#70 主客転倒
「……どうして……あなたが……」
美波は鉄格子の向こうに、白いトレンチコートを羽織った天池達海を見た。彼は食事の乗った盆を両手に佇んでいる。
「お久しぶりです、美波姉ちゃん。……あの時とは立場が逆転してしまっていますね」
達海は軽く微笑みながら、鉄格子脇に取り付けられている小窓の鍵を解錠し、そこから食事を差し込んだ。
「あなたは、死んだはずですよね。……ニュースで見ましたよ。急斜面から転落して、それで……。でもそんなのは嘘っぱちで、GHに殺されてしまったんだと……そう思ってました」
美波は両腕でぎゅっと自分の膝を抱える。
「そうですね、俺は殺されましたよ。GHに」
「じゃあどうして!!」
美波は声を張り上げるように言うと、達海は声色を変えずに穏やかに話し始めた。
「俺は、もっと前に……あの時既に死んでいたようなものなんです。トラックに轢かれた時に俺は既に死んでいるはずだった。不思議な力で生かされ続けていた。ただ、それだけなんです。今は人間としての肉体をも捨ててしまいましたが」
美波は達海の言葉を聞いて、彼が一昨年のある夏の日、トラックに撥ねられていたことを思い出した。記録によれば即死でもおかしくないような惨憺たる事故。しかし、達海は数週間という短い期間でほぼ完治という奇跡的な生還を果たしていた。
「不思議な力って?」
「詳しくは言えません。言って仕舞えば、俺も美波姉ちゃんも消されなければならなくなるから」
そう言って達海は小さく笑みを溢した。話したくても話せない。そんな雰囲気を感じさせながら。
達海の言葉を聞いて、美波はカモクとの戦闘を思い起こした。彼女は奇抜な武器を生み出し、驚異的な治癒能力を有していた。そして、美波からの何者なのか、という問いかけに彼女はこう答えていた。
天使だよ—— 、と
美波はそのことを思い出し、ハッとしたが、それを口には出さなかった。きっと達海もそういう存在なのだろうと、そう直感した。
「何故私だったんですか?」
「え?」
美波の呟きに達海が小さく反応する。
「何故、レイの側に私を連れて行ったのかと聞いているんです! あなたですよね? 私がヤクザに追われていた時、私のことを助けて、そしてレイの元へと誘導したのは!」
そう、クリスマスイヴのあの日。美波の前に現れて、レイが眠る廃墟まで誘導したのは紛れもなく達海だった。
美波の問いに、達海は静かに目を細める。
「信用できると思ったんです。君になら、俺の我儘を聞いて脱獄を許してくれた君なら、レイの助けになってくれるとそう思ったんです。他のGHと君は違うと、そう感じたから」
達海の言葉を聞いて、美波はぎゅっと目を瞑った。彼女の目尻からは涙が滲み出ていた。
「バカですよ。あなたは本当にバカですよ! 私があの子のことを除霊するとは思わなかったんですか? 私がヘマして、あの子を危険な目に遭わせるとは思わなかったんですか? というか、危険な目にたくさん遭わせてしまいました。危険な目にもたくさん遭わされました……」
そして美波は目を見開き、鉄格子に飛びついた。
「第一、レイはあなたが死んだと思ってとても悲しんでいたんですよ! とても悔いていたんですよ! あなたに……あなたに本当に会いたがっていたんですよ。それなのにどうして……どうしてあなたはレイに会ってあげなかったんですか!! どうしてあなたは……」
「ごめんなさい。それが最善だと思ったんです。俺が逃げ出して、レイの元に行けば、きっと彼らに裁かれてしまうと思ったから」
「え? ……裁かれるって?」
すると突然、「にゃー」という高音の鳴き声が聞こえてきた。まだら模様の小動物が達海の足元に近づき、気持ちよさそうに顔をぐりぐりと擦り付ける。
「猫…………」
「……この子は俺の式神ですよ。この子たちを使って、あなたたちのことをずっと見ていました」
そこで美波は気がついた。最近ふとした時に、近くに野良猫が居たことを。
野良猫なんてそこら中にいる。道を歩けば二日に一度は見かけるほどだ。だからこそ別段気にしてはいなかった。ただ、今思い返せば、不自然に野良猫が居たこともあったような気がする。そうか、彼の式神だったのか。
「ずっと、監視していたんですか」
「監視というか……君とレイに重大な危機が迫った時に、すぐに対応できるように。……ごめんなさい。結局うまく対応できずに何度も怖い目に遭わせてしまいましたね」
達海は美波にくしゃっとはにかんでみせた。
だからカモクにやられそうになっと時、彼が突然現れたのか、と美波は納得した。それと同時に、大鬼の悪霊との戦いや陰陽寮での桔梗との戦いは、彼にとって重大な危機とは判断されずに放置されていたのだろうか。そう考えると、美波は無性に腹が立ってくるようだった。あの場面も結構危なかったような気がするのだが。しかしまあ、それも含めての達海の謝罪なのだろうと、美波は容認した。
「あなたには、あなたなりの考えがあって、私たちのことを気にかけてくれていたことはわかりました。それで……なんであなたはそんな格好でここに居るんですか? レイはどうしたんですか?」
美波は鉄格子から手を離し、腕を組みながらジト目で達海を睨みつける。
「俺はまだやらなければならないことがあります。その為に、GH本部に来ました。カモクちゃん以外のGHはもう俺たちの味方です。だから安心してください」
「みんな無事なの? 美玲さんも?」
美波からの問いかけに達海は、「ええ」と優しい顔で返答する。
「俺はカモクちゃんを止めなければなりません。そして、彼女の背後にいる悪霊ピエロのことも」
「背後に居るピエロ……坊ちゃんヘアーの幽霊、ショタ君のことですよね。この組織、なんか怪しいとは思ってたんですけど、やっぱり裏があったんですね。……それで、カモクちゃんが何かを企んでいてショタ君がそれに絡んでいたって認識でいいんですよね」
「理解が早くて助かります」
達海の返答に、美波は得意げな様子で腰に手を当てて見せる。
「で、レイは? どうしたんですか」
「レイはもう少しだけ君にお願いしてもいいですか? 君の助けが必要です」
「え? 私の!?」
「もしも、レイが迷ってしまっているようなら、間違った行動をしようとしていたら、どうか、美波姉ちゃんが導いてあげてください」
「も……もちろん! 達海もやることやったら、ちゃんとレイのところに来てくださいね! それまではしっかり私が彼女のことを守ってみせますから」
美波は凛々しい顔でどんと胸を叩いた。
「ありがとう」
達海はそう言ってから、牢獄の天井に取り付けられた監視カメラに視線を移した。そしてそれを一瞬睨みつけると、再び美波に視線を戻す。
「では、もう行きますね」
達海は出口に向かって歩き始めた。何もせずに去ろうとする達海に向かって美波は慌てて声をかけた。
「え? ちょっと! 私はこのまま置いてけぼり!? どうすればいいんですか!」
「辺りが慌ただしくなるまでは食事に手をつけないでください。頼みましたよ、美波姉ちゃん」
それだけ言うと、達海の姿はそのまま見えなくなってしまった。
達海の姿を見送った美波はため息を漏らす。私は一体どうすれば良いのか、と。
達海は廊下を進み、そのまま三階モニター室の扉を潜る。
「やあ、達海。やっと来たね。会いたかったよ」
達海の視線の先には、机に腰をかけこちらに笑顔で手を振る白髪の女——カモクが居た。
「俺も会いたかったですよ、カモクちゃん。いや、天使『ゼロ』」
「ゼロ? さて、なんのことかな?」
とぼけた様子のカモクを達海は睨みつけた。
橘麻里香は地下一階、大ホールにやって来ていた。麻里香の父であり、警察庁長官でもある橘凛から、ここへ来て待機するように指示の連絡を受けたのだ。
長官からの呼び出し。それは、麻里香が警察組織に入ってから初めてのことであった。そして、麻里香は警察組織に入ってから一度も父と顔を合わせていない。
ようやく父に会えるかもしれないと、麻里香は心落ち着かずにいた。
それにしても父上は何故、長官室ではなくGH本部の大ホールに呼び出したのだろうか? ここに呼び出したということは用事があるのは父上ではなく、別の人なのであろうか。
様々な疑問が麻里香の中で渦巻いていく。
橘凛は既に死んでいる——
達海からはそう言われたが、内心、麻里香はそのことを信じられずにいた。
「私はこの目で確認するまでは、絶対に信じないからな」
麻里香は太陽の明かりが差し込む吹き抜けを、目を細めながら見上げた。すると、上に四角い物体が浮いている。いや、こちらに向かって落ちて来ている。
「なっ!!」
麻里香はその四角い物体を避けるように外側に向かって飛び込んだ。物体は轟音を響かせながらホールの中心にそのまま落下する。
「なんなんだ、一体」
麻里香は伏せていた躯体を起こし、落下してきた物体を注視する。
その四面体は、神器と同じ燻んだ虹色模様だった。
そして、“ガコン”と音がすると、四面体上部の一面が上向き開き、そこから下に向かって縮まるように四面体は消えていった。
その物体から出てきたものは、一人の少女だった。シュッとした鼻筋、艶やかな唇、髪は長くて美しい黒色。大きく見開かれ、ハイライトを失った目は恐ろしくさえ感じるほどである。彼女が着ている死装束のようなものは、彼女が放つオーラによって真っ黒に染め上げられているようだった。
「……そうか、お前と戦えと。そういうことか」
顔を引き攣らせた麻里香は、神器の大鎌を顕現させて、死装束姿の少女へと構える。
「今、お前を楽にしてやるからな。由里香!」
麻里香は目の前にいる自身の妹の悪霊に向かって、大きく鎌を振りかぶった。




