第10章 ハイジャックのチケットは片道切符 07/08
仮に身分を名乗らなくとも、写真や記事を見れば――ヨハンをはじめとしたハーレークイン小隊の身元はすぐに明らかとなっただろう。
「ところで、お前さんの実家というか、お屋敷は資産価値って高いんだっけ?」
「ちょっと、大尉! そんなの父上がお許しになるわけありませんから! というか、うちの屋敷と別邸を全部処分しても、全然足りません!」
ヨハンは腹案でもあるのか能天気に言う。
「まあ、なんとかなるだろ? いざとなったら、マジであの魔族のガキを誘拐しようぜ。本人いわく、5億ポンドの身代金はとれるらしいから。賠償金を払った釣り銭で、次はマトモな朝飯を奢ってやるよ」
はたして彼はどこまで本気なのだろう。
ミリアムは首を振った。
彼女は嘆息してから、上官に諫言する。
「それこそ、戦争の火種になってしまいます――なんのために、私たちが命がけで殿下をお守りしてきたのかを、お忘れですか? 今までは、殿下の御身を最優先するため、任務のために従ってきましたが、今回こそは聞いていただきます」
「えー、だって」
「いつもの〝だって〟は駄目です――逃しませんよ。そこにお直りください」
「……はい」
しばらく、寝起きから血圧の高そうなミリアムの説教は続いた。
「それからもう1点」
「まだあんのっ!?」
「料理の腕前も、射撃と同じくらい上達してください――せめて、落ち込んでいる婦女子を元気づけられるくらいには」
「ぴえん」
ヨハンが泣き言を漏らして、ミリアムはようやく微笑を見せた。
それから2週間。
航海は順調に進んだ。
その間、暇を見つけてミリアムは――ヨハンに包丁の持ち方の基礎から教えた。
彼女は貴族の令嬢でありつつ、自給自足を旨とする――厳しい、全寮制の修道院で教育を受けた。
料理の腕前は、玄人裸足といえるほどの持ち主だ。
彼女の意外な特技は、屈強な下士官たちの胃袋と心を鷲掴みにした。
また、肉類を口にできないソフィアに――ミリアムは、わざわざ別の献立を用意した。
これに対して、妖精の少女は明らかな好意を寄せるようになる。
ヨハンはといえば、小隊の長だというのに――彼はこの航海の間、ひたすら芋の皮むきや魚の鱗取りといった、雑用にこき使われた。
妖精の少女は例によって、テーブルにおいた――大きめのマグカップを湯船にしている。
「今日の晩ごはんも楽しみ――昨日のタルトレットが美味しかった。フィリングが山の幸だったのも高得点」
ソフィアは無防備に肌を晒しながら言った。
これにヨハンも頷く。
「キノコと山菜を、これでもかってくらい、細かく刻まされたんだぜ――俺ら人間用のは魚介だったけど」
船尾甲板のデッキで、妖精の少女の入浴を眺めながら――小隊長は細巻きを吹かす。
彼らの視線の先で、野戦服を身に着けた部下たちは――シニアの号令で走らされている。
朝一番に、朝日に向かって走って♪
飽きるまで走ってたら日が沈んで♪
美少女の相手なんかしてらんない♪
俺たちの浮気相手はXMカービン♪
1、2、3、4、帝国陸軍歩兵隊♪
もし俺が戦場でやられちまったら♪
棺桶に寝転んでるから帰国させろ♪
名誉勲章を胸に輝かせてくれたら♪
母に自慢の息子だって言えるから♪
5、6、7、8、愛する我が帝国♪
「おっといかん、そろそろ時間だ」
ヨハンは手首を返し、時計を一瞥してから言った。
「時間?」
「少尉がシャワーを使うんだ――万が一の敵襲に備えて、スケベな身体をした女騎士の〝護衛〟につくべきだ。紳士らしくな? ぬへへ」
「ふーん?」
ソフィアがルビーの瞳を冷たくしている横で、慌ただしくヨハンはその場を去る。
残された妖精の少女の、
「私の護衛は?」というつぶやきは、誰にも聞かれなかった。
そして、彼はわざとらしい武装で――歩哨の体裁を整え、共同バスルームに駆け込んでいく。
もちろん例によって、ミリアムに叩き出された。
「人間は過ちを繰り返す――ヨハンはいつもそう」
ソフィアの辛辣な所見も、誰にも聞かれることはなかった。
エリザベス号が指定の座標に近づき、
「この辺でいいと思うよ」とサムエルが言った。
ヒル船長が停船を命じると、エリザベス号はしばらくして洋上で止まり――錨をその場で下ろした。
デッキでヨハンたちが整列して待っていると、遠くで白波が立った。
最初はクジラか何かかと思えた。
だが、
「時期はずれ」とソフィアが指摘したところで〝それ〟は姿を見せた。
巨大な海竜だ。
帝国において、彼にはいくつかの名前がつけられている。
だが、いずれも天地創造の神話の時代の物語や――それを記録した文献でしか見ることはない。
聞くところによれば、魔界においても人間のいる場所に降臨することは稀で――魔族を除いては、実在すら疑われているらしい。
「やあ、セイレーン――ご苦労だったね」
巨大な海竜に、サムエルは親しげに声をかけた。
「まさか本物にお目にかかるとは」
珍しくシニアですら驚愕していた。
帝国軍に40年近くも籍をおく彼も、異郷の〝神〟を目の当たりにするのは初めてだ。
セイレーンをはじめとするいくつかの古い神は、言葉が通じないという説があった。
しかし、彼らは人間とは別の方法で意思疎通を図るのだと――サムエルは語った。
また、人間の言葉は完全に理解しているとも。
彼の助言で、ソフィアが専用の暗号解読式を組み上げて――セイレーンの発する低周波信号の言語が、端末水晶を介して聞こえてくる。
《これはこれは――小さき翼を宿せし〝宵の明星〟殿下。ご機嫌麗しゅうございます。こたびの外遊は、いささか波乱に満ちたご様子で。従卒たちが帝国の将兵と見受けられますが。はてさて。船ごと〝処せ〟とのご用命でしょうや? あいにく、年のせいか尾びれの調子が悪うございまして》
「おいおいおい――だいぶボケてないか? このクジラもどき」
ヨハンが本音を漏らし、隣のミリアムに肘で小突かれた。
同時に、肩の上のソフィアにも耳を引っ張られる。
セイレーンの目が動いて、ヨハンを捉えた。
《ほう――〝御子〟とはあな珍しや。エフライムのおひいさまのご猶子と見受けるが、いかに?》
帝国と距離を保っているとはいえ、さすがは竜族の筆頭。
目の前の、素行と言動が不良を極めた青年将校の正体を――彼は即座に看破した。
すなわち〝神姫〟の血縁者だと。
「……」
ヨハンは答えずに〝余計なことを言うな〟〝刺身にするぞ?〟と悪意を込めて、セイレーンを睨みつける。
《さてもさても――縁とは快なるかな。正と邪、善と悪、白と黒。2点は弾かれ混ざりあい、いずれ混沌を調和せん》
この世のほとんどの竜族は、太古より帝国に恭順し――竜王マイアに屈して忠誠を誓った。
しかし、海竜たちは〝自由〟を求め――竜王に決戦を臨んだ。
神話すら超越した熾烈な戦いで、数柱の〝神〟がマイアによって屠られる。
犠牲を経て、改めて海竜たちは――帝国と魔界双方との中立、及び相互不可侵の盟約を交わす。
陸よりも広く、空よりも深い海の底を雄大に――長い時をかけて平和に暮らすことを望んだ。
以来、海竜たちは戦争とは距離をおき――稀に個人的な友誼で〝人助け〟をするようになった。




