20.契約書の完成
採寸を終えた後、家族への報告も一区切りついたこともあり、私たちは例の仮契約書を作り直すことにした。
以前作った、あの結婚契約書の仮版は、
――互いの仕事を最優先事項とすること。
――仕事に支障が出ない範囲で、生活面では協力すること。
――公の場では、疑われない程度には仲睦まじい夫婦を演じること。
――互いの行動を不必要に制限しないこと
と、こんな感じで条項が続いていた。
自室へ招き寄せたオーウェンと共に、机を挟んで向かい合い、私は書面へ視線を落とす。
彼は腕を組み、真剣な顔で内容を読み返していた。
「何か気になる点でもありますか?」
尋ねると、彼は少しだけ視線を上げる。
「いや。内容そのものに異論はない。ただ……」
言葉を切り、わずかに迷ったあと続けた。
「以前より、随分と現実味が出たと思ってな」
確かに最初にこれを書いた時は、まだ全部が仮定の話だった。
題名にちゃんと(仮)とつけているくらいだし。
でも今は違う。
家同士の了承も済み、式の準備も動き始めている。
「いいことじゃないですか。これは実際に私たちに必要な契約事項なんですから」
そう答えながら、私は羽根ペンを走らせる。
ここに他の条文もいくつか追記する。
そうだ、オーウェンが追加しててほしいと言っていた文も入れないと。
――自分の身をあえて危険や痛みに晒さないように、なるべく、可能な限り善処する……。
「ブレア、なるべくと、可能な限りと、善処するは全部意味合いが同じじゃないか?」
その一文を書き切ったところで、私は顔を上げた。
「だって確約できないですから。それにオーウェンが、なるべく善処するだけでも十分だって言ったんですよ」
オーウェンは私の答えに一瞬言葉に詰まり、それから視線を書面へ落とす。
「それはそうだが。ここまで逃げ道を残している条文も、あまり見たことがない」
「約束は現実的でなければ守れません。絶対と言い切って破るより、守れる範囲を明確にした方が誠実でしょう?」
私としては至極合理的な説明だったんだけど、なぜか彼は少しだけ困ったような顔をした。
「つまり、危険だと判断したら同じことをする可能性はあるんだな」
「状況次第では」
正直に答えると、オーウェンは額を押さえた。
「やっぱりか……」
低く呟いた彼の声には、どこか諦めのような感情が乗っている気がする。
それは気のせいじゃなかった。
オーウェンは観念したように頷いたから。
「分かった。なら、俺が近くにいる限りは守ることにする」
「わー、それってなんだか騎士っぽいですね」
「俺はまさにその騎士なんだが。……ただ、今のは職務の話じゃない」
「違うんですか?」
「ああ。俺の個人的な判断だ。君には無茶をしてほしくない。だが君は何かあれば、俺が止めようが躊躇いなくその身を危険に晒す。だから――その時は、必ず俺が君を守ろう」
オーウェンの声はいつもよりも少しだけ熱を持っているように聞こえて、なんだか妙にむず痒くなる
しかし正直にそれを言うのは恥ずかしいので、代わりに、
「じゃああなたが無茶しそうな時とか、リーリア王女をはじめとした面倒な女性たちに迫られたりしていたら、私が守りますね!」
と茶化すように言っておいた。
それから続けて、私はもう一か所へペンを走らせると、仲睦まじい夫婦の文言へ一語、書き足した。
『熱烈な』と。
「……ブレア」
「はい?」
「それは必要なのか?」
私は顔を上げずに答える。
「現状の噂の広まり方を考えると、疑われない程度では不足ですから。むしろ期待値に合わせるべきかと。ついでにどの程度の言動にするか具体的に書いておきます?」
「そこまでしなくていい。今は伯爵夫婦を参考にしているが、そのうちもっと俺とブレアらしいやり方に変わるかもしれない。だが条文で形を固定すると、それ以外の行動が契約外になる可能性がある」
「それは一理ありますね」
私たちはあの夫婦をただ真似しているだけだ。
いわゆる付け焼刃というやつで。
けれど一緒にいるうちにもっと自然に見えるやり方が出てくる可能性は十分にある。
だって私たちはあの伯爵夫婦ではないんだから。
「分かりました。では明文化は避けます」
そしてついに私は最後の確認を終え、書類を彼の方へ差し出す。
「これで正式版ということで、問題はありませんね」
「ああ」
オーウェンは静かにペンを取り、迷いなく署名した。
紙の上に刻まれる名前を、私は何となく眺めてしまう。
彼が記した名前は、『オーウェン・レイバン』。
まだ結婚しているわけじゃない。
だからこそ、この時点で彼がその名前を記すことが、彼なりの覚悟に見えた。
完成した契約書は、私とオーウェンがそれぞれ控えを持ち、原本は私個人の貸金庫へ預けることになった。
その日の夜以降、控えの契約書を何気なく取り出して眺めながら、ふと笑ってしまうことがあるんだけど。
……なんとなく、オーウェンには内緒にしている。




