04
エインセル婦人が文書を確認した。
ソフィアが〝踊って〟条件を付け足したことは、一見すると公文書の改竄に見える。
しかし実像は異なる。
まず、文書にあった妖精族への市民権付与の条件は変わらない――それに、これを〝公証人〟としてエインセル婦人が認めている。
またこの〝不正〟をならしたと仮定して――誰が得をするというのか。
妖精族が不正を訴えて、自分たちの市民権を反故にすべきか。
あるいは寺院の人間の職員たちが〝神姫〟の親筆の文書に疑義を呈すだろうか。
理屈のガラス窓というものだ。
実際には塞いであるというのに、気づかなければ――無責任な第三者には穴があいているように見えてしまう。
これで、妖精族の全員に帝国市民権が与えられた。
だが、この場の誰も――そのことを気にしていなかった。
「ところで、スミス大尉」
「……?」
「あたくしの娘の任期はいつまでですの? それとも、生涯――軍に尽くさねばなりませんのかしら?」
エインセル婦人は、娘を軍隊にとられたというのに相変わらずの調子で訊いてきた。
「准士官待遇の〝軍属〟だから、任期はない――本人の希望があって、事務手続きに不備がなければ好きなときに辞められるはずだ」
ヨハンは難題だと思っていた、妖精の少女を部下に引き入れたことで――珍しく気が緩んだようだ。
また、妖精族の年長者と言葉遊びに興じるには――役者不足も甚だしかった。
エインセル婦人は微笑したまま、
「あらまあ」と、わざとらしい仕草で手を打った。
まるで〝今しがた思いついた〟かのように言う。
「それは例えば今日にでも、ですの? 文書には任期は書かれてませんでしたものね」
「あ、やっべ」
ヨハンは瞬いた。
彼は言質をとられてしまった。
公証人として、今も微笑んだままのエインセル婦人が立ち会い。
ソフィアが軍を退役する書類を、この場で作成して提出したら。
上官として、それを受理しなければいけない。
不用意な一言で追い詰められたヨハンは――おそるおそる、ソフィアを見た。
「どうかした? 荷物をまとめてきていい?」
「ああ――用意してこい」
ソフィアの方は――どうやら母親の策にのるつもりはないようだ。
「待ってて」
妖精の少女がその場を離れると――成り行きを見守っていた、周りの見物人たちも自分の持ち場に戻った。
ロビーに残ったのは、ヨハンとエインセル婦人だけとなった。
「娘をお願いしますわね――大尉。なんといっても、嫁入り前ですもの」
「妖精は結婚なんてしないんじゃ?」
知る限り、妖精族は他種族のような方法での婚姻は結ばない。
「あら、あたくしたちも晴れて帝国の市民権を得ましたもの――他種婚だって、きっと叶います。そうそう、大尉も独身でしたわね。素敵な偶然に年甲斐もなく、ときめきました♡」
そこで彼女は言葉を切って、周囲を見回した。
エインセル婦人は、ヨハンの耳元に口を寄せて言う。
「いずれ、この年増と〝夜の火遊び〟に興じましょうね――それとも〝ロンバルディアの貴婦人とシシスベ〟の方がお好みかしら? 娘を寝かしつけてからのお楽しみです。妖精は、人の夢の中にもお邪魔できますので、夜通し踊り明かせますの。ではでは、ごきげんよう♪」
最後に妖艶な圧力をかけ――ソフィアの母親は短い笑い声を残し、その場を去った。
翌日。
ソフィアは准尉待遇の軍属として、帝国陸軍第99連隊――第1小隊に着任した。
基地では事務仕事の補助や、端末水晶を用いた通信の訓練が始まった。
「ヨハン――指揮官がシックス、小隊軍曹がファイブ、副官がセブン。なら、私は?」
通信の講習が始まると、ソフィアが訊いた。
「あいてる数字を好きに選んでいいぞ――背番号みたいなもんだ」
通信の呼び出し符丁に――これという決まりがあるわけではない。
陸軍では指揮官がシックスを使うのと、副官または小隊軍曹がファイブを使う慣例はあるものの。
強いて言うなら――先任のまたは階級が高い者が、低い数字を使う傾向はあった。
「だめ――あなたが決めて」
ソフィアが言った。
さらに彼女は続けて要求してくる。
「私はあなたに脅迫されて、軍隊に入った――つまりは隷属する立場。だから、私のことはなんでもあなたが面倒をみるべき」
この数日間を一緒に過ごしてわかったことがある。
この妖精の少女は、想像以上に頑固者だった。
執務室の壁掛け時計を見ながら――ヨハンは何かを思いついて言う。
「9はどうだ? だってほら、6と形が反対だろ?」
「それが?」
「俺たちって、何から何まで正反対じゃないか? 片方は飛べないけど、可愛くて賢くて――もう片方は飛べるけど、無愛想で空気を読まないし」
世の中には、くすぐられても全く感じない人もいる。
ソフィアもまた、意地悪な上官にいくら貶されても――まったく堪えないようだ。
「ハーレークイン・ナイン?」
「いや〝ナイナー〟だ――軍のフォネティック・コードでは、そう決まってる」
「フォネティック・コードに準拠するなら、ファイブは〝ファイフ〟でしょ」
「そんなの、今どき誰も守ってないぜ――でもナイナーは駄目だ。ほら、西の方言では否定を〝ネイン〟って言うだろ? それと被るのはまずいってことで」
「わかった――ハーレークイン・ナイナー。これが私。私のコールサイン」
それよりも、ソフィアはヨハンに貰った通信の呼び出し符丁を復唱した。
「韻を踏んでるのはわざと?」
「ああそうだ」
彼が即答するときは、大抵、出鱈目だとソフィアも理解しはじめていた。
「ん」
彼女も異論がないようで、さっそく使いはじめた。




