第9章 良いニュースと悪いニュースがある 05/06
「もう朝かい? 悪いけど、僕は君と違って低血圧だし〝育ち〟もいいから――寝起きは弱いんだ。低血糖だし。お茶にラズベリージャムを足したものを、これに運ばせてくれたまえ」
隣の寝床にいたサムエルが、目をこすりながら――上半身を起こした。
「起きてんのに寝言を抜かすんじゃねえ! 窓を見ろって! 〝魔界の王子様が泊まってると思ってた連中〟が、ホテルを強引にリフォームしやがった! 花火大会だぜ、ヒャッハー!」
ヨハンは喚きながら、寝間着の襟首を掴んで――彼を無理やり窓際まで引きずっていく。
外を見て、魔界の貴公子は――憮然とした様子で言う。
「巻き込まれた人はいないだろうね? 僕のせいで人が死ぬのは、慚愧に堪えない」
「はぁっ!? それが魔界のギャグかよっ? ついこの間、俺たちを避雷針にしようとしてた奴が――よく言うぜ」
魔族の美少年は、まるで意地悪をされた子供のように――唇を尖らせて反論してくる。
「あれは戦場でのことじゃないか――それに、君たちも僕の近衛を皆殺しにしただろう? お互い様だ」
「そういやそうだ」
ヨハンがあっさり認めたとき、勢いよくドアが開かれた。
「大尉! ご無事ですかっ!?」
銃身を短くし、先端にサイレンサーをつけた自動小銃を構えながら――完全武装のミリアムが、部屋に飛び込んできた。
「ブルー! ブルー!」
副官の女騎士は、友軍の誤射を防ぐ符丁を告げながら――部屋の奥に進んだ。
「ブルー! こっちだ、少尉――オール・クリア」
裏事情を知らない彼女は〝緊急〟だと、本気で思っている。
「僕の心配が先じゃないのかい? まあ、気持ちはわかるけど」
「失礼をいたしました――殿下、ご容赦を願います」
「すっかり目が覚めちまった――2度寝には中途半端な時間だな」
ヨハンはそう言うと、シャツをその場で脱ぎだした。
「大尉っ!?」
盛り上がった胸や引き締まった腹部、二の腕のから肩にかけての筋肉――それから筋張った前腕が露わになる。
身長は5フィート7インチ弱に対して、体重は140ポンドほど。
帝国の平均的な成人男性より少し小柄で、痩せている。
贅肉を絞った、若い兵士らしい体つきだ。
ミリアムが驚いて、慌てて背中を向けた。
「殿下にお茶をよろしくな♪」
ヨハンは構わず、彼女の真横をすり抜けて――タオルを片手にバスルームに入っていく。
赤面したミリアムは、その背中を一瞥する。
彼の背中には、皮膚が引きつったような――痛々しい傷跡が残されていた。
「……」
それは、数年前に起きた〝神姫〟ヴィクトリアの弑逆未遂事件で負ったものだ。
彼はテロリストの爆弾に身を晒して、帝国の象徴を守ったことがある。
本人からすれば、それはただの傷跡に過ぎない。
ところが、貴族の家に生まれ騎士を志すミリアムには――それが煌めく勲章よりも雄弁に、彼の英雄的行為を物語った。
湯を沸かして、ティーサーバーに注ぐ。
貴族の子女の嗜みを彼女が発揮していると、水音とともに――歌声が漏れてくる。
前に知らないやつからこう聞いた♪
嵐の前の静けさっていう御託をさ♪
行けたら行くって意味と同じだろ♪
そいつが晴れたら雨が降るという♪
キラキラ光ってて綺麗な水だって♪
つまり焼夷弾は天気雨みたいだな♪
つまり焼夷弾は天気雨みたいだな♪
爆弾と乙女心はいつでも気まぐれ♪
非人道兵器の〝焼夷弾を連想させる歌詞〟という、風説が流布した曲だった。
いまだに帝国のラジオ放送では流せない、放送禁止歌をヨハンは口ずさんだ。
「なんて不謹慎な人」
彼らは、たった今――ホテルが爆破された現場を間近で目撃した。
ヨハンの性格を考えれば偶然、この歌を選んだとは思えない。
それに、これは戦争中に作られた曲であり――反戦歌でもある。
帝国との戦争当事国、魔界連邦の要人たる――サムエルに聞かせるのは、はなはだ不適切である。
ミリアムは、ティーサーバーとカップをお盆にのせて運びながら――魔族の少年の顔色を窺う。
「この曲は僕も知ってるよ――いいバンドだよね」
サムエルはそう言って、彼女の心境を見透かしたように微笑した。
浅黒い肌の美少年は、人懐っこそうな笑顔を向けてから――カップに砂糖を3つ入れて混ぜる。
薄暗い部屋に2人でいると、幼さのある顔立ちながら――彼の艷やかな肌に、妙な色気と不安のようなものをミリアムは感じてしまう。
なるべく意識しないようにしていたが、目の前にいるのは魔族であり――〝使徒〟なのだから。
ヨハンがタオルで頭を拭きながらバスルームから出てきた。
「眠気を吹っ飛ばすには熱い湯がいちばんだぜ――CCRの〝雨を見たか?〟を歌いながらシャワーを浴びる、これが風流ってやつだ」
「大尉――公子殿下の御前です。せめてシャツくらい着てくださいっ」
礼儀正しい副官の諫言を、右の耳から左の耳に聞き流しながら――ヨハンは冷蔵庫を開けて、レモネードの小瓶を取り出す。
「で、状況は?」
「……さきほど、エコー・チームのローガン1等軍曹より報告がありました――〝方舟〟の手配は予定通りとのことです」
隠語を交えて、ミリアムは指揮官に報告した。
「よっしゃ――ん? どうした?」
彼女はなにかを迷っているような面持ちだった。
近頃のミリアムはヨハンに対して感情を素直に見せ始めている。
「その――本当に、よろしいのですか? もしも失敗すれば、こんどこそ刑事訴追は免れません」
「刑事訴追……? ああ、先日の〝から騒ぎ〟のことか――さては、このあともっと悪いことをするのかな?」
サムエルが眉をひそめた。
ヨハンたちにその説明をする気はない。
翌朝。
帝都の駅。
3番線では、サムエルが来訪したときと同じ――緑色の機関車が暖機運転をしていた。
8両の客車を牽引したまま。
間もなく、ハーレークイン小隊に護衛されて――サムエルと魔界連邦の官僚たちが列車に乗り込む予定だ。
未明から憲兵隊や陸軍の各部隊が集結し、指揮官たちは駅長室を間借りした――臨時の指揮所に詰めている。
警護計画の責任者である、メイ中佐のもとに出頭――点呼を始めとした状況報告を順番に行っていく。
深夜のホテル爆発から、メイ中佐は仮眠を挟んでも疲労の極地にいた。
昨夜から〝良い知らせと悪い知らせ〟を交互に聞かされたせいだ。
そのたびに、彼は胃薬をラムネ菓子のように口に放り込みながら過ごした。
報告によると、爆破されたホテルは――20階と屋上が完全に破壊されたとのことだ。
吹き飛ばされたガラスの破片は、10ブロック先まで届いたことが確認されている。
ただし、奇跡的に――死傷者はいないという。
後に、現場検証と分析で明らかになったことだが――使われた爆薬の量と設置箇所が、殺害や破壊を目論むには不適切だった。
それだけではなく、一部の爆薬と燃焼促進剤を撤去した痕跡まで見つかった。
まるで、派手な爆発で人目を惹くこと――それ自体を目的にしていたかのようだ。




