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婚約破棄をでっち上げられた商人令嬢は、面倒ごとを避けるため堅物騎士と契約結婚します。〜これで仕事に集中できる!〜  作者: 春樹凜
第一部

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12.オーウェンの野心



 翌朝。

 太陽がまだ顔を出す前に、私は目を覚ました。


 旅先でも生活のリズムは崩さない。

 起きたらまず体を動かす。

 商人にとって体力は資本なのだ。


 窓を開けて外の空気を吸い込みながら、何気なく中庭へ視線を向け……そこで、ふと動きを止めた。


 まだ薄暗い中庭の中央に、一人の男性の姿があったからだ。

 顔は見えないけど、体格や髪型からして誰なのか一目瞭然だった。


 彼は既に鍛錬を始めていたらしく、手にした本物の剣を振るっている。

 無駄のない太刀筋に、ぶれない足運び。

 まだ薄暗い中でも、その強さは十分すぎるほど伝わってきた。

 

 しばらくその様子を眺めていたけど、軽く身支度を整え、私も中庭へ降りていくことにした。


 石畳に足を踏み出すと、剣を振るっていた彼が気配に気づき、動きを止めた。


「おはようございます、オーウェン」

「……おはよう。早いな」


 息を整えながらこちらを見る彼に、私は肩をすくめる。


「あなたほどではありませんよ」


 まだ夜明け前だっていうのに、既に額にはうっすらと汗が浮かんでいる。

 どれだけ前から鍛錬していたのか。


「隣で体を動かしても?」

「もちろんだ」


 短く頷くのを確認して、私は少し離れた位置でストレッチを始める。

 肩、腰、脚と順にほぐし、呼吸を深くしたら、そのままその場で、腹筋運動やスクワットへと移行する。

 

 隣では再び剣を振るう音が響いている。

 一定のリズムで刻まれるその音は、不思議と心地よかった。


 しばらくして体が温まった頃、私は声をかける。


「オーウェン」

「どうした」

「よろしければ、一度手合わせをお願いしてもいいですか?」


 勝てるとは思っていないし勝ちたいとも思っていないけど、実はずっと、彼の力をこの身で体験したいなと思っていたのだ。

 

 一瞬だけオーウェンの動きが止まったけど、彼はすぐに小さく頷いた。


「構わない」


 私は彼から木剣を借り、構える。

 対するオーウェンも、木剣に持ち替えて私に向き直る。


 これまで何人かの剣の先生と対峙してきたけど、向かい合うだけでオーウェンが強いことが分かる。

 

 試しに合図もなく踏み込んでみたけど、難なく避けられてしまった。


 その後、すかさずオーウェンが私に攻撃を加え、なんとか受け止められたけど、重さで手がしびれるほどだった。


 体格と筋力の正面衝突では絶対に敵わない。

 ならばと、私は身軽さを活かして低い姿勢から足元を狙い、さらにフェイントを交えて首元へ剣を走らせた。

 

 だけど、洗練された彼の剣筋には無駄も隙もない。

 私が急所を狙った変則的な一撃も、すべて冷静に弾き返されてしまう。  


 手数を増やしてみても決定打にはならなくて、次第に私は重く速い攻撃をしのぐので精一杯になっていった。


 勝負は決まっていたも同然だった。

 数合打ち合ったところで、私は素直に距離を取って降参の意を示した。


「参りました。強いですね」

「君もな」


 即座に返ってきた言葉に、私は目を瞬かせる。


「お世辞はいいですって」

「そうじゃない。君の筋肉の具合から察してはいたが、本気で驚いたんだ。君ほどの逸材を逃すのはもったいないな。騎士団にスカウトしたいくらいだ」

「光栄ですけど、私は商人ですので」

「騎士団にも会計を担う部署はある。そちらならどうだ。君にも悪い話ではないはずだ」

「あなたはどれだけ私を引き入れたいんですか。でも、気持ちだけ受け取っておきますね」


 熱の入った口調でのオーウェンの口説き文句に苦笑しながら、彼に木剣を返す。

 悪くない話ではあるけど、騎士団入りなんてしたら本業に割く時間が減ってしまう。


「でも騎士団の会計に関する仕事の依頼ということでしたら、レイバン商会として請け負いますので」


 軽く息を整えながら冗談めかして言った後、私はふと思っていた疑問を口にした。


「そういえば少し不思議に思ったことがあるのですが」

「何だ?」

「あなたが副隊長への昇格を受けたことです」


 あれはちょうど一年前。

 いつものシャレン食堂で顔を合わせた時、オーウェンから直接昇格の報告を受けた時、私は彼に「おめでとうございます」と伝えた。


 けれど、最近ふと思ったのだ。


「副隊長になると、現場に出る時間も多少は減りましたよね? 代わりに書類仕事は増えているはずでしょうし」


 彼はデスクワークのために机にかじりついているよりも、前線に立ち、民と接して彼らのために力を尽くすことを好む人間だと知っている。

 そんな彼が昇格を受けたことが、実はちょっとだけ引っ掛かっていたのだ。


 私の言葉に、オーウェンは一瞬だけ沈黙した。


 そしてゆっくりと近くの木にもたれかかると、短く息を吐く。


「誰にも言ったことはないんだが。……目指しているものがあるんだ」


 とすると、中央騎士団長あたりだろうか。


 そう尋ねたら、オーウェンは静かに首を横に振り、空を見上げた。


「もっと上だ」


 中央騎士団長でも、かなりの上位に位置する。

 その上となると……。

 まさかと思って彼を見ると、オーウェンは小さく笑う。


「近衛騎士団、中央騎士団、地方騎士団――それらすべてを統括する立場」


 そこで彼は一度言葉を切り、曇りない眼で私を見て言った。


「狙うは、王国騎士総監の座だ」

「っ……」


 私は思わず言葉を飲み込み、目を見開く。


 王国騎士団には大きく三つの組織がある。


 ――王族を守護する役割を持つ、近衛騎士団。

 ――王都の治安を担う中央騎士団。

 ――地方での治安維持を行う地方騎士団。

 

 そして、それら各騎士団の上に位置する最高機関として、騎士団本部が存在する。  


 総監とは、その本部を含めたすべての頂点に立つ存在だ。  

 つまり、国の治安と武力を預かる最高責任者である。


 オーウェンは、権力欲も名誉欲も薄い、ただただ誠実で真っ直ぐな人だと思っていたのに。

 

 そんな野心を隠し持っていたとは思わなかった。


「意外か」

「ええ、かなり」


 正直に頷くと、彼は苦く笑った。


「俺も、できれば第一線にいたい。だが――」


 オーウェンはここで眉間に皺を寄せる。


「君が知っているかどうかは分からないが。今の騎士団の構造には、問題が多いんだ。予算の大半は近衛騎士団に回されている。王族を守る以上、理解できなくはない。だが近衛は高位貴族の子弟ばかりでな。実力より家柄が優先される。人数ばかりいても何かあった時に必ず守り切れるかどうか、怪しいものだ」


 私は黙って彼の話に耳を傾ける。


「それに地方騎士団は慢性的な人手不足だ。仕事量のわりには給金も安く、辞める者も多い。俺の友人も何人か辞めた者がいる。中央騎士団はまだ恵まれているが、それでも不満は燻っている」


 その歪みの原因は、総監の座が長く近衛騎士団出身者で固められてきたことにある。

 高位貴族の子弟が多い近衛に予算も人材も偏り、中央と地方は後回しにされてきたのだ。


 ……なるほど。

 確かに、これは現場にいる者ほど不満が溜まるだろう。


「他にも、上層部の人間の中には金で動く者も多い。表向きは規律を重んじているが、実際には貴族や大商会からの口利きで判断が歪むことも珍しくない」


 低く落ちた声には、かすかな怒りを感じた。

 彼はきっとその目で、そういう場面を何度も見てきたんだろう。


「私たちの界隈でも似たような話はありますね。声の大きい顧客ほど優先される」

「ああ。だが騎士団は本来、それをしてはいけない組織だ」


 彼は静かに言い切った。


「現場の人間はみな分かっている。だが上が変わらない限り、覆せない。俺は歪んだこの構造を変えたいんだ。本来の正しい騎士団の形に戻す。だが変えたいのなら、現場にいても何もできない」


 そして、オーウェンははっきりと宣言した。


「だから俺は上に行く」


 それは、どこまでもまっすぐな言葉だった。


 彼の本質は誠実であり、だからこそ権威や名誉のためではなく、構造を変えるために上を目指す。

 それは商人としても、理解できる野心だ。


 何物も曲げることのできない意志の強さがにじみ出るオーウェンの姿に、私の背筋がぞくりと粟立った。

 

「……いいですね。そういう人、私は――いえ、レイバン家は大好きですよ。うっかり本当に惚れてしまいそうです」


 私は目を細めると、うっすらと笑う。


「あなたが望むなら、レイバン家はいくらでもお手伝いします。資金、流通、人脈……使えるものはいくらでもお貸ししましょう」


 けれどオーウェンは、首を横に振った。


「気持ちはありがたい。だが必要ない」

「あら、使えるものがあるのにそれを使わないとは。その理由を聞いても?」


 私の問いに対して返ってきたのは、どこまでも彼らしい迷いのない声音と言葉だった。


「自力で上がるからな」


 ……本当に、この人は。

 少しだけ呆れつつ、同時に納得する。


 だからこそオーウェンはオーウェンなのだ。


 一番の出世の近道は、多分リーリア王女と結婚して王族の一員に名を連ねること。

 なのに王族との縁を利用する近道ではなく、自分が正しいと思う道筋で上を目指す。

 しかも彼は、できないことを口にする人じゃない。

 

 ならお手並み拝見といったところか。


 私はふっと笑うと、彼に近づき少し背伸びしながら、彼の肩をポンと叩く。


「分かりました。それでも何かあればお手伝いくらいはしますよ。あなたの邪魔をしない程度に。だって私はあなたの妻になる予定の人間ですから。夫の支援も役割の一つでしょう?」


 途端に彼の表情が緩む。


「俺には随分と頼もしい妻が付いているらしい」

「今頃気づいたんですか?」


 そう返すと、オーウェンはわずかに目を細め、


「いや――」


 言葉を選ぶように間を置き、淡々と続けた。


「俺も、うっかり本当に惚れてしまいそうだ」


 さらりと言ってのける声は、冗談めかしているのに妙に真面目だった。

 溺愛の演技をしている時よりも、素の彼が放つ真剣な眼差しは、不覚にも私の胸をドキリとさせた。


「……それは光栄ですね。演技のしがいがあります」


 動揺を悟られないよう、あえて完璧な笑顔を浮かべて軽く返すと、彼は小さく息を漏らす。


「……ああ。そうだな」


 オーウェンは短く頷くと、木剣を構え直す。


「ところでもう一勝負しないか? さっき君と戦った時に思ったんだが、もう少し改善すれば伸びる点をいくつか見つけたんだ」

「え、それは知りたいです! オーウェンさえよければ指導してください」

「任せておけ」


 そうして何事もなかったかのように、朝日が昇り始めた中庭で、私たちは再び鍛錬を始めた。



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