06
ヨハンは少々もたつきながら、コーヒーとホットミルクを用意した。
「悪いがこれで我慢してくれ」
彼はそう言って、先にブラックのコーヒーをストレートですする。
「いただきます」
ミリアムは社交辞令を告げて、ホットミルクのカップを受け取った。
「演習ではよくやってたようだな――ローガンとメイソンが褒めてたぜ。部下をまとめてたし、不測の事態にも冷静に対処できてたって」
「いいえ、そんなことは――大尉には結局、負けましたし。それなのに、こんな凄い業物のナイフまで頂いてしまって、恐縮であります……」
「なんだ、マジでそれ気にしてたのか――俺はてっきり、方便だと思ってたぞ」
ミリアムは瞬いた。
「方便――とは?」
「いやだから、俺がちゃんと部隊を仕切ってるかどうか――調べに来たんだろ? 誰の命令かは知らないが」
「……ご存知でしたか」
「まあ、あのタイミングで統合参謀本部から、お達しが来たら気づいちゃうって――お前さんの落ち度じゃない。背広組と、椅子をケツで磨くのが得意な馬鹿どものせいだ。奴らのドジっ子ガバは、今に始まったことじゃない」
この上官は、やはり油断できない相手だ。
しかしわからない。
彼が、なぜこんなことを言い出したのか。
それとも――あのシェルフィッシュ・ロゴのナイフで、買収するつもりだろうか。
「はあ」
対処に困って、ミリアムは曖昧な返事を返してしまった。
甘いホットミルクに口をつけると、湯気が鼻と目頭にかかって――急速に眠気がやってくる。
睡魔の足音はいつも無音だ。
思った以上に、疲れが溜まっているようだ。
昨日の早朝から、ほとんど休みもとらないこの上官は――一体、いつ眠くなるのだろう。
彼は言う。
「お前さんを含めて、5人の副官候補者の経歴書が上級曹長の机にある――副官人事のお達しがある前から、シニアはお前さんを副官の候補として検討してたらしい。俺たちよりずっと長い間、軍にいた軍人の権化に、優秀だって見込まれてたんだぜ」
ミリアムは意外な言葉に、目を上げた。
「そう、なんですか」
「ああ――俺は嘘ついたことなんて、1度もないもんな」
ヨハンは大真面目な口調で言った。
「それ、嘘つきの常套句ですよ――大尉」
「へえ、そうなんだ」
「はい」
初めてこの上官と素直に話をしているような気がした。
「まあ、それは置いといて――俺がなにを言いたいかっていうとだ。お前さんが何か、上から特命を帯びてようがなんだろうが、副官としての任務を全うしてくれれば、それでいい。なにしろ、俺はこの通りだから。な? 頼むぜ、学級委員長」
ヨハンはそう言って、細巻きに火をつけた。
木箱の即席ベッドで丸まって、寝ていたはずのソフィアが、
「ぶきっちょ」と小さく呟いた。
それから数週間。
ハーレークイン小隊には、いまだに出動命令が下りず――訓練の日々が続いた。
指導に当たったのは主にシニアで、控えめに言ってそれは地獄よりも過酷だった。
その間に、ミリアムの射撃の腕前は少しずつ向上した。
この日、夕方までミリアムは居残りで射撃訓練を自主的に行っている。
教官はヨハンだ。
「その位置だと的までは304ヤード――ゼロインを200でとってるから、狙点はもうちょっと上だ。的の枠にかすめる辺りを狙ってみろ」
彼女が小銃で人型の的を撃っていると、背後でそれを監督しているヨハンが言った。
半信半疑で撃った弾丸は、的の中心を射抜いた。
「自分が構えた時に見える、照準の照星と照門のラジアン単位を把握するんだな――シュトルヒ法って、砲科の座学で習っただろ? 的の大きさがほぼ一定なら、3角比で目標までの距離は四則演算で割り出せる。人体なら胴体の幅は1フィート5インチ、高さは立ってれば6フィート、座ってるなら4フィートって具合で計算すればいい」
小銃の弾丸は、火薬で撃ち出されてから真っ直ぐではなく――緩やかな弧を描く弾道で飛んでいく。
そのため、遠い的を狙う際には上を狙う――または、照準の高さを変えるといった工夫が必要だ。
具体的にどの程度の角度をつけるか、狙う的と彼我の距離を把握することが必要だ。
彼は続けて私見を言う。
「多少の誤差は出るが、どうせ風で弾は流されるし精密な狙撃をするわけじゃない。っていうか、実戦じゃそもそも当たらん! カッコつけて狙ってる間にドンパチ撃たれまくるのがオチだ!」
ヨハンはとりわけ、この彼我の距離を目測する能力に秀でていた。
これを応用して、彼は彼我の距離が正確にわかっている時には――相手の身長や各部の寸法を正確に目測できるらしい。
「だからお前さんのスリーサイズも正確だったろ? 射的の秘訣はスケベの修行にあり――ってな。ぬへへ」
「……」
「ところで、引き金はもうちょっとソフトタッチで、焦らすみたいに――エロくお触りしてやれよ。なんたって、感じやすいお年頃だ♪ お前さんとおんなじで♡」
「っ……」
途中までは、真面目に講義をしていたというのに。
最後に余計なひとことを添えて、彼はミリアムを苛立たせた。
そうして感情を揺さぶってから言う。
「それからこっちが肝心だが、俺たちの仕事は〝的当て〟じゃないぜ? 標的を仕留める距離まで、撃たれず近づくことだ――そこ間違えたら、死んじゃうぞ」
「……はい」
また、必須だと言われた上級空挺徽章も、順調に課程を修めてきた。
取得までは、あと1度の夜間降下訓練をこなす必要がある。




