06
寝室にて。
ヨハンは、客であるマイアのために寝床を用意する。
自分のベッドをいつもと同じく綺麗に整え、シーツは折り目正しく――上にかけた毛布は定規で測ったように正確に4インチの部分で折り返す。
そこへマイアが顔を覗かせて、
「晩酌でも付き合わんか――キャビネットの上に誇らしげに飾ってある〝逸品〟は妾をもてなすに相応しかろう?」と言って、居間に置いてある酒瓶を指差した。
それは18年もののウイスキーで、ヨハンの収集物のなかでも最も高価な宝物だ。
通常はオークの樽を使うところを、使い込まれたシェリー酒の樽で熟成させて造る。
「……」
「ほれ早うせい――おなごを焦らせてよいほど、お主はまだ歳を重ねてはおらぬ」
「女の子? ババアじゃん――チェンジ!」
竜王は跳び上がって、酒瓶をとる。
「だーめじゃ――諦めい!」
「返せ!」
「いやじゃ!」
「……」
じゃれ合ったものの、美食家であるマイアの舌を満足させられるのはこれしかないだろう。
「酔い潰して寝かしつけるか」
ついに彼も諦めたようだ。
コルクの栓を抜くと、特徴的なスペイサイドの潮の香りが立った。
この酒の蒸留所があるのは、シニアの故郷の離島だ。
グラスに注ぐと、
「こうして坊やと酒を酌み交わせるようになるとは嬉しい限りぞ――涙を流したいほどじゃ。よよよ」とマイアは感慨深そうに言った。
「泣きたいのはこっちだ――ぴえん。マジでぴえん!」
そう言いつつ、ヨハンも秘蔵の酒を味わった。
鮮烈な香りのわりに、熟成が進んでいるせいか口当たりはまろやかだ。
甘みとともに酒が喉を通っていくと鼻から抜ける芳醇さ――そして飲み込んだあとに立つ、残り香へと複雑に変わっていく。
喉や身体の芯が温まっていく。
酔ったマイアは椅子から降りて、テーブルの下を潜って――ヨハンの膝の上によじ登ってくる。
猶子の胸に後頭部をもたれつつ、彼女は冷徹な口調で言う。
「のう――近々、お主らには新たな任務が下るぞよ。勅命じゃ」
ベッコウ飴を口に放り込み、ダイヤモンドに匹敵するほど硬い歯で力任せに飴玉を噛み砕き――グラスの中身を干した。
本人が言うには〝琥珀色まで熟した蒸留酒に最も合う肴は、同じく琥珀色の安い飴じゃ〟とのことだ。
「また厄介事か――と言いたいが、なんとかなるだろ」
マイアを見ると、彼女は小さい手でグラスを包むように持ったまま――目を閉じていた。
「これは、明後日まで極秘じゃ――心して聞け」
「やけにもったいぶるじゃないか――似合わねえから、早く言え」
その不躾な物言いに、まったく動じず――少し間をおいてから口火を切る。
「……帝国と魔界連邦の講和が遅々として進まぬ件での――魔界側から交渉役として〝全権代理人を派遣したい〟と打診してきおった」
ヨハンは眉をひそめた。
外交交渉の全権代理人を担う人物、そうした重大案件を任されるのは――その国の大臣または尚書といった、国家の重鎮と相場は決まっている。
「魔界の連中は馬鹿かよっ!? この時期にそんなの〝暗殺してくれ〟って頼んでるつもりか!」
しかし、自分で言った彼は何かに気づいたのか、
「もしかして、新しい任務ってそれか?」と訊いた。
「はてな?」
こんどはマイアが、小さな童女のような頭をかしげた。
「いやだから――その外交官をぶっ殺せって、任務じゃないのか? でも暗殺なんて繊細な仕事は、現状のうちじゃ厳しいと思うんだが。事故や病死に見せかけるのって、手間かかるし。科学省が開発したっていう〝ノビチョフ〟を貸してくれたら、話は別だが。あとはリシンを使うとか? いやでも解毒されるから、やっぱ化学合成した神経毒がいいよな」
「これこれ、誰もそんなことは申しておらぬ――早合点してはいかんぞよ。お主らに与えられる任務は、むしろその逆じゃ」
「逆って……」
「お主が言った通りじゃ――この機に乗じて使者を亡き者として、戦だねにしようと蠢動しておる不届き者がおろう? それをあぶり出すのが、真の任務というべきか」
その口ぶりからすると、主戦論をいまだに唱えている軍上層部の一部は――消化不良に終わった戦争を再開させようと企図しているらしい。
大戦末期に〝オーバーロード作戦〟という、魔界本土への大規模な浸透が計画された。
しかし、決行の直前に中止命令が下った。
〝神姫〟ヴィクトリアの勅命で。
その際に、軍と内閣との間に軋轢が生じた――というのは、帝国では周知のとおりだ。
目下のところ、誰がその陰謀を巡らしているのか特定できない。
そのため、魔界からの要人の警護に――ヴィクトリアはヨハンを当たらせようとしているようだ。
最も信頼できる懐刀として。
「無茶言うな! PSD――要人警護こそ俺たちは門外漢だ。それに、帝都での警護は、憲兵隊が仕切ってるじゃん? そんなのうちは絡めないだろ?」
「軍の派閥調整は我ら――いな、統合参謀本部がうまく帳尻を合わす。既に統合参謀本部議長のドレイク元帥と、統帥本部総長のデュマ元帥の了解はとりつけた。あとは憲兵総監のゼブルン元帥を抑えるだけゆえ、心配は無用じゃろう」
マイアは断言した。
「陛下はなんとしても、戦の再燃を防ごうと躍起じゃ――されどかの御方には信用あたう兵があまりに少ない。禁軍を動員するわけにもいかぬし。そこで、お主の出番というわけじゃ」
「あのブラコン拗らせた、クレイジー・サイコを引き合いに出されて断ったら――叛乱罪で、俺は十字架を背負わされて〝お立ち台〟だ。あいにく、ボディコンも扇子も持ってねえし」
「はっはっは」
マイアは笑った。
「陛下の臣としての義務をともに果たそうぞ――妾にできることなら、なんなり相談するがよい。全てに便宜を図って進ぜるゆえ。さて、それを呑んだら褥に参ろうか。久かたに子守唄を囁いてしんずる」
「冗談やめろ――股間に密林を生やす歳になってまで、そんな恥ずかしい真似ができるか! 1人で寝ろ!」
「妾からしたら、お主はいくつになろうと子どものままじゃ――バーブシカの前で虚勢を張る必要はなかろう。ささ、わかったら同衾じゃ! 妾の可愛い坊や! はよ、閨においでませい」
待ちきれないのか、マイアは振り向いて――そのまま首に手をまわしてくる。
「抱っこ抱っこ♪ 坊やはあんよが上手上手じゃのう」
翌朝。
マイアは布団を蹴飛ばし、枕を自分の涎で汚している。
童女と変わらない、小さな身体は――竜王の威厳とともに、半ばベッドから落ちつつあった。
「……っ」
ヨハンはあからさまな舌打ちを漏らした。
早朝の3マイル走から帰った家主は、母親の寝坊に呆れているようだ。
彼は、近所のキオスクでタブロイド新聞と併せて買ってきた――2人分の朝食が入った紙袋をテーブルに置いた。
「しょうがねえなあ、このロリババア」
小言を呟いてから、彼はマイアを抱き上げて――ベッドの中心に寝かす。
「はぇー――坊やくっさ♡ クンカクンカ。ぐへへ」
布団をかけ直して、シャワーを浴び――着替えてからマイアが起きるのを待った。
細巻煙草の紫煙が、朝日を浴びて踊っている。
第7章 竜王マイアは猶子のヨハンを溺愛♡




