15.結婚相手の条件
「やはりここにいたか、ブレア!」
私の姿が確認できた彼は、満足げに口元を歪めながらこちらへ歩み寄ってくる。
気持ち的には、彼の相手をするのは嫌だなと思う。
しかし私は大人である。
仮にも相手はミリス商会のご子息。
まして周囲には職人たちの目もある。
彼らの前で無様に撤退するわけにもいかない。
「こんにちは、ギルバート様。本日はどのようなご用件で?」
仕方ないので営業用の笑みを浮かべて問いかけると、彼はわざとらしく肩をすくめた。
「いやなに。たまたまこの近くを通りかかったらな、裏手から煙が見えたんだ。そう、偶然、たまたまだ。だからどうしたのかと心配になって来てやったわけだ」
なんてわざとらしい言い方をする男だ。
これだと自分がこの件に関わっていますと言っているようなものである。
しかもジャケットの裾が不自然に黒ずんでいる。
彼の発言内容や今まさにここにいること、私が拾った証拠品や彼の裾のことを騎士団に報告すれば、間違いなくギルバートは連行されるに違いない。
だけど、ここで通報しても得るものは少ない。
状況証拠ばかりで決め手に欠けるし、商会同士の無益な争いになるだけだ。
この程度の手口がミリス商会当主の差し金とも思えない。
なら、独断で動いたこの男にはもう少し泳いでもらった方がいいかな。
焦った人間ほど、次に大きな失敗をするものだし。
と、いうことで。
一通り分析を終えた私は、何も気づかなかったふりをして微笑んだ。
「ご心配ありがとうございます。幸い、大事には至りませんでした。ですが念のため、警備は強化する予定です」
すると、ギルバートが意味ありげに笑った。
「その方がいいだろうな。この先も、同じようなことが起きないとは限らない」
「ええ。どのような偶然にも備えませんと」
「……随分と落ち着いているじゃないか」
「このくらいで動じているようでは、レイバンの名は名乗れませんので」
私がもっと動揺しておろおろする様でも期待していたのだろう。
笑みを崩さず言葉を返すと、彼の眉がわずかに引きつる。
できればこのまま帰ってほしい。
私とて暇ではないのだ。
彼と非建設的な話を続けるくらいなら、リーリア王女と会話をしている方がよっぽど有意義だ。
彼女は高飛車な王女様ではあるけど、根は意外と素直だ。
オーウェンの一件を除けば私は意外と彼女が嫌いじゃない。
あと、彼女の舌や審美眼は目を見張るものがあるから、色々と参考になるし。
と、沈黙が落ちかけたところで、ギルバートがふと思い出したように口を開いた。
「と、ところで、君の恋人があのオーウェン・ハーヴェストだと聞いたんだが」
彼から値踏みするような視線が向けられると同時に、周囲の空気が分かりやすく揺れる。
発表はまだだけど、我が家の面々も反対はしていないし、どうせ数日中には公表されることになる。
しかも噂は拡散されているとなると、今さら隠す理由もないため、私はあっさりと頷いた。
「ええ、そうですね」
途端に周囲が小さく息を呑む音が聞こえてきた。
ギルバート自身も、一瞬だけ表情を強張らせる。
彼はそのことを知っていたずなのに……実際に聞くと面白くないとでも言いたげな顔だった。
「っ、確か中央騎士団、だったか」
「はい。第二小隊所属の副隊長ですね」
「というと管轄は……そうか! なるほど」
なにがなるほどなのか分からない私は、胸の内だけで首を傾げる。
まるで何か思いついたと言わんばかりの彼はここで腕を組むと、わざとらしく頷いた。
「そうそう、この辺りの治安維持は、その小隊の担当だったはずだな」
「……ええ。それが何か?」
中央騎士団は王都の治安を担当する部隊で、第一から第六までの小隊に分かれている。
そして、この店が建つ大広場一帯は――確かに第二小隊の管轄だったはずだ。
……なんとなくギルバートの言いたいことを察した私は、さらなる頭痛を覚えながらも黙って彼の話を聞く。
「ふん、ではブレア、もしこの場所で火事や騒ぎが頻発すればどうなると思う?」
「…………」
「聡明な君ならば分かるはずだ。……当然、責任問題になるんじゃないのか? この辺り一帯の治安維持に努める、第二小隊のな」
ギルバートのさっきの反応を見るからに、最初からそれを想定していたわけじゃなさそうだけど……。
どうも彼は、そういう方向で私を脅すことに決めたらしい。
まったく、合理性の欠片もない。
呆れている私をよそに、彼はわざとらしく声の調子を落とし、したり顔で続ける。
「だが、安心する方法もある。余計な揉め事を避ける手段がな。例えば、ブレアが俺と結婚すれば、不自然な事故も起きなくなるだろう。騎士団に迷惑がかかることもない。君にも、悪い話ではないはずだ」
「はあ」
「考えてもみたまえ。例のオーウェンという男は、侯爵家の生まれとはいえたかだか一介の騎士だ。名誉だの誇りだの言っても、結局は命令に従うしか能のない社会の歯車に過ぎない。民からの信頼が厚かろうが、あの男の価値など、勤勉さしかないようなものだ。対して俺はミリス商会の跡取りだ。レイバン商会の君の夫としては、私の方がふさわしいだろう?」
「…………」
「俺と君は他とは違う。国の経済を動かしているのは我々だ。影響力も、資金力も、比べるまでもない。君ほどの女なら理解できるはずだ。将来性というものがな。だから考え直した方がいい。やはりあの騎士より、俺を選ぶ方が――」
「ギルバート様」
私は静かに言葉を挟んだ。
声を荒げたわけでもないのに、こちらの気迫に押されたように彼の言葉が止まる。
「一つ、確認してもよろしいですか」
「……な、なんだ」
私は小さく首を傾げたまま、穏やかに問いかけた。
「今の発言は、本気で仰っているのですか?」
「は?」
「騎士という職を軽んじ、責務を果たしている人間を歯車と呼び――その上で、私があなたを選ぶ可能性があると、本当にそうお考えなのかと」
これは私の中で、純粋な疑問としての問いだった。
けれど、声を聞いていた周囲の空気がわずかに冷える。
「……な、何が言いたい」
私は少しだけ考える素振りを見せてから、言葉を選ぶように言った。
「申し訳ありません。少し認識に齟齬があるようでしたので」
「齟齬というのは……」
「私が伴侶に求めるものは、財でも家名でもありません。――信頼できるかどうか。それだけです」
ギルバートの眉がぴくりと動いた。
不快そうに。
だけど私は気にせず続ける。
「オーウェンは、自分の立場で出来ることを理解し、その責務を誠実に果たし続けている人間です。どこかの誰かのように、立場に胡坐をかかず、力を誇示することもなく、ただ当然のように人を守ろうとする。私は彼のそういうところを尊敬していますし、好ましく思っているんです」
「お、俺が立場に胡坐をかいて威張り散らしていると、そう言いたいのか!」
「いえ。私はどこかの誰か、と言っただけにすぎません。ですがギルバート様自身がそう思うのでしたら、そうなのかもしれませんね」
「ぐっ……」
そこでようやく私は、自分が少しだけ熱を帯びた口調になっていることに気づく。
どうもオーウェンを馬鹿にされて、いささか腹が立っているらしい。
だけど今さら引く気にもなれなかった。
勢いのままに、私はギルバートににっこりと言った。
「それなら、天と地がひっくり返っても、私があなたを選ぶことはありえませんね」
誰かがひゅっと息をのんだ音が聞こえた。
私にしては多分、はっきりと言い過ぎた。
もう少しぼかした表現を使って彼をあしらうべきだけど、出てしまったものは仕方がない。
次の瞬間。
「っ、貴様ぁっ!!」
ギルバートの顔が怒りで歪んだ。理性が完全に吹き飛んでいるのが見て取れる。
彼は大きく一歩、乱暴に踏み込むと、その手を勢いよく私に向かって振り上げる。
周囲からは悲鳴が上がり、普段から護衛が動こうとした気配を感じた私は、視線だけで彼の動きを制す。
ここで護衛に止めさせれば、ただの口論で終わる。
でも、衆目の前で私に手を上げれば話は別だ。
さすがにミリス当主でも無かったことにはできないだろう。
少なくとも、今後の無用な干渉は抑えられる可能性が上がる。
私の怪我で済むなら、安い代償だ。
一瞬でそう計算を弾き出すと、衝撃を逃がす角度へわずかに顎を引き、あえて無防備に目を伏せた。
避けようと思えば避けられるし、なんならあんな頼りない腕力からの平手打ちなんて返り討ちにできるけど、あえて動かない。
だけど、予想した痛みはいつまで経っても訪れなかった。
そっと顔を上げると、がしり、と骨が軋むような鈍い音と共に、ギルバートの腕が空中で完全に縫い留められたのだ。
おや? と思い彼の腕の先に視線をやると、そこにあったのは、ギルバートの物とは違う誰かの腕。
聞こえてきたのは、聞き慣れた低い声だった。
「そこまでだ」
いつの間にか、私とギルバートの間に一人の青年が立っていた。
深紺の生地であしらわれた、見覚えのある制服。
白と金で飾り立てた近衛騎士とは違い、装飾は最小限だけど、無駄のない仕立てと銀糸で縁取られた王国紋章が、彼が王都の治安を守る中央騎士団の人間であることを示している。
肩には第二小隊を示す鋼青色のラインが入り、胸元には副隊長を表す銀の階級章が静かに光っている。
それに加えて、鍛え上げられた体躯と揺るがない立ち姿。
振り下ろされるはずだった拳を片手で掴み、微動だにせず静かにギルバートを睨み付ける。
そこにいたのは、オーウェンだった。
彼を見つめるギルバートの顔から、さっと血の気が引いていく。
「な、なぜお前がここに」
けれどオーウェンはそれには答えず、淡々と威圧感のある声で言った。
「公共の場での暴力行為は、見過ごせない」
そしてギルバートの腕をさらに強く握って軽くひねり上げると、地面に引き倒し、傍にいた部下に短く命じた。
「現行犯だ。拘束しろ」




