09
《ホッグ・スリーよりワンへ――目標に効果あり、効果あり。ハーレークイン小隊に警告しますか?》
《無用ぞ――そも、彼奴らはそれどころではなかろう》
ホッグ隊の指揮官――リョーエン大尉が言った通りだ。
ヨハンたちに応える余裕はなかった。
「みんな逃げるぞ――とにかく、今は斜面をのぼれ! 全力で〝Bダッシュ〟だ!」
彼は後続の味方――ブラボー・チームに、谷筋に降りないよう注意する。
「ブラボーへ――シックスだ。斜面をトラバースして、地点〝ヴァレンシア〟で合流だ。ブレイク、エコーへ。〝ウプスラ〟を放棄しろ! LZは当初の〝ワシントン〟から〝クサンティッペ〟へ変更する! シックス、アウト」
併せて、エコー・チームにも合流地点を変更すると伝えた。
端末水晶の通信を閉じ、ヨハンはメイソンたちとともに――怪我をしたミリアムを引っ張り上げていく。
間もなく、離れた場所にいるはずの魔族の少年の声が――聞こえてくる。
《愚かな人間たちよ――君たちを葬る、僕の名を恐怖とともに胸に刻むがいい。僕はサムエル、宵の明星を司る真の魔族だ》
少年の甘い声が耳元で囁かれると、頭上で暗雲が立ち込めていく。
それとともに、稲光が輝き――砲声のような轟音が轟きはじめた。
「や!」
妖精の少女――ソフィアが瞠目して、両手で耳を塞いだ。
彼女は雷が嫌いだ。
いつか、ヨハンはその母親――妖精族のエインセル婦人から聞かされたことがある。
野戦服のポケットを指さすと、
「ん」と言って、彼女はそこに滑り込んできた。
《我が霹靂にひれ伏すがいい》
雷雲を呼び寄せて、狙った場所に雷を落とす――これがサムエルの極大呪文のひとつだ。
人間の姿のままで、こんなことをできる――魔族の中でも絶大な力を持つ〝使徒〟は計り知れない力を持っているようだ。
しかし、
「おや?」とサムエルは妙な物音に首を傾げた。
照準を合わせて、ヨハンたちに雷撃を見舞おうとしたとき。
谷筋に立つ彼の背後に、突如として轟音を響かせながら土石流が流れこんできた。
「ダムを破壊したということは――証拠隠滅? いや、もっと根が深いのか」
サムエルは、必死でミリアムを引っ張り上げているヨハンを見上げた。
目が合うと、彼は指を2本立ててサムエルに向けた。
「……」
勝利宣言かと思えば、手首を返してそれを反対にする。
帝国の下町では伝統の――相手を罵倒するときに使う最上級の合図だ。
「素敵な宣戦布告だ――また会おう」
サムエルが推察した通りだ。
ヨハンは谷筋にあるダム湖を固めている土壁を、上空にいるサンダーボルトⅡ級の飛竜たちに攻撃させた。
その結果、決壊したダムからは大量の土石流が谷筋に流れ込んでくる。
「……」
微笑したサムエルは、振り上げた拳をそのままにした。
彼はヨハンたちにあえて雷撃を落とさず、土石流の濁流に呑み込まれていく。
ヨハンたちから見えない位置で、巨大な光で覆われた――3対6枚からなる〝熾天使の翼〟が水面から現れた。
みるみるうちに水量が増して、そこには濁った川が現れる。
追手がないことを確認したヨハンたちは、ブラボー・チームと〝ヴァレンシア〟で合流した。
それから、予備の着陸地点である〝クサンティッペ〟で、シニアたちのエコー・チームと再編成を果たす。
大型輸送飛竜、バンジョウ大尉を誘導してくれたのはシニアだった。
その道すがら、メイソン1等軍曹が――先ほど魔族の少年から聞かされたことを話す。
帝国陸軍が目論んでいたという、不可解な〝偽旗作戦〟と――ダム湖で使用する寸前で阻止された〝化学兵器〟の件だ。
帝国軍は、停戦に隠れて――実は遺跡で化学兵器を密造していた疑い。
それらの非人道作戦を阻止するために、魔族は自ら精鋭軍を率いて――停戦を反故にする危険を冒して、帝国領へ不法越境してきたのではないか。
「俺が知るか!」
ヨハンは吐き捨てるように言って、続ける。
「魔族の御託を聞くほど、暇じゃねえ!」
「……ですよね」
戦場経験の長いメイソンは、それでも腑に落ちない様子だ。
だが、上官と同じく魔族の少年の話よりも――深刻で心配なことが目の前にある。
ミリアムの容態だ。
キャビンの中での救命処置が、辛うじて間に合った。
副官である新任の少尉の額に浮かぶ汗を拭きながら、妖精の少女が訊く。
「ミリアム少尉――痛い? モルヒネをもっと足す?」
そう訊かれた彼女は、目を閉じたまま血の気を失った――青い顔で言う。
「いいや、エインセル准尉――モルヒネの追加投与は心拍数が下がって危険だ。このままでいい。貴官の心配だけで、充分だ」
医療担当の彼女らしい、冷静な自己診断だろう。
顔色は悪いものの、その表情は――かすかな微笑を浮かべている。
おそらく、心配するソフィアを安心させたいのだろう。
「寝てて――もう答えなくていいから」
ミリアムの容態は命に別状ない。
とはいえ深手には違いなかった。
しばらく静養する必要があるだろう。
落ち着いたところで、シニアがヨハンに訊く。
「ところで、大尉」
「ん?」
「HVT――目標はどうされましたか?」
「あ……」
ヨハンは火をつけようとした細巻きを取り落した。
指揮官に代わって、ソフィアが答える。
「目標〝来訪者〟なら――今頃はあの土石流に流されてる」
元々は古代遺跡で敵に狙われた〝来訪者〟を確保することが任務だった。
想定外の事態が連続したため、ヨハンはそれを放棄したことになる。
上級曹長が渋い顔をした。
「……大尉」
「いやだって、仕方ないだろっ!? 魔族だぞ、それも〝使徒〟っぽいやつ! マジもんの! あんなヤバイのに絡まれて、こっちは大変だったんだ!」
ヨハンは情けない声を上げて、弁解した。
しばらくして、シニアは嘆息まじりに言う。
「またしても〝コラテラル・ダメージ〟ですか?」
ヨハンは大きく頷く。
「そうそうそれ――っていうか、どーせまた転生だか、転移すんだろ? 〝来訪者〟って。じゃあ、いいじゃん? それに、上から言われた通り〝誰にも渡さなかった〟し。〝魔族の大魔法のせい〟でしらばっくれようぜ! だめ?」
「小官はなにも聞かなかったことにいたします――それから、これは独り言ですが〝空軍の近接航空支援の際に使用されたマーク84が、魔族のアストロミック・スペルの影響によって、上流のダムを誤爆した可能性〟もあるかもしれません」
「さすがシニアだ! ぬへへ」
ヨハンは誤魔化すためか。
いつもの赤いラジカセを繋いで、テープを回す。
「ポチッとな♪」
この場にまったく相応しくない、明るいドラムソロと脳天気なシンセサイザーのイントロ。
そして〝歌〟がはじまる。
言わせないで あたしが未熟なんて♪
足元も覚束ないの あなたのせいで♪
マイペースでいいじゃん それが私♪
遠くへつれてって テークオンミー♪
賭けるなら、安牌なんて切らないで♪
遠くへつれてって テークオンミー♪
いなくなっちゃうよ 待たないもん♪
「トゥル・トゥルットゥー♡ パラ・パ・パッパー♪」
不謹慎な合いの手を挟んだのは、もちろんヨハンだ。
歌詞から察するところ、この小隊長はまったく反省していない。
その上、彼は言う。
「まあ、水に流せってこった」
「泥水だったけど?」
「戦争に綺麗事は通じないんだ」
「ふーん?」
ヨハンとソフィアが、いつもの調子で言い合った。
だが、部下たちは疲れ切っており――誰も何も言わなかった。
代わりに妖精の少女が愚痴をこぼす。
「報告書は長くなりそう――ヨハンのせいで」
その小言を聞いた小隊長が呟く。
「マジぴえん」
第5章 コラテラルダメージは保険の適用外




