第10章 ハイジャックのチケットは片道切符 06/08
元々この船に乗り込む予定だった乗客のうち、すでに代金を支払った顧客に返金せねばならないこと。
また、エリザベス号を運用するために必要な費用と経費――さらには、犠牲になった武装警護員の遺族に対する補償について。
具体的な金額を交えて話していく。
「……以上で、総額は概算で435万ポンドになるかと」
「シリングだといくらだ?」
ヨハンは肩の上に立つ妖精の少女に小声で訊いた。
「約8700万」
「8700万っ!?」
ヨハンは声をあげて驚いたが、無理もない。
一般的な軍の兵や下士官の給金は、年額にして――およそ2千から3千シリングだ。
これは民間に勤めている、正規雇用の額面上の平均給与を少し下回る。
ヨハンの階級である、帝国陸軍大尉の基本給与が――4千シリングに届かない程度だと考えると、天文学的な請求だ。
大富豪たる貴族の豪邸と、夏用と冬用の別邸を全て売り払って――同じ金額の借金をしても届かない額だ。
「……」
ヨハンはどうやって踏み倒すべきか、悪知恵を働かせていたが、
「妥当な要求と金額」とソフィアが言った。
「馬鹿――払えるわけないだろ、メスガキちゃん」
「軍が賠償すればいい――これは軍事作戦だもん」
妖精の少女は、他人事のように断言した。
「ちょっと待ちたまえ――よく考えたら、おかしくないかね」
唐突に、サムエルが割り込んできた。
「ハイジャックをした犯人に、どうして被害者が大金を請求しているんだい? 普通は逆だよね――こう、要人を盾にして身代金をせびるとか」
そう言った魔界の貴公子を見た――ヨハンの目が細くなっていく。
明らかに、悪巧みの笑みを浮かべている。
「コイツを人質に魔界から金をとろうぜ――王子様の身代金なら、1億はせしめられるぜ?」
これまでの作戦を台無しにするかのような暴言に対して、サムエルは笑って皮肉を返す。
「桁が3つ違う――僕は自分を安売りなどしない。けれど、筋を通したいなら、船長の要求は君たち帝国側が補償すべきだ」
「正論」
ソフィアが結論を突きつけた。
補償の問題は依然として解決策がない。
なにはともあれ、今後の方針が決まり――作戦の日程と状況の変更を小隊に伝えることになった。
「兵たちには小官が伝えに行きます――大尉、少尉殿の方をお願いできますか? お疲れのご様子でしたから、なにか差し入れをお持ちしたらよろしいかと」
「ああ」
「僕も部屋で休ませてもらおう――そろそろ、まともなベッドで寝たいからね。食事はさっきの食堂でいいのかな? では、失礼。部下たちに状況を教えてくるよ」
「私はお風呂をひとりじめしてくる――人間用のスパを」
サムエルとソフィアが、口々に言って――艦橋を出ていく。
「いや、待て――お前ら、勝手に動くな」
ヨハンは嘆息して、食堂に寄り道をしてから――ミリアムに割り当てた客室を訪ねる。
1等客室は、貴賓用の特別客室といった例外を除いて――エリザベス号の中でも最も豪華な造りだ。
シニアの采配で、士官であるヨハンとミリアムには――これらが居室として割り当てられた。
とはいえ、部屋こそ豪華だったものの――サービスに従事する乗員がいなくては、あまり意味がない。
強いていうなら、キングサイズのベッドと枕――マットレスの柔らかさ、それらを包む清潔なシーツがあることが救いだ。
ここ数日の激務で蓄積した疲労もあり、ミリアムは一瞬にして眠りに落ちた。
「……」
少し目を閉じて休んだつもりが、うっかり熟睡してしまったようだ。
目をこすりながら身体を起こして、昨日から着たままの服に顔をしかめながら袖を通すと――扉が控えめに叩かれた。
「シメオン少尉殿――お食事をお持ちいたしました。入室をご許可願います」
「入るがいい」
「失礼しまーす」
そう言って、ヨハンが銀盆に蓋をしたものを乗せたワゴンを押して訪ねてきた。
「大尉っ!? ご無礼をお許しください」
「いいってことよ――それより、腹減っただろ? 豪華な朝飯を持ってきてやったぜ」
彼はそう言って、銀盆の蓋を開けてみた。
「……豪華って――冷凍食品じゃないですか」
真っ白な陶器の皿と銀器に囲まれた〝朝食〟はエリザベス号の自動販売機で売っている、民生品の冷凍食品だった。
「だって、料理なんかしたことねえもん――家にいた頃はババアが作ってるのを見てたけど」
「っ!?」
ミリアムは驚きを隠せなかった。
竜王であり、侯爵でもあるマイアが――ヨハンのために手料理を振る舞っていたというのだから、無理もない。
「しかし、どうして」
「まあ、聞けって――柄じゃないけど、これから〝お説教〟をするから。な?」
ヨハンは副官の歯切れの悪い疑問を聞き流しながら、ピッチャーからオレンジジュースをグラスに注ぐ。
「忘れろとは言わないけど――お前さんはちょっと、心得違いってやつをしてないか?」
この貴族らしさのかけらもない上官は、前置きを省いて本題から切り込んできた。
彼が何の話をしているか、ミリアムはすぐに理解した。
「そうは思いません、大尉――小官が未熟だったが故に、民間人に被害を出してしまいました。その責任を痛感することの、なにが〝心得違い〟なのですか」
「帝国軍規第6条だっけ? 指揮官は部下の行動に責任を持つってアレ――な? お前さんやシニアがやったことに対して、責めを受けるべきなのは俺だけなんだよ」
実に珍しいが、このときのヨハンの物言いは正論だ。
それを聞いたミリアムは目を伏せて言う。
「軍規の上では仰る通りです」
「だろ? だから、俺のせいにしろって言ってんじゃん――それに、もし撃たなきゃ部下の誰かが弾を喰らってたかもしれないんだぜ。それでいいのか? お前さんの騎士道精神は、部下の命よりも大事か? もし俺なら、仲間が撃たれそうなときは必ず敵をぶっ殺す。相手がガキだろうが、女だろうが年寄りだろうが、容赦しねえ。胸に2発、眉間に1発ずつ撃ち込む。倒れたらさらに2発だ」
「……」
ミリアムは再び〝朝食〟と上官を見比べる。
部下の顔つきが、軍人以外の別のなにかになっている。
そのことに、まったく気づいていない朴念仁の上官は――今後の予定に少々の変更が加えられることや、ヒル船長から聞かされた途轍もない補償金の話をした。
「8700万シリングと、申しましたかっ!? 今!」
ミリアムは額面を聞いて、危うく飲み物を吹き出しそうになった。
「いったい、どうやって払うんですかっ!? そんな大金」
「うーん……」
「そもそも、ハイジャックだというのに、どうして身分を明かしたんです?」
「あ! やっべ!」
「まったくもう」
ミリアムは会見の場に同席していなかった。
そのため、ヒル船長の手元に新聞があったことを知らなかった。




