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覚醒

【リリアーナ視点】


 突然パニックに陥り、中庭の古い噴水の縁にうずくまって泣き叫ぶエリス様の姿に、わたくしもクララ様も、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。彼女のあの自信に満ちた笑顔からは想像もつかない、あまりにも痛々しい姿だった。

 そこへ駆け寄ったのは、アルフォンス殿下だった。その場に偶然通りかかったのか、あるいはクララ様が何かを察して呼んでくださったのか、わたくしには分からなかった。


「エリス嬢、しっかりするんだ! 大丈夫か!? 何があったのだ!」


 殿下は、ためらうことなくエリス様のそばに膝をつき、その華奢な肩を優しく揺さぶった。彼の声には、先ほどまでのわたくしへの詰問とは全く違う、純粋な心配の色が滲んでいる。彼の隣には、いつも共にいるレオナルド・フォン・アストレア公爵子息と、ヴィクトル・フォン・シュタイナー伯爵子息も、険しい表情で周囲を警戒しつつ、エリス様の様子を心配そうに窺っていた。クララ様は、心配そうにわたくしの腕にそっと触れ、無言でわたくしを支えてくれた。


 しばらくして、エリス様の激しい嗚咽は、少しずつしゃくり上げるようなか細いものに変わっていった。

 殿下の優しい声かけと、レオナルド様がどこからか持ってきた水で喉を潤すと、彼女は少し落ち着きを取り戻したようだった。その鳶色の瞳は赤く腫れ、まだ怯えの色を浮かべていたが、先ほどまでの錯乱状態からは抜け出したように見えた。

 そして、潤んだ瞳で、わたくしたち一人一人――アルフォンス殿下、レオナルド様、ヴィクトル様、クララ様、そして最後にわたくし――を順番に見つめると、震える声で、とんでもないことを語り始めたのだ。


「……ごめんなさい……わたくし……わたくし、皆さんに、そしてリリアーナ様に、酷い嘘をついていました……」


 え……?


「リリアーナ様は……わたくしに、何もしていません……。教科書を隠したのも、持ち物にいたずらをしたのも……全部、わたくしがやったことですの……リリアーナ様が、わたくしをいじめているように見せかけるために……」


 その言葉に、わたくしだけでなく、クララ様も、そして殿下たちも息を呑んだ。


「わたくし……わたくしは、この世界の人間ではないのです……。遠い、別の世界から……魂だけがやってきた……いわゆる、『転生者』なのです……」


 転生者……? それは、古い物語で読んだことがあるような、にわかには信じがたい、荒唐無稽な話だった。


「前の世界で……わたくしは、国を導く首相……この国でいえば、宰相に近い立場にありました。でも、わたくしを妬む者たちの陰謀で、信じていた人たちに裏切られ……拉致されて、暗い、寒い場所に長い間閉じ込められて……そして、最後は……抵抗も虚しく、殺されたのです……! あの煙の匂い……あの閉所感……思い出すだけで……うっ……」


 エリス様の声は、再び恐怖に震え、その瞳には、筆舌に尽くしがたい苦痛と絶望の色が浮かんでいた。彼女が語る内容は、あまりにも壮絶で、現実離れしていたが、その恐怖は本物だと感じられた。


「だから……この世界に来た時、ここがわたくしの知っている『物語』――乙女ゲームの世界だと気づいて、安心したんです……! 物語の筋書き通りに進めば、今度こそ、わたくしは誰にも裏切られず、幸せになれるって……王子様と結ばれて、ハッピーエンドを迎えられるって……そう、信じたかったんです……!」


 彼女は、必死に言葉を紡ぐ。その目からは、また大粒の涙が溢れ出していた。


「その物語では、リリアーナ様は『悪役令嬢』でした。ヒロインであるわたくしをいじめ、最後には断罪される……それが、あなたの役割だったんです! だから、わたくしは、あなたが原作通りに動いてくれないのが怖くて……あなたが悪役になってくれないと、わたくしの幸せが、わたくしの未来が、また壊されてしまうんじゃないかって……!」


 エリス様の言葉は、もう支離滅裂になりかけていた。彼女は、パニックと罪悪感で、もう自分でも何を言っているのか分からなくなっているのかもしれない。


「でも……リリアーナ様は、わたくしが知っている悪役令嬢とは、全然違って……いつも悲しそうで、怯えていて……だから、余計に怖くなって……! わたくし、どうすればいいのか……どうすれば、今度こそ幸せになれるのか……もう、分からないの……!」


 エリス様の、その魂からの叫びのような告白。

 わたくしは、言葉を失っていた。

 転生者? 乙女ゲーム? 悪役令嬢?

 その言葉の意味は、すぐには理解できなかった。でも、彼女が、どれほど深く傷つき、どれほど孤独で、そしてどれほど追い詰められていたのかは、痛いほど伝わってきた。


(この人も……私と同じように、見えない何かに追い詰められて、苦しんでいたのかもしれない……。自分の知っている『物語』だけを頼りに、必死で生きようとしていたのかもしれない……。そして、私も、誰かに『悪役令嬢』という役割を押し付けられていた……)


 エレオノーラ様に虐げられ、誰にも信じてもらえなかった日々の記憶が蘇り、わたくしは、エリス様の苦しみに、不思議と深い共感を覚えた。彼女のしたことは許されることではないかもしれない。でも、彼女もまた、何かの犠牲者だったのかもしれない。


 アルフォンス殿下も、その美しい顔を驚きと苦悩で歪ませていた。


「……エリス嬢……君が、そんな過酷な運命を……そして、そんな思いで……」


 彼の声には、深い同情と、そして何かを守りたいという、強い意志が感じられた。

 レオナルド様とヴィクトル様も、険しい表情で何かを話し合っていたが、やがて、レオナルド様が代表するように口を開いた。


「殿下。エリス嬢の話が真実であるならば……そして、リリアーナ嬢がこれまで受けてきたという不当な扱いや、ヴァイスハイト侯爵夫人……エレオノーラ様の周囲で起こっている様々な不可解な出来事を考慮すると、これは単なる個人の問題では済まされない可能性があります。国家の安寧を揺るがす、重大な陰謀が隠されているやもしれません」


 ヴィクトル様も、力強く頷く。


「我々も、友として、そしてこの国の貴族として、見過ごすわけにはいきません。真実を明らかにすべきです」


 アルフォンス殿下は、決意を秘めた目で、エリス様と、そしてわたくしを見つめた。


「エリス嬢、リリアーナ嬢。君たちの苦しみは、痛いほど理解した。そして、この学院、いや、ヴァイスハイト家で起こっていることは、決して正常ではない。僕が、いや、僕たちが、必ず真実を明らかにし、君たちを助けたい。どうか、僕たちに協力させてくれないだろうか。そして、エリス嬢、君が知るという『物語』のことも、詳しく教えてほしい」


 その言葉は、力強く、そして何よりも誠実だった。

 わたくしは、クララ様と顔を見合わせた。彼女もまた、驚きながらも、どこか安堵したような、そして決意に満ちた表情を浮かべている。

 これが、反撃の始まり……?

 わたくしの、本当の戦いが、今、始まろうとしているのかもしれない。

 エレオノーラ様という、巨大な、そして底知れぬ悪意に対して。


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