#65 悪夢かよ
何か異様な気配を感じ取り、春明は瞼を開く。目の前にあったのは荘厳な黒い天狗の面。
「!!?」
先ほどまで部屋の布団で眠っていた春明は、突然の予想にもない出来事に飛び起きた。それに瞬間的に反応した黒天狗は、春明の頭がぶつからぬようにひょいと上体を起こした。
外はすっかり暗くなり、眩しいほどの月明かりが障子張りの窓から差し込んでいる。
ここは陰陽寮の一室。刑務所から出てきた当日、漸く落ち着いて眠ることができると思っていたその矢先の出来事。春明は今までの疲労から頭が混乱しているのかと思案し、髪の毛を手で掻きむしった。
幻覚だろうか? しかし、目の前の天狗はいくら瞬いてもそこから消えることはなかった。であれば実在する侵入者。継ぎ接ぎの黒ポンチョのようなものを羽織ったそれは生者か、はたまた幽霊か。
春明は黒天狗に向かって形代を構えた。
「どうやって入ってきた? あんた一体何者だ!?」
春明からの問いかけに、黒天狗は静かに返事をする。
「俺です」
「は? ……まて、その声!!」
その返答は春明にとって少しだけ懐かしい声。
そんな驚き顔の春明を前に、黒天狗はゆっくりと天狗の面に手を翳しそれを剥ぎ取った。
「お久しぶりです。春明さん」
面の下には、大きくてくりくりとした目が。眼鏡こそかけてはいなかったが、春明はそれが誰であるのか、一瞬にして理解した。
「天池!! どうして……死んだんじゃなかったのか? ……幽霊になったのか?」
少し大きな声を出す春明に向かって黒天狗の男——天池達海は慌てて自らの口元に人差し指を添えて、「しー」静かに話すようアピールした。
「ちょっと並々ならない理由がありまして……あまり目立ちたくはないんです」
「目立ちたくないって……」
「ここに来ていることがバレてしまうと、今後の行動に影響が出て来てしまうので……」
達海の言っていることがあまり理解できていない春明は、再度はっきりさせておきたい疑問を達海にぶつけた。
「あんた、幽霊なのかよ」
「幽霊じゃありません……だけど生者でもありません」
「は?」
春明はさらに困惑の表情を見せる。部屋の開けっ放しの窓からそよ風が吹き込み、二人の髪を揺らす。
「俺はどっちつかずの、全く別の存在となってしまいました。その所為で俺の行動は少し制限されてしまっています。でも、少しでも春明さんには話しておきたかったんです」
「いやいや、全く意味がわからん。それじゃああんた、レイはどうした? アクタとマッチョは!? あの日何があったんだよ!」
春明の言うあの日とは、カフェ陰陽を住処としていた幽霊のレイ、アクタ、マッチョの三人が姿を消した日。春明には、彼らが警察に不当に捕まってしまった達海を救出に向かったと容易に想像ができた。しかし、その日を境に彼らの行方はわかっていない。
「すみません。アクタとマッチョは今どうしているのか、俺にもわかりません。ただレイは……俺がそれなりに信用している人物を側に置いています」
「それなりに信用している人物? 誰だよそれ……」
春明の言葉の途中でリンと鈴の音が一度だけ鳴る。達海はそれに反応し、ピクリと肩を跳ねさせた。
「陰陽様……これ以上の長居は流石に許してくれないか」
達海はそう呟くと、窓の方へと移動してそこから飛び出そうと枠に手足をかける。春明が「おい」と彼の方へ手を伸ばすと、達海は春明の方へと振り返った。
「そうだ春明さん。ピエロの……ショタのこと……悪く思わないであげてください。彼の闇はずっとずっと深い」
「は? ショタがなんなんだよ」
「それと、白衣姿の金髪おかっぱに気をつけてください。危険なので俺のことを聞かれても絶対に何も知らないふりをしていてください」
「おい、あんた何を言って……」
困惑の春明をそのままに、達海は、「もう行かなきゃです。また来ます。……頼りにしてます」とだけ言い残し、窓を飛び越えて行ってしまった。春明が窓枠から身を飛び出し、辺りを確認した時にはもう彼の姿はどこにもなかった。
「勝手にベラベラと喋りやがって……訳わからねー」
ピエロとショタがなんだってんだ? 金髪おかっぱ? それなりに信用している人物? 一体誰なんだよ。
そもそもあの日、達海は死んだはずだ。でも今現れた達海は自分を幽霊ではないと言っていた。
完結しない情報が春明の頭の中でぐるぐると廻る。
「悪夢かよ……」
春明は右手のひらで顔面を覆い、薄暗闇の中、そうひとりごちた。




