02
〝神姫〟は基本的に、いくつかの例外を除き軍に対して距離を置いている。
その立場から理由のいかんによって叙勲を推薦すれば、政治的な繋がりを疑う者が出てくる。
ましてやそれが、新設された連隊に属する得体の知れない小隊に対して行われれば。
なおのこと疑惑を深めてしまう。
「さておき、坊やの悪知恵は、存外にも政に向いているやもしれん――退役後には、政界に打って出させるとしよう」
マイアは大真面目な口調で言った。
だが、童女の外見がそうすると――余計に冗談めいて見えるだろう。
ヴィクトリアはヴィクリトアで、マイアの座興に便乗してくる。
彼女は手を叩いて、さも〝良いことを思いついた〟ように言う。
「その暁には宮内尚書に任命したいですわ――そうしたら、毎日でも一緒にいられますもの。ああ、いっそ〝太尉〟の公職を復古いたしましょうか。お兄様に相応しいのは元帥たちの上に立つこと、これにまさるものなどありません。いつかきっと、神皇子と大公の称号、諱のヨハネと氏のヒルカノスをお返しできますように。ヴィクトリアは諦めません」
「陛下の尊きお志と、肉親への無限の愛を妾も見習いたく存ずる――ひとまず、現実的な儀礼に則り、誰ぞ軍で〝それなりに立場のある者〟より、労いをかけてやる程度にしておきまする」
マイアが飛び降りるように、椅子から立った。
それから彼女は、竜王の牙を覗かせて笑いかける。
「太傅、いいえ――エフライム中将のよきように、計らいなさい」
〝神姫〟ヴィクトリアは敢えて、軍の階級を含めてマイアに命じた。
その意図を忖度して竜王は主君に跪く。
「御意」
翌日の午後。
ヨハンは執務室に戻ってくるなり、さきほど基地司令――ボーマン大佐から渡された書簡を放り出した。
「やばいやばいやばい、何がやばいってこれマジでやばいわ」
それから、麻薬中毒者の呂律のような口調で――不可解なことを口走った。
「大尉……?」
「ヨハン……?」
副官のミリアムと、妖精の少女ソフィアが怪訝な顔をしている。
それにも気づかず、彼は自ら進んで書類とペンを取った。
熱心に何かを書き付け始める。
唐突に指揮官としての使命感に目覚めたのか。
溜めこんでいる報告書の締切が過ぎていることを思い出して、自らの職務に邁進する気になったのかもしれない。
好奇心に駆られて、ソフィアがヨハンの肩の上に立って――上官の手元を覗いた。
「有給休暇の申請書……?」
ミリアムは首をかしげて、執務室の黒板にかけてあるカレンダーを見た。
「大尉、明後日からお休みでは?」
小隊の予定表では、彼女が指摘した通り――2日後に特別休暇となっている。
「それじゃ間に合わな――ああ! 畜生! 破けた! この糞ったれの紙切れが!」
ヨハンは悪態をついて、書き損じた書類を丸めて後ろに放った。
「いったい、何ごとですか?」
ミリアムが訊いた。
「これのせい?」
〝陸軍第99連隊直属第1小隊指揮官――ヨハン・ユージン・スミス殿。先日の陸軍の要請に際して敢行された、近接航空支援において、貴隊による精密な誘導に空軍より感謝を申し述べたい。ついては、今月の25日に代表者が表敬訪問に伺うことをご承知おき願う。かしこ。帝国空軍帝都防空司令、エフライム。私信、坊やを溺愛するのが楽しみじゃ♡〟
「……と」
手元にあった書簡を、ソフィアが読み上げた。
どうやら、明日にも空軍の重鎮がこの第99連隊基地に訪れるらしい。
そして表敬訪問という名目で、訪ねてくるのは――文面とヨハンの狼狽ぶりから察するに、彼の後見人だったマイアであることは明白だ。
「太傅様っ!? エフライム侯爵閣下がお運びになるのですかっ!」
ミリアムは、彼女にしては珍しく粗忽さを漏らした。
つい、社交界での呼び方をしてしまったようだ。
「ミリアム少尉――ここは軍隊。今の発言は不適切」
「あ――失言を訂正させてもらおう。エインセル准尉」
「少尉はエフライム中将に会ったことある?」
「まさか――拝謁など、恐れ多い。一度、ご尊顔を遠目に拝したことはあるが。たしか、幼年学校の卒業式で来賓席にいらしていたときだ。文字通り我ら帝国臣民にとり、雲の上の人だ。当然面識はない。なんというか、小柄なお方であった気がする。かの方については、大尉がお詳しいはずだ」
「なら、ヨハンに聞く」
部下の乙女たちの会話を無視して、ヨハンは懲りずに別の紙を取り出して書き込んでいる。
「よし、除隊だ! 除隊して旅に出よう――保養地のある南国がいいな。これから暑くなるし。ビーチで日焼けしてる間は、水着のねーちゃんを眺めながら、ダイキリをこう、きゅっと飲りたい」
「ほう――それはよき哉。妾も、ちょうど水着を新調しようとしてたところじゃ」
不意に執務室のドアが開いて声がした。
「っ!?」
彼は背中に爆弾の破片が食い込んだときのように痙攣した。
入室してきたのは、臙脂色の空軍の礼服を身につけた童女だ。
彼女を見るなり、ヨハンが喚く。
「出やがったなババア!」
「これ、お口が悪いぞえ――元気そうじゃの、坊や」
「坊やって……?」
ミリアムが息を呑んだ。
「もしかして――この〝小さい子〟が?」
妖精の少女は、不思議そうに首を傾げた。
彼女たちは顔を見合わせて、ヨハンとマイアの方に視線を戻す。
ミリアムは〝小柄〟と控えめに称した。
だが、マイアの背丈はどう見ても――人間の基準では10歳の女の子よりも小さい。
その足元を見ると、踵の高い膝の下まであるブーツで底上げしていた――それを差し引けば、身長は4フィート5インチくらいだろう。
肩と襟には将官がつける――金色の星型の階級章が3つ輝いていた。
胸には無数の略綬が並んでいる。
そのひとつひとつが――彼女の凄絶な軍歴の証明だ。
〝年功章〟が千年単位のものを身につけられるのは、マイアだけだろう――それが2つも並ぶ。
名誉勲章と並んで留めてあるのは、柏つきの金地に紅い炎をまとった蒼い剣と黒い竜を象った騎士十字勲章だ。
その反対側の胸に、彼女の苗字も刺繍してあった。
フォン・エフライム――と。




