第10章 ハイジャックのチケットは片道切符 02/08
エリザベス号。
帝国はもとより、世界最大の――豪華客船である。
全長900フィート弱、排水量は8万トンを誇る。
4基の蒸気タービンが生み出す総出力は、20万馬力とあり――帝国海軍の巡洋艦を大きく凌ぐ出力だ。
巨体でありながら、巡航速度は30ノットに迫る俊足を発揮する。
このため、魔界連邦との世界大戦の最中では――海軍に戦時徴用され〝輸送船〟としての戦績もある。
旅客定員は2千人以上、運行にあたる乗組員は総勢1000人を数える――巨大な、海に浮かぶ1つの〝街〟だ。
11層のデッキ、3つのシャフトにそれぞれ4基のエレベータ――3層にまたがるショッピングモール。
船首には5つのデッキを吹き抜けにした、巨大な劇場がある。
無数のレストランとラウンジ、カジノをはじめとした多岐にわたる娯楽施設の充実ぶりは――この世の老若男女全ての人をもてなそうという、気概と情熱に満ちているようだ。
魔界連邦の特使、サムエルの電撃訪問の警備の都合上――という理由のため、出港が延期されている。
そのためか、乗客はまだ乗り込んでおらず――乗組員の大半も下船している。
現在は船の保守と出港の準備のために、僅かな人間しか船にはいないはずだ。
「船長以下、甲板部士官は9人、乗員は15人――こいつらは殺すなよ。それ以外は、ROEに則って容赦するな。心配しなくても、海運会社は保険金をかけまくってる。邪魔するやつは皆殺しにしろ」
ヨハンは部下を安宿の食堂に集めると、これから何を行うか伝える。
「ローガンのエコー・チームが作業員に扮して潜入――ロープラダーを2箇所に設置」
テーブルには略図と、エリザベス号の船内見取り図の複写――それからいくつかの写真が並べてある。
「海上からモーターボートで、少尉のブラボー・チームとシニアのチャーリー・チームが接近――〝ワシントン〟から第5デッキに乗り込む。全チームが再編成し、第5デッキの〝サンティアゴ〟から船内へ」
ソフィアが、
「ここ」と言って、人間用のペンを抱えて印をつけた。
「次に船首側のエレベータ・シャフト〝ウプスラ〟で、エコーは第1デッキに降りる――目的は乗務員の休憩エリアの制圧だ。以後は〝ヴァレンシア〟と称する。頼むぞ、ローガン」
「あいよ、大尉」
部下は力強く頷いた。
「ブラボーとチャーリー、両チームは第9デッキの艦橋を制圧――艦橋のコードは〝トリポリ〟とする。制圧が終わり次第、俺たちアルファが〝エンジェル〟とお供を連れて乗船する。質問は?」
「緊急脱出手順はいかがなさいますか? 大尉」
シニアが訊いた。
「脱出プランその1は〝ウプスラ〟で再編成、来た道を戻って〝ワシントン〟から、ゴムボートでいいよな?」
「はい、大尉――船尾側の第3エレベータを〝クサンティッペ〟とし、そこを予備の合流地点としましょう。そのまま、エリザベス号右舷の脱出艇を奪います。これが第2プランです」
シニアが予備の脱出手順をまとめ、次にミリアムが引き継ぐ。
「脱出艇のコードは〝クサンティッペ〟の次となると〝ヨーク〟ですね」
ヨハンやシニアが頷いた。
「第3の手は、第11デッキに飛竜を呼ぶ――これはホントに最後の最後だ。発着ポートのコードは〝チューリッヒ〟にする。いいな?」
「はい――大尉」
シニアを筆頭に、全員が頷いた。
作戦が失敗した際の脱出計画を、予備を含めて3つ用意する。
この周到さが、これまで彼らが生き残ってきた理由だろう。
それからミリアムは、エリザベス号の写真を一瞥する。
まさか、こんな形で世界最大の豪華客船に乗ることになるとは――思ってもみなかった。
雄大な巨体を象徴する、煙突から煙が立ち上る写真を見た彼女が――何かに気づく。
「大尉、もう1つ懸念が」
「言ってくれ」
「この手の、大型艦船の機関を始動するのには――かなり時間を要すのでは?」
「正規の手順で〝火入れ〟にかかるのは、夏場は10時間で真冬なら36時間ってところか? でも、明日の式典後にすぐ出航するはずだから、試運転は終わっているだろ――暖気中だってことを加味すれば、3時間で始動できるはずだ」
「逆算して、タイムリミットも決まりますね」
「そういうこった」
寡兵で大軍と渡り合う戦術に〝ゲリラ〟というものがある。
不規則に行動し、神出鬼没な活動をもって時間を稼いだり――敵を混乱させる。
ヨハンはこれを、サムエルの護衛にあたって活用していた。
堅固な帝都のホテルから、密かに安宿へ彼を移送したのもその観点からだ。
また、統合参謀本部の立てた警備情報は――魔界の貴公子を狙う暗殺グループに漏れている。
というよりも、彼の暗殺を謀って――再び魔界との戦端を開こうとしているのが、実は陸軍の上層部と議会の主戦派だ。
案の定、統合参謀本部は予定通り――列車での壮麗な壮行を行うと通達してきた。
ヨハンは、
「それを逆手にとって〝敵〟に対する陽動に利用すればいい」と言った。
警備計画を立てる軍議の場で、メイ中佐に発言を禁じられるまで無駄口と罵詈雑言をまくし立て――会議室から追い出された。
全てが、今回の独断専行を行うための布石だった。
古典的な兵法の選集に〝敵を欺くにはまず味方から〟というものがある。
まさしく、ヨハンのためにあるような言葉だろう。
「……」
闇夜の海上を、背中の翅を振るわせて――妖精の少女が飛んでいる。
「終わったら、お風呂に入りたいな」
海風の賑やかな潮騒が、磯くささと湿り気を帯びて――彼女の青い銀髪を執拗に撫でてくる。
《シエラ・ナイナーへ――こちら、エコー。〝ケベック〟通過。これより船内に入り、中央エレベータ〝ローマ〟を目指す》
ハーレークイン小隊の古参兵、ローガン1等軍曹からの報告が入った。
彼が率いるエコー・チームは、作業員に扮している。
必要な書類や、身分証などは――全てソフィアが妖精の力を〝悪用〟して、偽造した。
彼らの任務は、エリザベス号の右舷にロープラダーを設置――ミリアムが率いるブラボー・チームと、シニアが率いる、チャーリー・チームの侵入・上船支援だ。
全隊の端末水晶による通信を中継、彼らを上空から導き――統制を図るのがソフィアの任務となる。
「ん――エコーへ。〝ケベック〟通過、了解。ブレイク、ブラボー及びチャーリー・チーム。待機して」
小隊の中で、最も非力で最も小柄で――可憐な妖精の少女が、彼らの運命を司る。




