこぼれていた。
もし彼が犯人だとしたら、私の驕りが彼をここまで追い詰め、ラリアンに怪我を負わせることになったのかもしれない。
「……本当に、すみません。ラリアンさんに怪我までさせてしまって」
私の言葉に、ラリアンは一瞬きょとんとした顔をしたあと、困ったように笑った。
「ボスが謝ることなんて、なんもねえだろ」
そう言って、包帯の巻かれた腕を軽く持ち上げる。
「むしろ謝らなきゃいけねえのは、こっちの方だ」
「……え?」
「この怪我のせいでよ。ボスの結婚式の料理も、店のオープンの料理も、俺はあんまり力になれねえ」
ラリアンは豪快に笑おうとしたが、その声にはわずかな申し訳なさが滲んでいた。
「せっかく任せてもらったのにな。情けねえ話だ」
私は言葉を失う。
確かに、結婚式まではもう三週間を切っている。
そして、その一週間後にはレストランの開店。
すでに予約も入っている。
ラリアンを含めた料理人たちに代わる人材なんていない。
彼らは、私がこの人たちしかいないと思って国内を駆け回って集めた料理人たちだ。
このままだと、結婚式も、レストランも、うまくいかないかもしれない。
だけど……そんなことよりも私にとって大切なのは、彼らのことだった。
ラリアンは今回こそ骨折で済んだけど、このままレストランに残ればもっとひどい目に遭うかもしれない。
他の料理人たちだって、ローリーだってそうだ。
それだけは、絶対に駄目だ。
だから、私は言った。
「今回の件で、皆さんが店を辞めると言うなら、止めません。あなたたちの未来のためにも、私のエゴで引き留めることはできませんから」
私の言葉に、ラリアンはすぐには何も返さなかった。
そのわずかな沈黙が、彼らを手放さなければならないかもしれない現実を、ひどく重く私に突きつけてきた。




