05
5階建てのアパートメント、白のタイルを外壁にあしらった――築40年ほどの建物。
1階にはコインランドリーがあり、別料金でアイロンのサービスも受けられる。
独身にとっては救世主に等しい設備だ。
3階と4階にはそれぞれ1室ずつ、メゾネットタイプの家族向け物件が入り――5階の角部屋に位置する、ペントハウスは家主の自邸という話だ。
住人同士の交流がほとんどない、典型的な郊外の集合住宅――その2階が、ヨハンの住処だ。
「なんじゃ、汚いのう――狭いのう」
宿舎に上がったマイアは、率直な感想を漏らした。
彼女は2千年もの間、帝国に君臨する竜の王だ。
侯爵としては帝都の郊外に、宮殿に匹敵する大邸宅を構え――領地には本物の城も保有している。
竜王からすれば、独身者のアパートの一室など――納戸よりも狭く感じるのも無理からぬだろう。
「掃除に来てくれる、健気なおなごの1人や2人はおらんのかえ?」
マイアは〝汚い〟と評したが、独身男の住まいとしては――それほど散らかっていない。
軍隊生活をした人間は、自然と整理整頓が身につく。
ヨハンもそれに倣っている。
「そんなもんいねえよ――若くて独身でそれなりの見た目してんのに、なぜか俺はモテねえんだ。ほんとなんでだろうな? もしかして、60分コースしか選ばなくて、延長料金とお嬢たちへの差し入れををケチってるせいか?」
「ふふん♪」
マイアは慣れた様子でヨハンの無駄口を聞き流しながら、我が子が普段どう生活しているのか――室内を歩き回って確認していく。
「まっこと、おなごの影も形もないのう――陛下もご安心めされよう」
部屋は水回りを除けば、食堂を兼ねた居間――寝室と〝書斎〟という名のレコード置き場兼武器庫となる。
居間に設置された、不釣り合いに大きなスピーカーを除けば――最低限の家具が置かれているだけだ。
調度品、絵画や時計――あるいは何かの置物、写真といった飾り気がまったく無い。
仮にも貴族将校だというのに、ホテルの部屋よりも質素な暮らしぶりだ。
レコード以外の収集品といえばウイスキーくらいだが、ほとんどが普及品で――他には杏や蜂蜜のリキュール類が少しだけある。
これらは寝酒として、ウイスキーに少し垂らして愉しむために使われる。
自炊をしている気配がないのは、綺麗な流し台――油汚れのないレンジフードの裏を見ればよくわかった。
マイアは嘆息しながら言う。
「仮住まいじゃ――そなたは昔から変わらぬ。そのか弱き身と儚き命だけが、自分のものと思うておる。居場所とは、見つけようとするものではないと知るがよい。さしあたっては、いま少し、おなごを呼ぶにあたうよう整えよ。花や観葉植物を少し置くだけで、印象は変わろう」
その小言にヨハンは首をかしげる。
彼には養母が何を懸念しているのか、まったくわからないようだ。
「呼ぶ相手がいねえもん――あ、最近、あの店は出張サービスをはじめてたな。あんたが帰ったら、予約をとってくる。だから早く帰ってくれよ」
「いーやーじゃ――おなごと言えば、シメオン伯家のお嬢ちゃんがおるではないか? それとも、お主の好みは、自ら口説きに参ったと音に聞く、妖精の小娘のほうか? されど、その齢で妖精との火遊びに興じるのは、ちと倒錯がすぎよう」
「は?」
ヨハンは声を上げた。
「そなたもそろそろ、身を固めてよい齢じゃ――孫の顔も早よ見たいでな」
「話が飛びすぎてるぞ、おばば」
そう言って、ヨハンは初任務のときに――ミリアムの尻に触ったことを思い出した。
また、ソフィアに対しては日課のようにスカートをめくって――下着の色や柄を確かめている。
「妖精で思い出したぞい――きやつらは清楚なようで、ひとたび人間に執着するとしつこいぞい。特に当代の妖精族の長、ティターニア・エインセルは〝あれ〟じゃから……」
マイアは臙脂色の上着を脱いで帽子掛にかけると、袖をまくりはじめた。
ヨハンはソフィアを勧誘しにいったときのことを思い出した。
その時、彼は珍しく不用意な発言をし――彼女の母親にして妖精族の長である、ティターニアから〝シシスベ〟に指名された。
また〝いずれ夜通し踊り明かしましょう♡〟とも言われた。
「部下に手を出すほど、性根は腐っちゃいねえ――多分」
「まあ、先のお楽しみじゃ――届かぬ。ぐぬぬ」
背が低すぎて、台所が使いにくいようだ。
「おら、これ使え」
そう言って、ヨハンはビールの空き箱を持ってきた。
「よきにはからえ」
彼女は侯爵という身でありながら、ヨハンが幼い頃には離乳食を手ずから作った。
日々の食事や学校の行事に必要な弁当まで、侍女たちに任せず――自ら世話を焼いた。
まるで、人間の母親がそうするように。
「上級曹長に案内された食堂で、昨夜から明晩までの献立は把握しておる――安心して待っておれ。主菜は魚がよかろう。舌平目の良いのが間もなく届くはずじゃ。デュグレレのレシピを再現してしんぜよう。そなたの基地で、新鮮なバターが手に入ったのは望外の僥倖じゃ」
マイアの言葉通り、すぐに食材やワイン――着替えなどが侍女によって届けられた。
どうやら、彼女は最初からヨハンの部屋に泊まるつもりで用意を整えていたらしい。
竜の王は食材とともに届けられた、古ぼけたエプロンを身に着けた。
歪な花の形のフェルトが縫い付けられたり、ところどころが斜めになった名前の刺繍が施されたものだ。
「まだそれ持ってたのか……」
彼にはそれに見覚えがあった。
「当然じゃ――坊やが小学校の家庭科の授業で、妾のために拵えた、正しく家宝である。これだけは、たとえ陛下に請われても献上せぬ」
ヨハンは気恥ずかしさを誤魔化すために、細巻きに火をつけた。
「ほれ、厨房は妾の前線じゃ――湯浴みでもしてくるがよい」
それからしばらくして、食事を済ませるとマイアも風呂に入った。
背中を流すように強要し、風呂から上がれば、
「バンザイしておるから、身体を拭いてたもれ――坊やが6歳まで吸うておった、このおっぱいは優しく撫ぜよ」と言って、ヨハンの手を煩わせた。
それが済んだら次だ。
「髪を乾かすのを手伝いあれ――きちんとタオルを当て、温風と冷風を切り替えながら、傷まぬように心を込めよ」
「これ、もはや介護じゃん! もう、やだ!」
「駄々をこねるでないわ――竜の王たる、妾の高貴な髪に櫛を通せるのは、この上なき栄誉じゃろうが」
「じっとしてろ! このロリババア!」
大騒ぎをしつつ、ようやく寝間着に着替えた。




