第14章 女騎士にドレスを着せる野蛮な花園 03/10
1歩踏み出して、魔界の貴公子が言う。
「シメオン伯爵閣下にご挨拶をしたい――取り次ぎたまえ」
「は――承ってございます」
シュワルツは慇懃に答えて書斎に続く扉を開けた。
そこは応接間だった。
どうやら、書斎はさらに奥の部屋にあるようだ。
「灰皿はないんだな」
ヨハンは部屋を見回して言った。
彼は貴族の出自だというのに、調度品や絵画といったものに無知だった。
即物的で退廃的、また銃を好んでも狩りにも関心がなく――とにかく品がない。
「そこの壁にかかってる落書きはなんだ? 3歳児がケツに筆を挟んで踊りながら描いた自画像か?」
「大尉!」
ミリアムが嗜めるように囁いた。
「こちらでしばしお寛ぎを――ただいま、主人が参ります」
応接間に通されると、素行不良の小隊長が護衛対象の魔界の貴公子に頷いて――ソファに腰かけるよう促した。
彼自身は壁に背を向けて立ったままだ。
「……」
品行方正な副官の女騎士は、上官を一瞥し――彼に倣って、隣に立つ。
不思議なことに〝里帰り〟にもかかわらず、彼女は居心地が悪そうだ。
その理由は、もうじき判明する。
間もなく扉が叩かれて、フランネルのスモーキングジャケットを羽織った紳士が現れた。
後ろから続くのは、古風な衣装をまとったメイドで――銀盆を両手に入室してきた。
最後尾にいた、シュワルツという家令が静かに扉を閉め――彼自身は廊下に残った。
「お待たせいたしました――いや、まさかこのような形で娘と再会を果たすとは」
「ご無沙汰しております――父上」
ミリアムはよそよそしい口調で言った。
娘の様子に気づいているのか、敢えて無視しているのか。
シメオン氏は笑顔を崩さずにヨハンに黙礼した。
「殿下――シメオン伯爵閣下がお見えでございます」
ヨハンに呼ばれて、ソファで寛いでいたサムエルが立ち上がった。
魔界の貴公子が動く前に、シメオン氏は大股で歩きだして、
「ようこそ当家に――サムエル特使閣下。魔界の、それも藩王公子殿下の行幸の栄誉に浴することを、心よりの喜びを奉らせて頂きたく存じます」と言った。
実に貴族らしい口上だ。
きらびやかな修辞で整えてはいるものの、メッキのように――中身は灰色の鉛だ。
色が黒ずみ、人体に有毒なところまで共通している。
「ありがとう、伯爵――ところで、あれはゴダーニかね?」
サムエルは晩餐会の主催者を迎えて、握手を交わすと訊いた。
「さすがは殿下、よくぞご存知で――左様、あれはシャルル・ゴダーニの晩年のスケッチでございます。当家の数少ない財産でして。さあ、まずはお寛ぎを」
謙遜したシメオン氏に促されて、サムエルはあらためてソファに腰かけた。
「我が連邦でも、彼は有名でね――僕も1枚欲しいのだけど、帝国の巨匠の作を城に飾ろうとしたら、家人から〝なぜか〟叱られてしまうんだ♪ 貴国の文化に興味を惹かれる僕としては、慚愧に堪えない。いや、遺憾というべきかな」
「それはそれは」
しばらく、当たり障りのない雑談を――彼らは交わした。
内容は芸術や文化的なことに終始し、政治や戦争に絡む話題――これらを意図的に避けているようだった。
「……」
初めて立ち会った、外交の盤外戦術を――ミリアムは神妙な面持ちで見守る。
彼女が緊張感を張り詰めている横で、
「ふぁあ」とヨハンは欠伸をした。
不埒な言動をしでかした、隣の上官を肘で小突く――他はいざ知らず、ハーレークイン小隊では副官の重要な仕事だった。
やむを得ず敷居をまたいだとはいえ、あまり長居したくはなかった。
「……では、殿下も独身でいらっしゃると」
「――」
父親の言葉に、ミリアムはかすかなため息を漏らした。
僅かに横を、護衛の女騎士を一瞥しつつ――サムエルは頷いた。
「お父君――藩王陛下にあらせられては、殿下のご将来について、なにかご助言を賜ることはございますかな?」
「ああ――陛下は、そういうことに関心がないんだ。今は内政に専念したいと考えているはずだよ。おっと、いまのは失言だ。内緒にしてくれたまえ」
〝今の魔界の中核州を治める藩王にして、魔王の1人は――戦後の内政に注力したい〟という言質をとっただけで、シメオン伯爵の〝仕事〟は半分終わったようなものだ。
あるいは、それを雑談の中の〝失言〟として――あえて漏らす。
これが、サムエルの目的だったかもしれないが。
シメオン氏は娘を見た。
「わたくしにも子がありまして」
つられるように、魔族の貴公子も背後を守る――女騎士を振り返った。
「聡明で勇敢なお嬢さんだ――なにより、彼女はとても美しい。ただ、軍務に夢中のようだけどね。特に今は」
この魔族の美少年は、熾天使の翼を有する悪魔であり――ヨハンたちも何度か、彼が背後に背負う3対6枚の翼を目の当たりにした。
未確認情報だが〝宵の明星〟の2つ名を冠する、彼が真の力を見せるとき――12枚の翼が顕れるという。
サムエルは天界より堕天した〝使徒〟を祖に持つ。
そのためか、異様に人間同士の機微に聡く――関心を示しがちだ。
「若いうちはそれでも宜しいが――いずれは娘にふさわしい相手を見つけるのが、父親としての務めでもあります。それに、当家も貴族の端くれである以上、世継ぎを立てて〝家〟を残さねばなりませんし。ミリアム、こちらに座りなさい」
シメオン氏に呼ばれた副官の女騎士は、上官の顔を窺った。
「殿下の隣につけ」
ヨハンに小声で命じられたミリアムは、
「失礼いたします」と言って、サムエルの横に腰かけた。
「……」
「……」
親子の間に沈黙が訪れたところで、ヨハンたちの端末水晶に通信が入る。
《シックスへ――こちらシエラ・ワン。名簿にない来客がそちらに向かっています。ブレイク、人数は1。男性、武装は確認できず。帯剣した貴族っぽいヤツです》
軍隊における〝武装〟とは、火器を指すため――剣は武器に数えない。
「……」
ヨハンは壁から離れると、腰の拳銃に手を添えてドアの前に立った。
「ああ、わたくしの客ですよ――大尉。せっかちな若者で、予定より早く到着してしまったようです。申し訳ない」
「は?」
ヨハンが振り返るのと、家令のシユワルツが扉を開けるのは――ほぼ同時だった。
「旦那様――ゼブルン様がお見えとの由です」
「こちらにご案内を」
「かしこまりました」
シメオン伯爵がシユワルツに指示を下した直後。
再び、ヨハンたちの端末水晶に続報が入ってくる。
《シックスへ――ブラボー・チームののメイソンです。そちらに強引に向かおうとした、御仁を拘束しました。ブレイク、身ぐるみ剥いで放り出しますか?》
「メイソンへ――シックスだ。再度ボディ・チェック、それから解放しろ。〝コメス〟の来客らしい」
《了解――ブラボー、アウト》
しばらくして、騒がしい声とともにシュワルツが再び扉を開く。
「シメオン伯爵殿――この仕儀はいったい、何事ですかっ!? なにゆえ野蛮で粗野な軍人どもが、屋敷の警備をしているのですっ!? さきほども無礼なニグロを成敗したところですが……」
入室してきたのは、ヨハンよりも2つ3つほど若い――しかし、頭ひとつ以上の上背がある、偉丈夫だ。
6フィート6インチのシニアと、同じくらいの背丈だろうか。
対するヨハンは、ブーツの底を足した身長が5フィート8インチである。
金の刺繍が施された上下を纏い、彫金を施した拳大のバックルをあしらった革のベルトに――クレイモアのような大剣の〝鞘だけ〟を腰に差した、貴族と思しい青年。
鞘しか残っていないのは、彼がメイソンを〝成敗〟したのではなく――実際にはその逆だった証拠にほかならない。
つまり〝無害〟だ。
「どけ! 下郎!」
ヨハンが武装と脅威の有無を判断していると、貴族の若者は怒鳴りつけてきた。




