29.妙な胸騒ぎ(アイン視点)
昼時の王都の噴水広場は、今日も人で溢れていた。
中央にある大きな噴水を囲むように露店が並び、その周囲では昼休憩らしい商人や職人、買い物途中の人々が思い思いに食事を取っている。
その中の一つ――噴水から少し離れた木陰のベンチに座り、アインは手にしていたホットドッグへ豪快にかぶりついた。
「ん。やっぱここのはうまいな」
焼きたてのパンに、表面を香ばしく焼いたウィンナー、それから少し酸味のある刻んだ野菜と甘みの強いケチャップ。
作りは至って単純なのに、この辺りに並ぶ屋台の中では断トツで美味しい。
「ほら」
アインが小さくちぎったパンを差し出すと、肩の上に乗っている小さな白いカラスが器用にくちばしで受け取った。
ブレアが一緒に留守番してくださいと残していった、カールである。
最初の数日はそれなりに警戒されていたはずなのに、長く一緒に過ごしたからなのか、いつの間にかこうして肩へ乗るようになっていた。
「お前、最近遠慮なくなったよな」
「カー、カー!」
カールは答えるように鳴くと、もらったパンを満足そうについばんでいる。
ブレアから仲良くしておけと言われていたのだから、目的は達成できたといってもいいだろう。
アインとしても、顔を見るたび容赦なくつつかれていた頃に比べれば、今の関係の方がずっとありがたい。
そしてアインは残りのホットドッグを食べながら、頭の中でここ数日の調査結果を整理する。
ちなみに、ブレアたちが王都を離れている間も、暇だったわけではない。
むしろレイバン家の面々から、
『至急これを届けてきてほしい』
『この貴族たちの会合、僕の代わりに出ておいて』
『ついでにあっちの食堂の様子も見てきてくれるかい?』
『動かないで! 今その立ち姿から新しいデザインが浮かびかけてるの。あと一時間そのまま!』
『お友達のお茶会にお呼ばれしてるのー。執事役でついてきて?』
と、実に遠慮なく用事を申しつけられ続けていたのだ。
ブレア誘拐の罰としての償いという名目で面倒なことを押し付けることに、あの一家は完全に味を占めたらしい。
特にブレアの姪であるモナから、一番こき使われた自覚はある。
とはいえ、元を辿れば自業自得だ。
文句を言いつつも、本気で断るつもりはなかった。
それと並行して続けているのが、中央騎士団長ピーター・ライレイと、その周辺の調査だった。
以前、騎士団内部へ潜り込んだ時にはガルフに正体を見破られた。
その時にガルフから協力を持ちかけられてはいるものの、正式に手を組むかどうかはブレアの判断を仰いでからだ。
勝手に騎士団内部をうろついて、余計な騒ぎを起こす必要もない。
というわけで最近は騎士団内部には入らず、ピーター本人の交友関係や、よく利用する店、付き合いの深い騎士たちを外側から洗っている。
そこで一つ、少し気になる動きがあった。
ピーターの腹心として知られる騎士の一人が、数日前から休暇を取っている。
休暇そのものなら珍しくない。
ただし――。
「行き先がマルリック、ねぇ」
小さく呟きながら、アインは目を細めた。
偶然と言われれば、それまでだ。
マルリックは国内でも有名な温泉地なので、休暇で訪れる騎士がいたところで何も不自然ではない。
けれど、その時期が少し引っかかる。
ちょうどオーウェンが長期休暇を取り、ブレアとマルリックへ向かった時期と重なっている。
単純に温泉旅行へ行っただけなのか。
それとも、ピーターの意向を受けてオーウェンの動きを探っているのか。
どちらにせよ、ただの偶然だと片づけるには少し引っかかる。
「まあ、まだ分かんねぇか」
証拠もない段階で決めつけるほど、アインもせっかちではない。
帰ってきたブレアに報告して、あとはまた調べればいい。
……そこまで考えたところで、ふと気づいた。
「そういや、もう少ししたら帰ってくんのか」
その言葉を口にした瞬間、なぜだか自然とブレアの顔が浮かんだ。
商売の話をしている時の、妙に楽しそうな顔。
突拍子もないことを思いついた時に、瞳を輝かせる顔。
アインが何かやらかした時には呆れたようにため息を吐くくせに、それでも本気で追い出す気はまるでない顔。
そうやって一つ思い出すと、つられるように、これまでブレアと過ごした時のことまで次々と浮かんでくる。
以前、護衛として後ろをついて歩いていた時のことだ。
通りすがりの露店で見慣れない商品を見つけたと思えば突然立ち止まり、その場で一つ買ってしげしげと眺めた挙句、店主相手に商談を始めたことがある。
『これ、面白いですね。もし継続的に仕入れるとなったら、どのくらい用意できます?』
ついさっきまでただの客だったはずなのに、気づけば店主と納品数や価格について話し込んでいた。
別の日には、二人で食事をしていた時、料理に入っていた苦手な香草を口にして、ほんのわずかに顔をしかめたことがあった。
自分ではすぐに誤魔化したつもりだった。
なのにブレアは、
『……それ、苦手なんですか?』
『別に』
『そうですか』
次の瞬間には自分の皿とアインの皿を即座に交換した。
『こっちには入ってませんから』
交換してあげたという親切心を押し付けるでもなく、それだけ言って、本人は何事もなかったように食事を再開していた。
思い返してみれば、ブレアといる時は、そんな日々の連続だった。
「……ほんと変な女だよな」
そう呟きながら、アインの口元には自然と笑みが浮かんでいた。
これまでアインが関わってきた人間たちの、どの型にも当てはまらない。
戻ってきたら、旅の荷物を片づけるより先に、マルリックで思いついた仕事の話を嬉々として報告してきそうだ。
その姿を想像すると、不思議と少しだけ気分が軽くなる。
――ただ。
当然、その隣にはオーウェンもいる。
新婚旅行という名目で出かけたのだから、あの二人はずっと一緒にいたはずだ。
温泉へ行って、食事をして、同じ景色を見て、きっと肩の力を抜いて、楽しく過ごしているのだろう。
そういえば最近、ブレアのそばにいる時、ときどきオーウェンから妙に探るような視線を向けられることがある。
元宵鴉である自分を警戒しているだけとも取れるが、それにしては少し違うような気もしていた。
それに、オーウェンの隣にいる時のブレアは、時々妙に気の抜けた顔で笑う。
仕事をしている時とは、また違った顔だ。
そう考えた時だった。
「ん?」
胸の奥に、小さな痛みが走った。
ほんの一瞬だったし、強い痛みではない。
けれど、さっきまで何ともなかった場所が、妙にきゅっと縮んだような感覚が残る。
アインは思わず胸元へ手を置いた。
「……なんだこれ」
肩に乗っていたカールが、不思議そうに首を傾げる。
「俺、もしかして働かされすぎて、心臓がいかれかけてんのか?」
「カー?」
カールは当然、意味が分からないと言わんばかりに小首を傾げる。
「さすがにこの歳でそれは嫌なんだけど」
そう言いながらも、もう痛みは消えている。
だったら大したことはないのだろう。
最近はレイバン家の連中にあちこち走り回らされているし、単純に疲れているだけかもしれない。
アインがそんなふうに結論づけた時だった。
「あの、すみません」
声をかけられて顔を上げると、目の前には、二人の若い女性が立っていた。
二人とも少し緊張したように互いの顔を見合わせてから、片方が意を決したように口を開く。
「お一人ですか?」
「ああ。まあ、こいつもいるけど」
「カー」
アインが肩のカールを指すと、女性たちが小さく笑った。
「もしよければ、この後一緒にお茶でもどうですか?」
なるほど、そういう誘いらしい。
宵鴉にいた頃は、こうやって真正面から声をかけられることはほとんどなかった。
顔立ちだけなら昔から変わっていない。
今のアインは変装をしておらず、くすんだ金髪と赤い瞳に、派手な服装もそのままだ。
ただ、当時は近寄りがたい空気を無意識に出していたのか、遠巻きに見られることの方が多かった。
それがブレアの下についてからは、こうして声をかけられることが妙に増えた。
少しは人相でも良くなったのだろうか。
「悪いな。これからまだ仕事なんだ」
アインが笑って答えると、二人は残念そうな顔をしたものの、特に食い下がることもなく去っていった。
その背中を眺めながら、アインは最後の一口を食べる。
別に嫌ではなかった。
二人とも可愛いと思うし、もう少し暇なら話くらいはしてもよかったかもしれない。
けれど――それだけだ。
さっきブレアのことを思い出した時とは、何かが違う。
「……なんなんださっきから」
それは、自分でもよく分からない、未知の感覚だった。
ブレアが面白い人間なのは間違いない。
見ていて飽きないし、何を考えているのか読めないところも気に入っている。
雇ってくれた恩もあるし、今のところ仕える相手として不満もない。
でも、それだけなら……どうして彼女が帰ってくると考えただけで、こんなに気分が良くなるのか。
どうして二人が一緒にいるところを想像しただけで、胸の奥が妙に痛むのか。
しかも不思議なことに、痛いはずなのに、なぜかすぐに消えてほしいとは思わなかった。
むしろ、もう一度確かめてみたいような妙な感覚さえある。
そこまで考えたところで、またほんの少しだけ同じ場所が疼き、アインは思わず眉を寄せる。
「やっぱ心臓悪いんじゃねぇの、俺」
肩の上のカールへ何気に問いかけると、白いカラスはしばらくアインの顔を見つめていた。
そして何を思ったのか、くちばしで一度だけ彼の頬をつついた。
「いてっ」
抗議する間もなく、カールは何事もなかったように前を向く。
「……お前、少しくらい俺の心配してくれてもよくないか?」
返事はない。
ただ、アインの肩からは降りようとはしなかった。
「まあいいか」
彼は肩をすくめると立ち上がり、食べ終えた包みを近くのごみ箱へ放り込む。
どうせ待っていたらブレアたちは帰ってくる。
その時に、この妙な胸の違和感がどうなるのか。
それを確かめてから考えればいい。
アインはどこか楽し気な笑みを浮かべながら、肩にカールを乗せ、再び人混みの中へと歩き出した。




