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婚約破棄をでっち上げられた商人令嬢は、面倒ごとを避けるため堅物騎士と契約結婚します。〜これで仕事に集中できる!〜  作者: 春樹凜
第一部

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16/40

16.契約書に追加される条項



 オーウェンによって地面に倒されたギルバートはそのまま拘束され、数人の騎士に連行されていった。

 顔を真っ赤にして何か叫んでいたけれど、内容までは聞き取れなかった。


 それよりも、残された私は、周囲の視線の方が気になった。

 だってアイザたちが、興味深そうにこちらを見ていたから。

 何も言わないけど、目は雄弁に語っていた。

 本当にこのオーウェンと私が恋人同士なのかと。


 であれば、取るべき行動は決まっている。


 私はほんの一歩だけ彼との距離を詰め、安心したように小さく息を吐くと、自然な仕草を装い、彼の腕にそっと指先を添えた。


「助かりました、オーウェン」


 見上げる角度も、声の柔らかさも、これまでの練習通り。

 ただし彼は職務中だ。

 邪魔にならない距離はきちんと保つ。


 するとオーウェンも状況を察したらしい。

 騎士としての表情は崩さないまま、ほんのわずかに目元を和らげて私を見る。


「怪我がなくてよかった」


 低く落ち着いた声に、私は小さく微笑んだ。


 途端に周囲から控えめなざわめきが起きる。

 どうやら噂は、事実として受け取られたようだった。


 ……もっとも、色めき立っていたのはアイザたちよりも、第二小隊の面々だったけど。


「見ろよ! 副隊長のあの笑み」

「やっべもん見たわ。後で隊長に報告しないと」

「レイバン家のブレア嬢が恋人か。ベイクの言う通りだったな」


 ざわつく部下たちをオーウェンが一睨みで黙らせ、騎士たち数人はボヤ騒ぎの調査で残り、念のためという名目で彼が私を送り届けることになった。

 断ってもよかったけど、そこは私も空気を読んで、オーウェンの申し出を受ける。


 レストランを後にしてレイバン邸へと戻る馬車に乗ると、既に中は夕暮れの光に包まれていた。

 車輪の規則正しい振動が足元から伝わり、窓の外では石畳の街並みがゆっくりと後ろへ流れていく。


「それにしても、あなたも働き者ですね。ハーヴェスト領から帰ってきたばかりだというのに、もう通常任務なんて。今日まで休みを申請しているって言ってませんでしたっけ」


 景色を眺めながらそう言うと、向かいに座るオーウェンはわずかに眉を上げた。


「君にだけは言われたくない台詞だな」


 それもそうかと、私は肩をすくめる。

 帰ってきたから休むなんて発想は、そもそも私たちは二人とも持ち合わせていない。


 しばし沈黙が落ちたあと、私は窓の外を見たまま口を開いた。


「ギルバート様、すぐ連行されましたね」

「現行犯だったからな。……ところで、火災未遂に関して明らかにあの男は怪しいが、このまま何もしなくていいのか」


 オーウェンたちがあの場にいたのは、もちろん偶然ではなく、例のボヤ騒ぎの報告を受けて駆け付けたためだった。

 ついでに犯人についても申告しようかとは考えたけど、結局やめた。

 これ以上追い詰める必要はない。

 回収した紙片は必要になった時に出せばいいと思ったのだ。


 でも、オーウェンはこちらが何も言わなくとも気づいていたらしい。


「私はミリス商会とは正面から事を構えたくありません。それに彼が自白したところで、確実な証拠がなければ逮捕は難しいですよね? 仮にいかなる理由で逮捕されたとしても、父親は莫大な額のお金を上層部に積むでしょうし」

「そうなると上から保釈しろと横槍が入るのは目に見えている。……まったく、頭が痛いことだ」


 私は彼に同意するように、小さく息を吐く。


「そういうわけなので、無駄にミリスからの恨みを買いたくないんですよ。今回の件で彼はいったんは騎士団に拘束されました。しかも目撃者付きで。これだけで十分な牽制になります。正式に告発すれば商会同士の争いになりますが、今回は、問題を起こしたのはあちら側という印象だけ残せばいいんです」


 わざわざ刃を振り下ろす必要はない。

 相手が自分で転んだなら、その事実だけ利用すればいい。


 オーウェンは何か言いたげだったけど、結局それを口にすることはなかった。


 ただ、誰に言うでもなく、ぽつりと小さな声を落とす。


「これも全て、今の騎士団の弊害だな」


 仮に証拠を提出しても、ギルバートが逮捕されない可能性は高い。  

 レイバン家が騎士団に圧をかければ覆せるかもしれないけど……。


 権力や資金が物を言う世界なのは分かっている。

 だけど、仮にギルバートが罪人だとしても、ミリス以上のお金を騎士団に流して有罪にさせる、なんてやり方は、少なくとも私はしたくない。


「別にあなたのせいではないでしょう」


 私がそう言うも、オーウェンは悔しさをにじませ、かすかに唇を噛む。


 オーウェンが進もうとしている道は、かなり険しい道のりになるんだと思う。

 それでも彼なら、いずれ辿り着くんじゃないかと思えた。

 

 だって理想を語るだけじゃなくて、現場を知り、人脈を作り、それを地道に積み上げていける人だからだ。


 副隊長就任には剣の腕だけじゃなくて、上からの評価も要る。

 それまでの最年少記録を破ったのが、彼の地道な積み上げの結果であることは間違いない。

 ギルバートの婚約破棄騒動のあの夜会にいたのも、人脈作りの一環だったんだろう。


 それに……。

 さっき、部下たちにあれだけ好き勝手言われながらも、どこか楽しげに見えた彼の様子を思い出す。

 どうやら本人の自覚以上に、慕われているらしいし。


 さっきのやりとりを思わず思い出し、私はくすりと笑う。


「騎士団のみなさん、随分楽しそうでしたね」

「……やめてくれ」


 指摘した途端、オーウェンが露骨に顔をしかめた。

 どうやらリーリア王女の情報拡散は、オーウェンにもある意味甚大な被害を与えているらしい。


 少し笑いを堪えていると、ふいにオーウェンの視線が真剣なものへ変わった。


「……ところで」

「はい?」

「君は、あの時ギルバートからの攻撃を避けられただろう。それどころか、ブレアなら返り討ちにもできたはずだ。なのにむしろ自分から受け入れようとしていたように見えたんだが」


 私は一瞬だけ瞬きをし、それから素直に答えた。


「その通りです」

「なぜだ」


 理由は簡単だ。

 あの場で手を出させた方が、未遂で終わらせるよりも今後の被害を抑えられると思ったから。

 だから私は、あれが最善だと判断した。


 もちろん、オーウェンに助けてもらったことを余計なことだと思っているわけじゃない。

 覚悟していたとはいえ、痛いのは嫌だったし。


 そう一通り説明したら、オーウェンは俯くと、深く息を吐いた。


「……君らしい理屈だ」

「誉め言葉として受け取っておきますね」

「違う、褒めていない」


 オーウェンの声は思ったよりも固いものだった。

 しかもその後に上げられた彼の顔には、呆れたような、それでいて納得しきれない表情が浮かんでいた。


 少し間を置き、彼は真面目な声で続ける。


「理解はできる。だが納得はできない」


 その言葉に、私は首を傾げた。

 正直なところ、何をそこまで引っかかっているのか分からなかった。

 私はあの場で最も被害を抑えられる選択をしただけだ。


 感情ではなく、状況と結果を天秤にかけて導いた答えで、それ以上でもそれ以下でもない。

 商人としては、ごく当たり前の判断のはずだった。


 私が黙っていると、彼は小さく視線を落とし、言葉を選ぶように続けた。


「ああいう判断は、合理的なんだろう。君にとってはな」


 一度言葉を切り、ゆっくりと息を吐く。


「だが、俺は違う。騎士だから、という以前の問題だ。友人が目の前で殴られようとしているのを見て、平気でいられる人間なんていない。まして、それを自分から受け入れようとしているなら、なおさらだ」

「そういうものなんですか?」

「そういうものなんだ。一般的にはな」


 そこでオーウェンは、私が殴られる予定だった頬のあたりに視線を落とす。


「心配くらいはする。……当然だろう」


 なるほど。 

 完全に理解できたわけではないけれど――少なくとも、彼が本気でそう思っていることだけは分かった。


「えーと、なんというか、すみません、と言うところでしょうか。あの、なるべく今度からは心配をかけないように動きますので」


 こういう時、何を返すのが正しいのかは分からない。

 けれど少なくとも、彼の言葉を軽く流していいものではない気がした。


「……気持ちは受け取っておく」


 が、その後彼はどこか諦めたような声音になる。


「だが、ブレアは必要だと思えば同じことをするだろう。約束してもな」

「ひどいですね。少しは信用してくださいよ」

「君の内面を信用した上で言っているんだ」

「…………」


 否定できなかった。

 だって事実だから。


 ここでオーウェンは、若干唇を尖らせた私を見て、呆れたように笑う。


「口約束じゃ足りない。だからこそ形にしておきたい」

「形ですか……」

「正式に発表した後、契約書を作ると言っていただろう」

「ええ」

「そこに条項を一つ追加してほしい。――自分の身をあえて危険や痛みに晒さないこと、と」


 私は少しだけ視線を落とす。


 無茶をするなと、昔から両親やお兄様、それに叔父様たちにもよく言われていた。


「うーん……」


 合理性だけで言えば、約束はできない。

 だけど、オーウェンの顔は真剣だった。  

 多分、本気で心配させたんだろう。

 私は良くても彼が嫌なのなら、そこは、これから関係を築く上で調整すべき点だ。


「分かりました。……なるべく、善処します」

「それでも十分だ」


 短くそう言った彼は、どこか安心したようにふっと頬を緩ませた。



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