4. 山中牧子の失恋
私には気になる人がいた。
3年3組の瀬尾晶くん。
くせっ毛のショートに黒縁メガネ。
物静かだけど、頭の良いクールな男子生徒。
確かに彼は格好いい。だけど、好きとかそういうことではない。ただ、遠い場所から景色のように眺めていたい人だった。
実は、二度、彼に助けられたことがある。
一度目は放課後。
シャワーで地上を洗い流すような雨が降り、軒先はボタボタと重たい雫がひっきりなしに落ちてくる。生温かく湿った空気が漂う玄関先で、雨が止むのを待っていた私。
『僕、学校から歩いて5分もしないところに家があるんだ。これ使って』
後ろから声がして振り返ると、瀬尾くんが青い傘を持って立っていた。
これまで彼とは何の接点もなかったはずなのに、突然傘を貸してくれるという。
かなり動揺したが、彼の親切を無下にするわけにもいかず、私は傘を借りることにした。
繰り返しの日常のなかで優しい色をつけてくれたのは、彼が初めてだった。
――翌日の下校時間。
自分たちのホームルームが早く終わると、私は渡り廊下に出て、隣の組のホームルームが終わるタイミングを見計らっていた。
3組からイスの引く音が一斉に響き、『さようなら』の挨拶が聞こえると、私は鞄のチャックを開けて、〈あるもの〉を用意する。
ぞくぞくと隣のクラスの生徒が廊下へ出てくるなか、私は瀬尾くんを見つけることができた。
傘を返すだけなのに、こんなに勇気がいるなんて思ってもみなかった。
私は青い傘と今朝コンビニで買ったメロンパンを握りしめて、彼の方へ歩み寄った。
『あの……。傘、ありがとうございました。これはお礼です。じゃあ』
予定通り、彼に傘とメロンパンを手渡すと、一目散に廊下を走り出した。
はぁ、はぁ、やった!……ははっ!……渡せた!
揺れる三つ編み。
熱くなる頬。
跳ねる心臓。
私は息切れをしながら、行き交う生徒を躱し、渡り廊下を左に曲がり、滑るように階段を下り玄関へ向かった。
逃げる理由は一つ。
私と一緒にいるところをうちのクラスの男子グループに見られたら、後で何を言ってくるか分からないから。そうなると瀬尾くんにとってもいい迷惑になる。
その日以降、私は彼を何度か図書館で見かけたり、渡り廊下で他の男子とお喋りしている所に出くわしたが、私はできるだけ気づかないフリをして彼から遠ざかった。
二度目は数学の先生から頼まれた、プリント綴りとノートを職員室へ持っていくときだった。
その日は26日。出席番号26番の私がクラスみんなのノートとプリント綴りを運ぶことになったのだけど、重たくて結構しんどかった。
『手伝おうか?』
後ろから、瀬尾くんの声がした。
彼は私が何か言う前に、ノートを持ってくれた。
「これで少しは楽になった?」
「あっ……ありがとうぅ……ございます」
これは……現実?
恥ずかしいのと嬉しいのとで頬が熱くなってきた。彼に視線を向けることが難しくて、自分の上履きのつま先に視線を置いた。
「これ、どこに運ぶの?」
「……職員室……です」
「ここから結構歩くね」
「はっ……はい」
瀬尾くんは私の歩幅に合わせてくれていた。彼の優しさに、緊張がピークに達していた。今、イレギュラーなことが起きている。
「あのさ……」
彼に話しかけられた、ちょうどその時。後ろから女子の声が聞こえた。
「瀬尾く~ん!あれ、山中さんと一緒なんだぁ~」
後ろを振り返ると、高坂さんがキラキラした笑顔で瀬尾くんに手を振っていた。
こちらへ駆け寄ってくる彼女の姿は、清涼飲料水のCMのように爽やかで可愛い。
「あっ!!そういえば私、家庭科の新井先生に山中さんを呼んで来るように頼まれていたの。もしかして課題のスカートの件で話があるんじゃない?」
「えっ?だって、あれはもう――」
高坂さんは、私が持っていたプリント綴りを全部取り上げた。
「ほら、新井先生が待っているから、早く家庭科室に行ってあげなよ。ここは私に任せて!」
「う、うん……ありがとう」
彼を背に、私は反対方向へ歩き出した。
後ろから高坂さんの明るい笑い声が聞こえる。気になって振り返ると、2人は並んで日の当たる渡り廊下を歩いていた。背丈もちょうど近いし、傍から見ればお似合いのカップルだ。
それに肩が触れ合うほど、距離が近い。
高坂さんを嫌う男子なんていないぐらい、彼女は魅力的で、他のクラスからも人気がある。
遠ざかる彼の姿を見て、胸の奥がひんやりとした。
あれが俗にいう『釣り合う』っていうのかな。私なんかが隣にいるのが場違いなんだよ。そもそも次元が違う。
汗で冷たくなった手を握りしめ、私は薄暗い階段側の廊下に向かって歩き始めた。
****
私は、渡り廊下から家庭科室の窓ガラスを覗いた。新井先生は、生徒たちが製作したスカートの採点ををつけていた。
――ガラガラガラ。
「あら?山中さん、どうしたの?」
「あの、先生が私を呼んでいると高坂さんから聞いたのですが……」
先生は私を見るなり、声を上げて笑った。
「あははは!いやね~。高坂さんたら。私が呼んできて欲しかったのは、まだ提出物を出していない牧田さんだったのに……。まったく、牧子さんと牧田さんを間違えたのね?」
「えっ……」
家庭科室の入り口に立ち尽くす私。
鼻の奥がつんと痛んだ。
****
「あっ、……いけない。また前世の夢を見ちゃった……」
腰の辺りが痛かったので、硬くなった体を反らし背伸びをする。ふと気がつくと、口元がよだれで濡れている。
「嫌だわ!!ミリーに見られたら笑われる」
私は慌ててハンカチで頬を拭う。
午後の温かな日差しに誘われ、私は机にうつ伏せ寝をしてしまった。机の上は書いている途中の手紙が散乱している。
私は、先日のお茶会が途中で中断したことへのお詫びの手紙を書いていた。
マルクスたちを除いた計十六人の令嬢や子息たちへの手紙を書くのに時間がかかってしまい、指先にペンだこができそうだ。
大変な事件だったけど、私はあの三人と友達になれた。
あの三人とは、マルクスに大迷惑をかけられた男爵子息と令嬢。ハリス、クラン、ミルのことだ。
私は改めて、彼らをこの屋敷へ招待状を出した。
三人はちゃんと訪ねてきてくれて、お見舞いの花束をくれた。
「自分たちの為に勇敢に立ち向かってくれてありがとう」と深く感謝され、私は逆に戸惑った。
ハンスたちの為だけじゃない。マルクスに対する怒りで、どうしようもなかったからなんだけど……。
せっかくできたお友達なので、私は四人でこの様に会うことはできないかと聞いてみた。
しかし、彼らは首を横に振った。理由は身分が違いすぎることだった。他の貴族たちに知られたら、どんな嫌がらせが来るか分からない。
「それなら文通というのはどうかしら?」
ミルの提案で、身分を隠して文通相手として仲を深めようということになった。
私たちは『四葉の友』というグループを作った。
❇❇❇❇
――コンコン!
「ソフィアお嬢様、カーティス様とレオン様がお見えになっています。先にアリアベル様がお相手しておりますよ」
ミリーが知らせに来てくれた。
「いけない!!つい、ぼーっとしてたわ。もう、そんな時間なのね?すぐに行きます」
カーティス様は隣の領地のロックワイヤー公爵家の長男であり、私の婚約者でもある。
レオン様はアリアベルの婚約者で代々ロックワイヤー家を支えてきたマーベルク侯爵家の次男である。ちなみに、マーベルク侯爵家は魔法使いの一族であり、魔法塔にも名を連ねている。
「アリアベルがお相手をしているなんて……なんだか不安だわ……」
私は急いで、離れにある温室へと向かった。
****
「お姉さま。遅いですわ!!」
アリアベルが、鈴の鳴るような愛らしい声をかける。
三人は先にお茶会を始めていた。
「カーティス様、レオン様。ご機嫌麗しゅう。遅くなり大変申し訳ございませんでした」
私は深々と陳謝する。
「別に大丈夫だよ。君の妹君が相手をしてくれて、とても楽しませてもらっているから」
案の定、カーティスのすぐ隣にアリアベルが座っていた。毎回そうだ。アリアベルが丸いテーブルで均等に座ってくれたらよいが、二人の距離は、肩が触れ合うぐらいに近かった。逆にレオンとの距離がだいぶ離れている。
「お姉さま、どうして遅かったのですか?」
私は適度な間隔を空けて座ることにした。
「先日のお茶会が中止になったでしょ。その詫び状を書いていました。時間に遅れたのは私のせいです。カーティス様、レオン様申し訳ございませんでした」
「お姉様ったら、私にも謝ってよ」
ツインテールで愛嬌を振りまいているところが、前世の高坂さんに少し似ている。
アリアベルは父が再婚した継母ルアンダの連れ子だ。私との仲は悪く、ルアンダは私に見せつけるかのように、アリアベルを甘やかして我儘に育て上げた。
「ごめんなさい。アリアベル」
「もう、仕方がないな。今回だけだよ?」
――パンッ!!
カーティスがいきなり手を打った。
「実は君たちに似合うかなと思って、今日はプレゼントを二つ用意したんだ」
カーティスの従者は、私とアリアベルに小箱を手渡した。
ピンク色の箱がアリアベルで白色の箱が私。
私たちはとりあえずプレゼントを開けてみた。
アリアベルにはサファイアの指輪が、私にはアメジストのイヤリングが入っていた。
しかし、カーティスは金髪で瞳の色は青。レオンは、白銀髪なのだが、前髪が邪魔で瞳の色までは分からない。
これは、どういう意図があるのかしら?
普通、婚約者同士の贈り物として、自分の瞳の色に似た宝石を贈るのが常識としてある。
チラリとアリアベルを見ると、素直に喜んでいる様子だった。
「ちょっとオトナっぽいけど、綺麗だわ!ありがとうございます、カーティス様!」
取り敢えず、お礼を言わなくては……。
「……あっ、ありがとうございます。カーティス様」
侍女のミリーがタイミングを見て、私の分の紅茶を出してくれた。
ほのかなバラの香りがたまらない。一口飲んで、温かくて優しい甘さが私を落ち着かせてくれた。
「でもさ~。お姉様。喜び方が少し足りないんじゃない?」
「え?」
「もう一度、カーティス様にお礼を言ってみてよ」
アリアベルは笑顔で人を動かそうとする。悪い癖だ。
「あら?いつからアリアベルは、カーティス様のお側付きになったのかしら?あなたが最も気を使うべき相手は、婚約者であるレオン様なのでは?」
私がそう言うと、アリアベルはレオンを一瞥した。
しかしレオンは微動だにせず、ずっと黙っている。
目は物を言うというけれど、彼の前髪が邪魔すぎて、今どういう気持ちなのか、全然分からないわね……。
「ホント、お姉様ったら、つまらないこと言うのね」
アリアベルは白けた顔をして鼻を鳴らした。
アリアベルは11歳、カーティスは12歳。年が近いせいか、このふたりは仲がよく、いつも傍にいる。しかしレオン様は16歳。年が離れすぎているのが原因か?
しばらく沈黙が続くと、カーティスが口を開いた。
「ソフィア嬢、みっともないよ?君はいつから場をしらけさせるのが上手になったんだ?」
「みっともない……?」
カーティスの一言に、腹の奥が煮えたぎるのを我慢した。
「あぁ、そうだ。思い出したわ!先日のお茶会は、ソフィアお姉様のせいで中断したんですよね?」
突然アリアベルがお茶会の話題をふってきた。
確かに私がマルクス様に殴られてから中止になったんだわ。私のせいと言えば、その通りだけど……。
「それは、マルクス卿がか弱きソフィア様に暴力を振るったからですよ。それよりも知っていたのに、なぜ婚約者の見舞いに行かなかったのですか?カーティス様」
だんまりしていたレオンが、突然話し出した。
「ふん。レオンは、普段は寡黙なのにソフィアのことになると饒舌になるのだな」
カーティスが馬鹿にするように鼻で笑った。
「それは嫉妬でしょうか?お見舞いにも行かなかったくせに?」
カーティスはむっとした表情でレオンを睨みつける。
「じゃあ、丁度いいじゃない。それなら私たち、婚約者を交代しちゃいましょう!」
「「はい?」」
私とレオンの声が重なった。
とんでもない提案をしてくるアリアベル。
「私、実はレオン様とは性格が合わないと思っていたんだよね~。年は離れているし、それに陰気だし」
「アリアベル!!あなたの婚約者に失礼よ?」
無神経な妹を窘めるが、アリアベルは全然動じない。
「僕もアリアベルと同じことを思っていたんだ。どうも君とは相性が合わない。地味なくせに、愛想もなく文句をたれる君よりも、愛らしく、素直なアリアベルのほうが僕には似合っていると!」
「カーティス様、それではソフィア様に失礼なのでは?」
レオンがカーティスに注意しても、本人は全く悪びれていない。
絶対、この2人が計画したに違いないわ!!
これまでのソフィアだったら、何も言えないまま終わっていただろう。でも前世の夢を見てから、今世では足掻きたいと思った。
後悔なんてしたくない。
弱虫のままじゃいられない。
私は感情を殺した人形じゃない。
怒るときは怒りたい!!
「いつからなの。アリアベル?」
私は強い気持ちでアリアベルと対峙した。
「えーーっと、何のこと?」
可愛く小首を傾げるアリアベル。
「いつから二人で考えていたの?」
「えっ!?急に何なのよ!!」
アリアベルは視線を泳がせ、鼻頭を掻いた。
「教えて?アリアベル」
「……」
「教えなさい!!」
私はお腹に力を込めて強く言い放った。
アリアベルとカーティスはいつもとは違う私に驚いたのか、二人とも口を半開きにしていた。
「カーティス様。小細工なんかして馬鹿ね」
「なんだと!?」
カーティスの顔が真っ赤になった。
「最初から想い合っているのなら、正々堂々とお父様にご相談なさったらいいじゃない。それができないでどうするのよ。わたくしは婚約破棄をしても宜しくてよ?」
私は白い小箱を握りしめ席を立った。そして、カーティスの前に立つ。
「このアメジストのイヤリングは、恐らくレオン様の瞳の色をイメージしたものよね?わざと私にこれをプレゼントをするなんて、レオン様にも私にも失礼だわ」
カーティスは訳が分からないといった顔をして、椅子から転げ落ちそうになった。
「何よ、それ!!いつもは陰気臭いお姉様のクセにぃぃーー!!」
アリアベルがツインテールを揺らしながら、喚き散らす。
「……アリアベル。私にだって、やられっぱなしの人形じゃいられないの」
アリアベルをひと睨みした後、私はテーブルに白い小箱を置いて、その場を立ち去った。
読んでくださりありがとうございます!
間違いも多く、修正もしました。
また、修正箇所も出てくるかもしれませんが、直しますので、宜しくお願いします。




