第11章 海とソフィアのえにっき・リプレイ 06/07
「そろそろ帰る? お腹すかない?」
戻ってきたソフィアが、彼の額から滴る汗を拭きながら訊いた。
「お前さんが欲しいって言ったんだろ」
「今日で全部やらなくてもいい」
「次の休みに来るなんて、まっぴらだ――今やっちまおう」
「また来たいって、意味だったのに――わからないの?」
「我儘こそ、メスガキちゃんの取り柄だな!」
「ん」
ソフィアは翔んだ。
人間用の道具の上に立って、紙の上を滑らせ――石版を写しはじめた。
翅と一緒に短いスカートの裾を揺らして。
それを一瞥し、
「お、今日は黒のレースじゃん――保養地の開放的な気分に毒されたか? お似合いだ♡」とヨハンは言った。
「……」
ソフィアは例によって、下着を覗かれても――まったく気にしない。
もちろん、ミリアムが叱る。
「最低です! 大尉!」
見かねた聖職者にも注意される。
「あの――恐縮ですが、間もなく閉館時間でして。それから、どうか聖堂ではご静粛に願います」
ヨハンたちが聖堂で〝修学旅行〟に興じていた頃。
別行動の下士官に呼ばれ、シニアはホテルの近くにある裏通りの酒場にいた。
彼は象牙色の綿地のサマースーツと、淡い青の開襟シャツを身に着けている。
品のいい、涼し気な帽子を小脇に携えて。
軍服を着ていないせいか、その佇まいは――休暇中のマフィアの総帥のように見える。
「ローガン、メイソン――両1等軍曹。報告せよ」
酒場に現れたシニアは短く命じた。
ローガンとメイソン、この2人はハーレークイン小隊にあって――シニアを除けば、最も軍歴の長い下士官たちだ。
1等軍曹といえば、2等兵や伍長からすれば――恐怖と畏敬の対象だろう。
その彼らですら、シニアに対して――威儀を正し敬意を以て接する。
普段〝上級曹長〟と呼ばれる、シニアの正式な階級は――陸軍最先任上級曹長だ。
年齢を偽り、13歳で入隊して以来――40年に達する軍歴は、陸軍元帥よりも古株なのだから無理もない。
「……」
部下を監督する上級曹長は、憮然として店内を見回した。
店の中はテーブルがひっくり返り、グラスや空き瓶の破片と皿が散乱し――ここだけハリケーンに被災したような有様だ。
「上級曹長殿に申し上げます!」
ローガンが踵を合わせて、威儀を正しながら言う。
「ヘイズがホーキンスに対し〝大尉のバディを務めるには経験と技量が不足している〟と嘲弄、口論に発展――その後、若干の暴力沙汰となりました! 現在は両名ともに拘束、別室にて待機させております!」
「大別し、3つの罪を諸君は犯した」
シニアの隻眼が、店のスポットライトの照明を反射する。
「1つは大尉の訓示に反し、休暇を騒動で台無しにしたこと――いま1つは、当然ながらこの店に迷惑をかけたこと。これらはいくらでも償いができよう。されど、最後の1つは看過できん。メイソン! 代わりに答申せよ!」
指名されたメイソンもまた、踵を合わせて声を張る。
「仲間を疑ったことであります! 上級曹長殿!」
「わかればよし――ヘイズとホーキンス、両名をこれに呼べ」
「は!」
間もなく、両脇を仲間たちに抱えられるようにして――喧嘩沙汰の当事者たちが連れてこられた。
「全員、聞け――大尉は諸君らの技量と軍人としての能力に全幅の信頼を置かれている。今回の件がお耳に入れば、我々の隊長は自らを責める。それでいいのか? ホーキンス2等軍曹、ヘイズ2等軍曹。貴官らは、功を誇るあまり、忠誠心を履き違えたまま、次の任務にあたり、大尉のご信頼に〝仲間として〟応えられるか」
シニアに詰問されて、揉め事を起こしたホーキンスとヘイズは揃って答える。
「いいえ」
「いいえ、上級曹長」
「本件はこの場で全て解決せよ――連帯責任として、全員で店の清掃・片付けをさせる。ローガンとメイソンは作業を監督。後ほど小官に報告。かかれ! 兵士諸君!」
「了解いたしました! 上級曹長殿!」
ヨハンの指揮下で戦闘や作戦行動にあたる彼らは、機械のように精密で――命令に常に忠実な職業軍人たちだ。
ただし、それは〝作戦行動中〟に限ってであり――普段は、素行不良の荒くれ者に違いない。
なにしろ、彼らを率いる隊長が〝ヒャッハー!〟の体現者なのだから。
「それ以外に、問題や心配事があるなら言え――心身の不調、家族、金。私も大尉も少尉も准尉も、仲間が必ず力になる。我々の最大の武器は銃でも鍛えた心技体でもない。仲間同士の信頼だ。それだけ覚えておけばいい。了解か? ハーレークイン小隊」
「はい! 上級曹長殿!」
部下たちが異口同音に声を張った。
しかし、シニアは一喝する。
「声が小さくて聞こえん! まるで、ハエの羽音だ! ハーレークイン小隊! 貴様らは命令を了解したか!」
「はい! 上級曹長殿!」
部下たちはもう一度、声を揃えて応答した。
「よろしい――〝母の会〟にかかれ! お嬢様たち!」
こんどはシニアも頷いた。
この荒くれ者たちをまとめて、仕事に専念させる。
そして、下手をすれば彼らに輪をかけて〝厄介者〟な隊長が――一線を越えないよう導く。
これが、シニアこと――ジョン・デイビッド・サイガン陸軍最先任上級曹長の使命だ。
つまるところ、この老兵は――休暇中であってもまったく気苦労の耐えない、小隊の〝母親〟に違いない。
部下の不始末を処理して、ホテルのロビーにあるバーカウンターに――シニアは移った。
傍目には、休暇中の壮年の紳士が――ビールの小瓶を前に、くつろいでいるように見えるだろう。
この偉丈夫が、つい先ほど――歴戦の屈強な兵士たちを一喝してきたと言っても、誰も信じないだろうか。
上官たちがホテルに戻ってきた。
シニアは、いつもの穏やかで慇懃な口調で言う。
「おやおや――両手に花とは羨ましい限りですな」
上級曹長が言う通り、ヨハンの隣にいるのは――言うまでもなく、ミリアムとソフィアだ。
いかにも見栄えのする、豊かな金色の髪をなびかせ――エメラルドの瞳を使命感に燃やし、未来への希望を萌やす若い美女。
青い銀色の髪を、背中の翅が起こす風で揺らし――氷で出来たルビーの瞳に反射した、世界を辛辣な一言で切り裂く、可憐な妖精。
そう形容して、しかるべきが――ヨハンはすぐに茶化す。
「綺麗どころに見えて、メスガキ妖精は舌に猛毒を仕込んでて――巨乳の女騎士は棘がキツいがな。俺にもその〝小便〟をくれ。ついでに、お嬢ちゃんたちにも」
シニアは頷いて、指を鳴らすとバーマンを呼んだ。
彼は、ヨハンの下品な言葉遣いを〝翻訳〟しつつ――2人の乙女たちの好みを完璧に把握した飲み物を注文する。
「小瓶の冷たいところを2本と、レモネードのモヒート、氷はフローズンで――それから杏のシロップ漬けがありましたね? 発泡ワインで割ったものを、妖精用のグラスにお願いします」




