第12章 逆立ちカバを狙い撃ちで、ざまあw 06/11
「は……?」
困惑する下士官に構わず、ヨハンは注文に付け足す。
「大きさは縦に30、横が50フィートで――布はあとで届けさせる。縫い目があってもこの際、構わないよな? さすがにこんな前線で大きな白い布は手に入らないらしくて、替えのシーツを縫い合わせるしかないようだ。期限は早いほどいい。中尉に頼んで、お前さんがやる予定だった任務は、うちで代わりを立てる。とにかく急いでくれ。いいな?」
「あの……?」
ロドリゲス伍長が、疑問を口にするよりも早く――ヨハンは言う。
「そうだ! こうしよう、早く仕上がるごとに報酬を上乗せだ――そんなら、少しはやる気が出るんじゃないか?」
彼は背中を見せて、足元の背嚢から細巻き煙草の箱をいくつか取り出した。
未開封の新品で将校用の高級品ばかりだ。
積み上がっていく煙草と、いつになく真剣な眼差しをしたヨハンの顔を――ロドリゲスの視線がせわしなく動いた。
「必要なものがあればレイノルズ中尉に申し出ろ――頼んだぞ」
困惑したままの伍長を後に残して、陣地の外に戻っていった。
ヨハンが不在の小隊陣地で、ミリアムが疑問を口にする。
「意外だ――大尉は、どうして陣地構築にこれほど勤勉に取り組むのか……? あの方らしくない」
「たしかに」
ソフィアも頷いた。
ヨハン・スミス大尉という青年は、貴族でありながら――その品性は下劣で、不埒な言と野卑な動きを絶やさない。
にもかかわらず、彼は率先して陣地改修という――地味で過酷な肉体労働に積極的に取り組んだ。
2人の乙女に付き従う、小隊軍曹を務める――上級曹長のシニアが答える。
「野戦築城は歩兵の生存率に直結します――知っての通り、戦場で兵士が死傷する原因の半数は砲弾の〝破片〟で、火砲の直撃による被害は〝稀〟ですから」
「みんなを――私たちを守るために、張り切ったってこと?」
ソフィアが訊くとシニアは頷く。
「左様であります――エインセル准尉。まあ、それよりも恐ろしいのは、この戦役が冬まで長引いた場合ですね。塹壕で冬を越して春を迎えるのは、堪えます。〝塹壕足〟は避けたいですから」
「うむ――しかし、コールマン少佐が指揮を執っている現状では、覚悟がいるかもしれん」
「おそらく、それも大尉が打破するでしょう――なにやら、妙計がおありのご様子でしたから」
副官の女騎士は頷いた。
彼女を含めて、ハーレークイン小隊の誰もが知っている。
ヨハンという将校は、仲間の命を守るためなら我先に泥に塗れ――そして目的を果たすためなら〝何でもする〟ということを。
よくも悪くも、そして大抵は悪い意味で。
ただ、この時点で何が起きるかを予想できた人間は1人もいない。
敵は当然として、味方でさえ。
上官が戻ってきたところを出迎えたミリアムは、
「いったい何を頼んだのですか?」と訊いた。
ヨハンは歯を覗かせた笑みを浮かべて答える。
「いーいもんだ♪ アハハン♪」
「いま少し、具体的にお願いします」
「つめてぇーな♪ アハハン♪」
「歌わないと答えられないの?」
ソフィアが叱ったところで、観念した彼は言う。
「士気高揚の絵だ――モデルに志願したいんなら口利いてやるけど、どうだ? ちょうど、巨乳の女騎士のヌード枠が1つだけあいてるんだが」
「けっこうです」
その場にいたソフィアが翅を震わせて、
「裸ん坊になればいいの? なら、私もできそう」と言った。
これに対してヨハンは首を振る。
「駄目だぞメスガキちゃん――お前さんの〝ストリップ〟は、最後のお楽しみにとっておきたい」
「ん」
数日後。
レイノルズ中尉の小隊陣地から――注文した品物が届けられた。
「お、来た来た♡」
ヨハンが嬉しそうな顔をすると、ミリアムは露骨に軽蔑した目つきで――それを一瞥した。
中身を広げると、間抜けな顔の――〝逆立ちしたカバ〟の絵が出てきた。
素行不良にして〝ヒャッハー〟の伝道師である、小隊長は出来栄えに満足している。
「……何をお考えですか? 大尉」
予想外のものが出てきて、ミリアムはそう訊いた。
だが、その表情は答えを聞きたくなさそうだ。
「悪巧みに決まってんだろ?」
ソフィアは定位置であるヨハンの肩に立って、
「変な絵で、みんな元気になれるの?」とつぶやいた。
それから続けて言う。
「これなら、私が裸になった方がマシ」
妖精の少女の無垢な感想を聞き流した指揮官は、
「あとはシニアの報告次第だ」と言って、絵を丁寧にたたみ始める。
夕方、偵察部隊が帰還して報告を受けた。
しかし、ヨハンは再びミリアムに指揮を代行してもらい――〝将校偵察〟と称して、出かけた。
コールマン少佐には、
〝連隊本部の防御陣地改修のために必要な測量を、敵側の視点から行いたい〟という体裁で承認をとったようだ。
夜間に測量を行うことなどないのだが、コールマン少佐は――そのことを知らなかったのだろうか。
そして、なぜか〝逆立ちしたカバ〟の絵を――彼は部下に持たせた。
出発前にヴィクトリー基地司令部の位置座標を、北極星の位置を元に正確に測距し――このときは、いつもより多めの人員を引き抜いていった。
夜明け前に手ぶらで彼が戻ってくると、ミリアムとソフィアは口々に――〝あの絵をどうしたのか〟と訊いた。
「敵からよく見える位置に掲げてきた♪」
「この戦時下に、なぜそんな無駄なことを……? 大尉、小隊指揮官たるものは――もっと分別と常識と威厳をもって、落ち着いた振る舞いをなさるべきです」
ヨハンはその小言を聞き流しながら言う。
「カバの綴りを逆から読んでみろ」
「ああ――そういうこと」
ソフィアが何かに気づいた。
「カバの逆さまは〝バカ〟ってことだぜ?」
「ん」
その補足に有能な副官は呆れて言う。
「まさか――敵を虚仮にするために、これほどの手間をかけたと? ああ、もうっ」
ミリアムは幕舎の天井を仰いだ。
そのとき、オイルランプのガラスに虫が飛び込んで焼け死んだ。
彼女は、この小隊への配属を引き受けた――過去の自分の正気を疑いたくなった。
思えば、ハーレークイン小隊の副官に就いてから――苦労の連続だった。
最初の任務では、いきなりHALO――高高度降下・低高度開傘による空挺と、救出任務。
その裏で、銀行への放火と冒険者協会への窃盗を手伝わされた。
2つめの任務でも、異世界からの来訪者を保護するために出動し――敵に撃たれて重傷を負った。
挙句に保護すべきだった来訪者は、貴重な古代遺跡とともに上流のダム湖を意図的な〝誤爆〟による――土石流で失った。
厄介事はことの大小を問わず、挙げたらきりがない。
つい先日の任務のことだ。
自国の軍上層部が暗殺を目論んでいる情勢下とはいえ、魔界の外交特使の国外逃亡を助けるため――ハーレークイン小隊は、豪華客船のハイジャックまでしてのけた。
ヨハンの部下になるまでは、修道院での厳しいながらも静謐で清貧な生活をしていた。
幼年学校に編入してからは、過酷で厳しい幹部候補生の養成で鍛えられ――並みいる貴族の男児たちを差し置いて、首席に上り詰めたというのに。
もしも、運命を司る女神が実在するならば――はたして彼女は、随分と意地悪なのではないか。
ミリアムの憮然とした様子に構わず、上官はわざとらしい口調で言う。
「なんだ、手間かけちゃ駄目なのかよ? じゃあ、連隊長殿の寝室の位置座標とか、書き込まないほうがよかったか? 敵の旗も添えない方がよかったかもな♪」
「え?」
その言葉にミリアムは瞬いた。
それとともに、夜明けがヴィクトリー基地にも訪れる。
また、起床ラッパの音よりも早く砲声が轟いた。




