Epilogue 困難に打ち克つ金蓮花《きんれんか》
「本日より、職務に復帰いたします」
久しぶりに訪れる殿下の執務室で敬礼をすると、ノア様は嬉しそうに笑ってくださった。
「よく戻ってきたな、クレス」
「はい。魔女殿の薬のおかげです」
殿下の後ろに立つ魔女殿に目を向けると、彼女はゆったりと笑う。
「お役に立ててよかったですわ」
「本当に、素晴らしい薬でした。あれだけの火傷でしたから、皮膚の引き連れも覚悟していたのですが、ほぼありません。問題なく剣が振るえます」
「それはよかったですわ」
のんびりと魔女殿が答える。魔女殿が差し入れてくれた薬は本当に素晴らしかった。医者たちが回復の早さに目を見開いていたぐらいだ。
事故当時の手当も魔女殿がしてくださったと聞いた。もう、私は魔女殿に足を向けては寝れない。
「医務局からも誘いが来てるぐらいだからな。最近はリューを薬師に取られないように必死なんだ」
殿下が苦笑される。
――ずいぶん、笑顔が増えたように思える。
「早速だが、現状の確認から頼む」
「は!」
殿下の指示で情報整理に入る。私が入院している間に事態は大きく変わっていた。
「失礼いたします」
机に着いた私の前に座ったのはオリバー殿下だった。私は息を呑んで立ち上がる。
「ま、まさか、殿下が説明役ですか」
「はい。私では不足でしょうか?」
「そんなことは! で、ですが殿下にはもっと相応しい仕事があるのでは?」
恐れ多すぎて進言すると、オリバー殿下は首を振る。
「ここでの僕はあなたと同じ、兄上に仕える人間です。変な気遣いは無しでお願いします」
オリバー殿下は学園をご卒業されて完全にノア様の配下に下ったようだった。
元々後ろ盾のない第三夫人の息子である彼はこの国の中で様々な悪意に晒されながら苦労している。今後はノア様の庇護の元、その優秀さを存分に発揮していただきたいものだ。
私は、改めて椅子に座りなおすとオリバー殿下に頭を下げた。満足そうに笑って、殿下は広げた資料の説明を始めてくださる。
噂で、オリバー殿下を同い年のアーサー殿下は、外国に留学されたと聞いた。てっきり、内政に携わってくると思っていたから、その話を何度も聞き直したことを覚えている。騎士仲間達は、アーサー殿下は少し前から行動が大人しくなったと言っていた。
二人の殿下がご卒業されて、学園に通われる王族はノア様の妹君、リリー様だけになった。姫君一人で学園をまとめるのは難しいだろうに、奮闘しているらしい。良い噂がたくさん聞こえてきている。
来年は第二王妃の姫、アイラ様が学園に入学される。気性が激しく、兄のアーサー様に負けないほど扱いが難しい王族と噂の方だ。その次の年にはノア様の末の妹君、フローレンス様が入学を控えているから、リリー様には是非フローレンス様に引き継げる体制地盤を作っていただきたい。
この数か月で一番変わったのは国王陛下だろう。これまで中立を掲げてなにもしてこなかった陛下が、ついにノア様を次の皇帝にすると公の場で宣言されたと新聞が出ていた。ローレンス様の時ですらなかった言葉に国中の貴族がざわついた。最近では陛下の執務室にノア様が出入りする姿もよく見られているそうだ。なんにせよ、これでノア様が戴冠する御膳立てはできた。第二王妃は歯ぎしりをしているに違いない。
私はオリバー殿下の言葉を聞きながら書類を確認していく。
私がいない間に、一番良く動く政務官が一人死んでいた。そして彼の妻が、重要参考人として投獄されているという。書類に投獄先を記載しないほど、最重要情報になっている。
スケジュールを見ると、国王陛下との打ち合わせがいくつか入っていた。新聞の情報は正しかったらしい。
沸き立つ胸を抑えながら直近の予定を詳しく見た私は、目を丸くして言葉を失った。
「……明日、第二王妃のお茶会に出席されるのですか」
「ええ。兄上と魔女殿、第一王妃が出席されて、警護も兄上の騎士たちが担当となっております。クレス様も警護をお願いします」
――それは、第二王妃が第一王妃に降ったということではないのだろうか。
周りを見回すと、動揺しているのは自分だけだった。どうやら、一番重要な部分を自分はまだ知らないらしい。
見えない部分でさらに事態が動いている気配を感じて、ぞくりと背中が震えた。
「気合を入れて行きます」
「無茶はしないでくださいね」
オリバー殿下が笑う。
「旦那様、私、そろそろお茶会の時間なので、行ってまいりますわ」
「ああ、もうそんな時間か。頼んだぞ」
そんな会話が聞こえたので見ると、魔女殿がノア様の隣に立っていた。
たまたま、書類と書類の間から私は見てしまった。ノア様が魔女殿の手を握っている。周りに人がいるのに、だ。私が怪我をする前はあり得なかった行動だった。
信じられなくて茫然としていたら、ノア様を目があった。気まずさを感じる私に対して、ノア様は私が蜜事を目撃したと気づいていないようだった。
「最近、リューはリリーとフローレンスと三人で茶を飲んでいるんだ」
教えてくださったのは、魔女殿がお茶会の時間、と言っていた理由。
魔女殿が一人で出歩くことも、妹君達と仲良くなっていることも意外だった。妹君たちは魔女殿を怖がっているように見えていたから。
「最近は、二人がリューに貴族作法を教えている。二人は復習になってリューも学べてちょうどいいんだ」
ノア様は楽しそうに笑っている。その顔からは、以前のような第二王妃への憎しみが感じられない。
――なにか、あったのだな……私がいない間に。
少しばかり寂しさを覚えた。
一目を気にせず手を繋ぎ、魔女殿が貴族作法を学んでいるということは。
――ノア様は、心を決めたのか。
怪我をする前も、お二人の仲が深まっていることには気づいていた。一時の気の迷いという可能性もあったから言及はしていなかったが、どうやらここも大きな変化があったようだ。
――二人目の平民出身の妃か。
「綺麗な人ですからね、魔女殿」
ぽつりと、オリバー殿下が仰った。視線を手元の書類に注いだまま。
「兄上なら、大丈夫だと僕は思っています」
殿下の言葉に、亡くなった第三王妃を思い出す。美しい人だったが、貴族たちの嫌がらせに疲弊し、誰にも守られずにやせ細っていく姿は傍から見ていても痛々しかった。
魔女殿がノア様に嫁ぐとなったら、あの時動いていた者たちはまた嬉々として攻撃を始めるのだろう。
――ノア様なら大丈夫だ。愛した女性を必ず守る。魔女殿も普通の女性ではない。あの方はきっとただでは死なない。
今度は貴族達が腰を抜かす番に思えた。魔女殿の強さを、身をもって知ればいい。
ノア様を見る。ずいぶん機嫌がいいように見える。
「ええ、私も、ノア殿下と魔女殿ならば大丈夫だと思っております」
まっすぐオリバー殿下を見て答えると、殿下は視線だけをこちらに向けて笑った。
――私は二人を守るだけだ。そしてノア様が望む未来を掴み取る。
決意を新たに私は書類の確認に戻る。
書類ばかりに目を向けていたから、私は主の首についている咬み痕には気づくことはなかった。
少し宙ぶらりんで残っていた話をまとめて着地させました。
これで完全に完結です。
ありがとうございました!!




