25.溺愛恋人の一日デート(劇場と帰り道の告白)
予定していた演目の時間になり、私たちは王都大劇場へとやってきた。
昼間の祝祭市と違って、どこか落ち着いた華やかさがある。
夜会服ほどじゃないけど、きちんとした装いの人々が続々と劇場へ入っていく。
私たちが密着して姿を現した瞬間、周囲の空気が分かりやすくざわめいた。
今日一日で、私たちは十分すぎるほど目撃されたはずだ。
あとは放っておいても噂が広がって、オーウェンを熱烈に慕う子たちも諦めてくれるだろう――くれると、信じたい。
すると。
「恋人が隣にいるのに、考え事か?」
席へと向かう途中、私の意識がよそにあることを察知したオーウェンが声をかけてきた。
彼は腰に置いていた手に力を入れるとぐっと引き寄せ、額が今にも触れそうな距離で囁く。
「こんなに近くにいるのに、他のことを考えるなんてひどい人だ。俺は今、君しか見ていないのに」
で、極めつけに。
「いっそのこと、俺しか見えないように君をどこかに閉じ込めてしまえればいいのにな」
と、謎に仄暗い雰囲気を醸し出しながら、意味不明な発言を投げてくる始末で。
その瞬間、彼の言葉が聞こえていたらしい人たちが、黄色い声を上げる。
が、私は若干引いた。
その場は笑顔でごまかしてボックス席に座ると、正直な感想を述べる。
「さっきのはやりすぎです! ちょっと鳥肌が立ちました」
「だ、だめだったか。すまない」
「一体どこであんな台詞を? アルマイド伯爵は、そういう発言はしないでしょう」
そう言ったら、オーウェンは戸惑ったように眉を下げる。
「実は今回の演目のような題材が流行っていると聞いてから、その類の本を図書館で借りてみたんだ。そこに出てきた、ヒロインを溺愛する騎士の台詞を参考にしたんだが」
「……本の題名を聞いても?」
「確か、『薄幸令嬢は王国騎士に助け出されて、骨の髄まで溺愛されて捕らわれる』、だったか」
なんていう本を選んでるんだこの人は。
タイトルからおおよその見当がつく。
というか、オーウェンの真面目さの方向性って……。
「それは参考書籍から外してください」
「君の反応を見るに、その方がよさそうだ」
「あなたの勉強熱心さは認めますから。今度もっと他に参考になりそうな本を探しておきます」
「分かった、それは助かる」
私もそういうジャンルに詳しくはないけど、タイトルとあらすじを見れば、だいたいの方向性は分かる。
そんな会話をしている間に徐々に会場が暗くなり、そして劇が始まった。
演目は、事前に調べていた通り、『婚約者に捨てられた聖女が、隣国の王太子に溺愛されて幸せになる』という内容のものだ。
正直に言えば、私はあまり期待していなかった。
いかにも流行りの恋愛劇という感じで、もっと安っぽい話かと思っていたんだけど……。
幕が下りたあと、私たちは顔を見合わせた。
「……想像していたより、ずっと面白かったです」
「ああ、俺も意外だった」
オーウェンも同様の感想を抱いたらしく、素直に頷く。
「脚本がよく出来ていたな。それに役者の演技も上手い。特に、本物の聖女と隣国王子に真実を突き付けられていた時の元婚約者たちの表情や仕草は、見事なものだった」
「ですね。あの表情は鬼気迫るものがありました」
話は、本物の聖女であるヒロインが婚約者の王子に裏切られ、偽物に仕立てられて国外追放されるところから始まる。
王子は、自分の浮気相手を本物の聖女に仕立て上げたのだ。
だけど本物の聖女は、追放後に彼女を救った隣国の王太子と結ばれ、逆に本物の聖女を失った祖国は破滅へ傾いていく――そんな筋立てだった。
たまに見るオペラとは全然別物だけど、演出も役者もよくて、思っていた以上に見応えがあった。人気があるのも頷ける。
劇場を出た私たちは、次の計画へ移行するため、夜の公園へ向かって並んで歩く。
「少し冷えますね……」
日が落ちたからか、空気がひんやりとしている。
上着は持ってきていたけど、指先が冷えるなぁと手をこすり合わせていたら、オーウェンが手を差し出す。
「繋ぐか?」
「いいですね!」
まだ人の目もあるから手つなぎで歩くのはいかにもデートっぽく見えるし、私の暖も取れる。
一石二鳥の提案だ。
私は喜んで腕を伸ばすと、彼の手を掴むけど。
「あなたの手、冷たいんですけど」
温もりを手に入れるどころか、私の熱が奪われるだけだ。
しかしここで離すのもなと逡巡していたら、オーウェンが少し考えたあと、こう言った。
「では、こうしよう」
彼は私の手を握ったまま、自分のコートのポケットへと導いた。
そして私の手ごと、そのままポケットの中に収める。
布越しに彼の体温がじんわりと伝わってきた。
ああ、これは温かい。
「あなたにしてはなかなかやりますね」
私が褒めると、オーウェンはどこか得意げな口調で答える。
「これも例の本から学んだんだ。ちなみにその後、騎士の男はヒロインを離さず強引に自宅まで連れて行って寝室に閉じ込める流れだったが」
「その流れはいりませんから」
「分かっている」
そう答えて彼は、私の手をポケットに入れたまま歩き出す。
人通りはまだ多いけど、街灯の灯りの下、夜の空気はどこか静かだった。
しばらく歩いたところで、オーウェンがふと口を開く。
「さっきの劇のことだが。あれを見ながら俺は、もし君がヒロインの立場だったらどうするかを考えていたんだが」
「面白いこと考えるんですね。で、あなたの見解は?」
「もし君があの聖女の立場なら――あの展開にはならないだろうな」
私は少し首を傾げた。
「どういう意味ですか?」
「君があのまま追放されるとは思えない」
私は自分があの聖女になり切ったつもりで、少し考えてから答える。
「そうですね。私ならまず証拠を集めます。聖女の力なんて簡単に偽物を用意できるものではないでしょう。王子とその女性の矛盾を全部調べて、表に出します」
もしそれでも無理なら。
「国が聞く耳を持たないなら、国外に出てしまいますね」
「……ほう」
「聖女の力が本物なら、どこの国でも必要とされるはずです。だったら、わざわざ自分を追い出した国にこだわる必要はありません」
商売と同じだ。
価値があるものは、必ず買い手がいる。
それに私が聖女だったら、絶対に自分を安くなんて見積もらない。
「むしろ私自身を競売にかけてもいいですね。その中で一番高値を付けた国と契約をして、業務内容の確認とそれに見合う報酬を決めて……というか、そもそもそんな浮気王子と婚約すらしません。そうさせられる前に国外逃亡ですね」
私の答えを聞いたオーウェンは、ふっと小さく息を吐いた。
「やっぱり君は、泣き寝入りはしないんだな」
「当たり前じゃないですか。泣いてたら誰かが助けてくれるとでも? だって自分の人生ですよ。道は自分で切り開くからこそ意味があるんです。だったら泣き言なんて言わずに、前進すべきです」
彼女たちだって、弱くならざるを得ない環境があったんだろう。
それでも、最後に決断して動くのは自分自身だ。
私がそう言うと、オーウェンは少しだけ目を細めた。
そのまましばらく歩いてから、私はふと思いついたように彼を見上げる。
「でも」
「ん?」
「あなたは騎士でしょう? 誰かを守るのが仕事ですし。そういう女性の方がよかったんじゃないですか?」
少しだけ口の端を上げて、わざと軽く聞いてみる。
だって世の中のヒロインは大抵、泣きながら助けを求める聖女のような女性。
騎士が守るなら、むしろそっちの方が絵になる。
だけどオーウェンは、迷う様子もなく首を横に振った。
「そういう人ももちろん助けたいとは思う」
「騎士として、ですか」
「ああ。助けを求めている人がいて、守るべき人がいるなら守る。それが俺たちの仕事だからな。だが、それと俺の好みは別の話だ」
私は少し眉を上げた。
「へえ。それは少し気になりますね」
夜の街灯の光の下で、オーウェンは淡々と答える。
「俺が好ましいと思うのは、守らないと立てない人じゃない。守らなくても、自分の足で立てる人間だ。そして、目的を持って、自分の道を進み続ける人」
つまり、オーウェンという好みの男性に一直線に向かって、王家の圧力まで使って自分の愛を貫こうとした……。
「……リーリア王女ですか?」
「なんでそうなる。いや、目的のために突き進む点は、ある意味当てはまっているかもしれないが。そういうことじゃない」
「じゃあ誰なんですか」
そう聞くと、オーウェンはほんの少しだけ視線をこちらに向け、短く告げた。
「君だ」
「……私?」
「ああ」
オーウェンはごく自然な口調で続ける。
「君がそういう人間じゃなかったら、たとえ演技でも、俺は君とこんな関係を築こうとは思わなかった」
よくよく考えてみれば、よくこのオーウェンが偽装結婚の話を受け入れてくれたものだ。
彼の性格を鑑みれば、利益の一致だけで簡単に結婚を決めるタイプじゃない。
どれだけ自分が疲弊していたとしても、そこの判断を鈍らせる人じゃない。
それが私を助けるためとはいえだ。
「ブレア、俺はたとえいつかこの仮初の関係が終わったとしても、君の隣を歩く立場は、できれば誰にも譲りたくない。……それくらいには、君のことが好きなんだ」
私は彼の言葉に瞳を瞬かせ、そして、理解した。
――その言葉の重さは、ちゃんと分かる。
少なくとも、義理や打算で向ける種類の好意じゃない。
友人として、偽装結婚の片棒を担ぐ相棒として堅物の騎士様が口にするには、これ以上ないくらいの高い評価だ。
そのまっすぐな好意に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
だから私も素直に気持ちを口にした。
「ありがとうございます。私もオーウェンのこと、好きですよ」
この仕事をしていると、いろんな人間を見る。
口だけの立派な人もいれば、平然と約束を反故にする人もいる。
その点、オーウェンは違う。
誠実で、責任感があって……それだけでも十分立派だけど、彼はただの堅物じゃ終わらない。
騎士として上を目指す野心もあるし、そのための努力だって惜しまない。
自分の望むものに向かって、自分の足で進もうとする人間だ。
だからこそ、私は彼を評価している。
そう伝えると、オーウェンは一瞬だけ言葉を失ったように黙り込んだ。
そしてふいに、片手で口元を押さえる。
「……どうしました?」
私が首を傾げると、彼はわずかに視線を逸らした。
「いや、その……君にそこまで言われるとは思っていなかったから」
どうも彼は照れているらしい。
私は思わず少しだけ笑ってしまう。
「事実を言っただけですよ」
そして改めて、きちんと告げた。
「オーウェン、あなたのその評価を裏切らないように、これからも頑張りますね」
「ああ。お互いにな」
短い返事だったけど、その声音はどこか柔らかかった。
その後はしばらく夜の散歩を楽しむ人々の間を抜けながら、ダメ押しとばかりに目撃者を増やし、夜風の中を並んで帰路につく。
やがて私の屋敷の近くまで戻ってきた頃、通りの先に見慣れたシャレン食堂の明かりが見えた。
と、ちょうど店主のザックが、外灯を消しているところだった。
「ザック、今日は早いですね」
声をかけると、ザックが振り向いて笑う。
「ブレアさん! すいません、今日は材料がなくなっちまいまして。もう店じまいしようかと。もっと発注かけとくべきでした」
「そういう日もありますよ」
答えたその時だった。
――ぐう。
私のお腹が鳴った。
ほぼ同時に、今度はオーウェンの腹の音が響く。
私たちは一瞬顔を見合わせ、なんだか微妙にいたたまれない気持ちになってどちらからともなく視線を外す。
それを見ていたザックが、豪快に笑った。
「ははは! 二人とも腹減ってんですね! 腹の音まで同時とは、相変わらず仲がよろしいようで」
「あははは」
「まあ、そうとも言えるのか?」
オーウェンはどこか困ったように頭を掻く。
実際、お昼から二人で歩き回っていたのだ。お腹が空くのも当然だ。
「さて、オーウェンさんの好きな鶏南蛮なら二人分出せますけど、どうします?」
ザックの言葉を聞いた瞬間、私は反射的にオーウェンの方を見た。
オーウェンも同じことを考えていたらしく、ちょうどこちらを見ている。
数秒の沈黙のあと、私たちはほぼ同時に頷いた。
「お願いします」
「……頼む」
ザックは満足そうに笑う。
「よしきた!」
そして私たちは、シャレン食堂の中へと入る。
夜の静かな店内で、いつも通りの食事を囲みながら、今日一日のデートは、なんとも私たちらしい形で締めくくられることになったのだった。




