10.始まる前に終わっていた
途中で休憩を挟みつつ、私とオーウェンは手を繋ぎ、抱き寄せ合い、甘い言葉を囁き合うなど、考えうる限りの恋人らしい練習を重ねた。
アルマイド伯爵夫婦には及ばないものの、少なくとも昨日リーリア王女に見せた時よりはずっとマシになった……と思いたい。
そして、太陽が中央よりも少しだけ西に移動したあたりで、遂にハーヴェスト家の邸宅に到着した。
馬車がハーヴェスト家の正門前で静かに止まる。
窓の外には手入れの行き届いた庭園と、重厚な石造りの邸宅。
さすがは名門侯爵家という佇まいだ。
これから、オーウェンの恋人として対面する。
さすがにオーウェンの家族の前で恋人を演じるとなると、少しだけ心臓が速く動く。
ハーヴェスト家は貴族の中でも格式高く、とりわけ侯爵は厳格で有名で、以前商談を持ち掛けた時も、その雰囲気に呑まれそうになったほどだから。
夫人もオーウェンのお兄様も一目置かれる存在で、正直、リーリア王女より彼らと対面する方が緊張する。
と、ゆっくりと深呼吸をしていたら、隣から小さな笑いが落ちた。
「こんなに緊張している君を見るのは、初めてかもしれないな」
オーウェンはどこか珍しいものでも見るような目をしていた。
「君はリーリア王女にも一歩も引かなかっただろう」
「今回は、相手が相手ですからね」
爵位の有無で他人を評価しない人たちなのは十分理解してるけど、独特の空気を彼らが持っているのは確かだ。
そう返すと、オーウェンはすぐに首を横に振った。
「君に関しては何の問題もない。俺の相手がブレアだと手紙で伝えたら、家族はかなり喜んでいた」
「……私、何かしました?」
「以前商談した時のことを母と兄が高く評価していたと。商談が見送られたのも、父の個人的なわだかまりのせいだそうだ。父は、後で二人には叱られていたらしい」
まったくもってぴくりとも表情筋が動かなかった侯爵が、夫人と息子から叱られている図柄を思い浮かべ……いや、全然想像がつかない。
「だから君は、俺の恋人である以前に、既に家族から気に入られている。恋人らしく振舞う点についても君なら問題ない。練習でも完璧だったからな」
だが次の瞬間、彼の表情がわずかに曇った。
「問題があるとすれば俺の方だ。……初めよりはマシになったとはいえ、うまくできるだろうか」
さっきまでのオーウェンの姿を思い浮かべる。
戸惑ったり我に返ってしまうと、動揺が出たり、反対に無表情になって固まりがちだったオーウェン。
それでもかなりいい感じの溺愛恋人にはなっていたと思う。
「きっと大丈夫です。照れも恥じらいも、全てかなぐり捨ててください。何かあれば私が補佐します。その代わり私がミスを犯しそうになったらお願いしますね」
「君が失敗することは考えにくいが……分かった、任せてくれ」
「あれだけ練習したんですから。今の私たちなら、熱烈な恋人同士を演じきれます」
昨日からの練習の数々……あれを無駄になんてできない。
「……そうだったな」
彼もそれらを思い出すように遠い目をして、数秒の沈黙後。
私たちは同時に頷き、ぎゅっと固く握手を交わした。
「頑張りましょう!」
「ああ」
恋人ではなく、完全に戦場へ向かう相棒である。
「扉を開けます」
私たちが手を離したタイミングで、御者の声と共に舞台への扉がゆっくりと開いていく。
ちらりと隣を見たら、そこにいたのは先ほどまでのオーウェンではなく、完璧に取り繕った私の恋人のオーウェンだった。
先に馬車を降りたオーウェンが、こちらへ手を差し出し、私は当然のようにその手を取り、ゆっくりと外へ降り立つ。
けれど手は軽く握ったまま、彼は私の腰に手をそっと置き、慈しむような微笑みを浮かべて私を見つめた。
対するこちらも練習通り甘い微笑を浮かべる。
出迎えに来たハーヴェスト家の使用人たちが、ありえないくらいに目を大きくさせて私たちを凝視した。
しかしオーウェンは彼らの視線を軽く流し、馬車から荷物を運び出す彼らを残し、私の腰から手を離さないまま屋敷へと向かって歩き出す。
で、周囲に私以外誰もいなくなった途端、オーウェンの顔からふっと笑顔が消えた。
「上出来です」
私の短い言葉に、彼の目元がほっとしたように緩む。
「ところで、あなたの目から見て私の方はどうでした?」
「君はどこからどう見ても完璧だった」
「では、この調子でいきましょう。まだ第一関門ですから」
さて、ここからが本当の意味での本番だ。
視界の先に、玄関の扉が見えてきた。
その外には、私たちの到着を待っている、ハーヴェスト家の面々の姿。
そこには、ハーヴェスト侯爵夫妻にオーウェンの兄夫婦、そして幼い姪まで、家族が勢揃いしていた。
オーウェンは問題はないと言っていたけど、揃っている姿は圧巻の一言だ。
それでも体の奥から湧き出そうな緊張を押しとどめ、よし、と気合を入れるように息を整える。
大事なのはまず初動の掴みだ。
オーウェンの恋人として、そしてレイバン家のブレアとして恥じない挨拶をしようと一歩踏み出しかけた、その時だった。
「まあまあまあまあまあ!」
突然どこからか、この場の緊張感を吹き飛ばすほどの甲高い鳴き声が響いた。
小鳥の囀りにしては、威力がありすぎる。
その声に思わず周囲をぐるりと見まわすも、鳥がいそうな気配は全く感じなかった。
???と思いつつ正面に向き直ると……。
音の正体は侯爵夫人の悲鳴だった。
社交界でも、むやみに感情を露わにすることなく、常に凛とした佇まいを崩さない貴婦人として名高い夫人が……私たちを見て、明らかに破顔している。
そして彼女は、隣にいるオーウェンのお兄様のウェスト様の腕をバシバシと叩きまくる。
「ちょっと、見える!? オーウェンが、あのオーウェンが、自分から女性の腰に手を回しているわ……!」
「ああ母上、見えている。しかも隣は聞いていた通り
、あのレイバン家のブレア嬢だ」
「まさか本当に恋人を連れてくる日が来るなんて……!」
一方で義姉のリタ様と娘のアメリは、両手を握り合って黄色い声を上げていた。
「本物よね!? 幻じゃないわよね!?」
「あのおじさまが、本当に女の人に触ってる!」
…………えーと、どうしよう。
なんというか、まずハーヴェスト家の面々の反応が、私の思っていたものと違いすぎる。
どうやら、私が思っていた以上に歓迎されているらしい。
理性と厳粛さを重んじる一族という印象が、きれいさっぱり崩れ去っていく。
みんな感情が駄々洩れだ。
まあ、私に悪い印象は持っていないみたいだから、それはほっとしてるんだけど。
それにしても、彼らの反応を見る限り、オーウェンは私が思う以上に異性関係で苦労してきたらしい。
少し興味は湧いたけど、本人の苦々しい顔を見て、私は即座にその疑問を捨てた。
これ、深掘りしちゃいけないやつだ。
だけど和やかな雰囲気に包まれる中、侯爵一人だけがまだ何も言っていないことに気づいた。
そっと目を向けると、以前会った時以上に険しい顔でこちらを見ている。
これは、きっと試されている。
そう直感し、私は挨拶をしようと一歩踏み出しかけたその時だった。
ハーヴェスト侯爵が、ものすごく早足でこちらへ向かってくる。
そして――。
「よくやったあああああ!!!!」
これまで彼の口から聞いたことがない大声を上げながら、侯爵はそのままオーウェンに勢いよく抱きついたではないか。
がっしぃぃぃという音が聞こえそうなほどの力強さで、思わず私の腰からオーウェンの手が外れる。
私は信じられないと、親子の抱擁を間近で見つめることしかできなかった。
「父上、少し苦しいんだが」
オーウェンが苦笑を浮かべながらそう訴えるも、侯爵の力は緩むことなく、なんならさらに強くなる。
苦しげに小さく息を吐く息子に構わず、侯爵は半ば叫ぶように言った。
「私はな、半分くらい諦めていた! お前に恋人や、まして結婚などしないんじゃないかと。だがお前はこうして結婚を考える恋人を連れて現れた!」
「あ、ああ、そうだ。で、そろそろ離れてほしいんだが」
「すまん、あまりにも感極まってな! 許せ」
そこでようやく自分の力加減に気づいたのか、オーウェンを解放した侯爵。
と、今度はこちらに向き直ると、
「ブレア嬢!!」
私の両手をがしっと掴み、ぶんぶんと力いっぱい上下に振る。
「ありがとう!! 本当にありがとう!! 息子を選んでくれて。ブレア嬢が私の義理の娘になるとは、これほど嬉しいことはない!」
「えっ、あっ、はい」
「結婚式はいつだ!? いや急がなくてもいい! だが早い方がいい! いや焦らなくてもいいが私は楽しみだ!!」
「それは、あの、おいおい……」
「そうか! おいおいか! では朗報を期待しているぞ!」
にこにこと満面の笑みで嬉しそうに私の腕をずっと振り回し続ける彼に、さっきまでの威圧感は欠片も残っていなかった。
というか……誰だろうこの人。
あの鉄壁の侯爵と、目の前の彼が同一人物だとは到底思えない。
予想のはるか斜め上を行く事態にぽかんとしていたら、隣から神の助けならぬオーウェンの助けが入った。
「父上、少し落ち着いてくれ。ブレアが困っている」
オーウェンの声に、侯爵ははっとしたように瞬きをした。
そしてようやく、自分がいまだ私の両手を掴んで振り回していることに気づいたらしい。
「おお……これは失礼した!」
ぱっと手を離し、今度は胸に手を当てて咳払いを一つ。
「いや、その、つい嬉しくてな。驚かせてしまってすまなかった、ブレア嬢」
先ほどまでの暴走が嘘のように、きりりとした侯爵の顔に戻っている。
けれど目元だけは、隠しきれないほど緩んでいた。
「改めて言おう。ハーヴェスト家は、二人の結婚を心から歓迎する。――さあ、立ち話もなんだ。中へ入ろうではないか! 既に歓迎の用意は整っているのだよ!」
そう言ってくるりと踵を返す侯爵。
夫人は満面の笑みで頷き、兄夫婦と少女も嬉しそうにこちらを見た後、侯爵に続く。
残された私は、思わず目をぱちくりとさせる。
……ええと。
私、全然挨拶できていないんだけど。
彼らの前で発した私の台詞は、「えっ、あっ、はい」と、「それは、あの、おいおい……」だけである。
ぽかんとしたまま立ち尽くしていたら、隣から小さくため息が落ちた。
視線を向けると、
「だから言っただろう。心配はいらないと」
オーウェンが少しだけ笑いながら、そう返したのだった。




